実験
「貴様っ!? 一体、何をした!?」
地面の上へと倒れて、のたうち回る団員達を驚きの表情で見ていたアレクシアがハオスの方へと勢いよく振り返る。
普段は冷静さと厳格さを備えていると言われているアレクシアもこの現状に対して、額に汗を浮かべていた。
「何って、ただの実験だよ。この魔物は俺達が作ったんだ」
「魔物を作っただと!?」
ハオスから告げられる言葉にアイリスも動揺を隠せずにいた。魔物を一から作ることは教団及び、イグノラント王国内では禁止されている。
つまり目の前にいる昆虫型の魔物は、元々存在している魔物と契約して使役したものや、自分の想像で一時的に創り、契約を交わす召喚獣とは違う魔物だということだ。
ハオスが連れて来た昆虫型の魔物は明らかに教団の人間に対して敵意を持っているように感じられる。この魔物をどのようにして作ったのか、訊ねても答えてはくれないのだろう。
「こいつは回収役さ。俺一人だと、さすがにこの人数の魔力と血は集めきれないからなぁ」
疲れたと言わんばかりに肩を竦めたハオスは、まだ口から小型の魔物を吐き出し続ける昆虫型の魔物の上へと再び足を着けて、爪先で軽く叩いて見せる。
まるで、自分の愛犬を愛でている飼い主のような表情で、ハオスはうっとりと昆虫型の魔物を見つめていた。
すると、一匹の小型の魔物がハオスの顔の前へとすっと飛んでくる。
拳くらいの大きさの魔物は先程、大型の魔物の口から出て来た最初の状態とは違って、腹部辺りがかなり膨らんでおり、重量が増えているのか飛び方にむらがあった。
ふらふらと飛行しながら、小型の魔物は獲物を得たことを褒めて欲しいと言わんばかりにハオスの周りを軽く一周している。
「おっ。早速、回収出来たか」
にやりとハオスが笑った瞬間、彼の目の前に飛んでいた小型の魔物の真下に緑色の魔法陣が突如として出現し、魔物はその中へとゆっくりと沈み込んで、姿を消し去った。
「っ!?」
今の小型の魔物は一体どこへ消えていったのだろうか。しかし、ハオスは満足げに頷くと簡単な流れ作業を見ているように、細めた視線を他の魔物達に向けているだけだ。
辺りを見渡せば、それまで魔物が身体に張り付いて倒れていた者達の身に異変が起きていた。張り付いていた小型の魔物が自ら刺していた針を抜き取り、翅を広げて羽ばたきながら、離れて行ったのである。
それぞれの魔物の腹部は対象物の血と魔力を吸ったのか、大きく膨らんでいた。そして、役目を終えたと言わんばかりに、魔物達の真下に小さな魔法陣が出現するとその中へと沈み込むように消えていった。
倒れている団員達の顔は真っ青で、苦しげに見えるがそれでも何とか生きているらしく、肩で荒く呼吸しているのが見えた。
彼らのすぐ近くにいた別の団員が倒れている者を保護して、それ以上魔物が襲ってこないようにと結界を張って防御しつつ、救護に努めていた。
他の団員達も、被害が出ないようにと結界を張りながら、魔物を討伐し始めている。
そういう点ではやはり、普段から魔物と対峙している経験が多い者が有利らしく、すぐに臨機応変に対応しているようだ。
「――まぁ、そういうわけだ。魔力と血を吸い取られたくらいじゃあ、人間は簡単に死なないだろう?」
ハオスが先程言っていた、自分達を殺しにきたわけではなく、実験の協力を提案しに来たという発言はそういう意味だったのだと理解したアイリスは恨めしげに彼を睨んだ。
本当に彼は自分達、教団の人間のことをただの実験の材料としか思っていないらしい。
「……だからと言って、易々と魔力と血を与えるほど、我らは寛大ではない」
鋭い声を発したアレクシアが黒杖で地面を数度叩く。彼女の身体に忍び寄ろうとしていた数匹の小型の魔物は一瞬にして、炎に包まれて消し炭となって消えていった。
「貴様……。我らの魔力と血を用いて、何をする気だ」
黒杖をハオスに向けて構えつつ、アレクシアはすっと目を細める。言われなくても彼女がこの状況に対して怒りを抱いているのは明白だった。
「言っただろう? ただの実験だよ。――俺は最強の魔物が作りたいんだ」
そこでハオスは贈り物を与えられた子どものように両手を広げつつ、喜びに満ちた表情を浮かべる。その姿はこの世の全てが自分のもので、そして思い通りに行くのだと勘違いしているように見えた。
「魔物にさぁ、魔法使いの魔力と血を入れるんだよ! ただ、食べさせるんじゃない。魔法が使える血を身体の一部として取り入れることで、その魔物に知能と魔力を与えるんだ。つまりは、食う事しか頭にない無智な魔物にも知能があるってことを自分で理解させたいんだよ」
自分が行っていることがいかに素晴らしいものなのかと語っている姿はまさに狂気と言ってもいいだろう。ハオスから零れる笑みは人に災いを呼ぶ不気味な笑顔にしか見えなかった。
「もし、この実験が成功すればさぁ、食うしか能がない馬鹿だった魔物が自由に魔法を使えるようになるかもしれないんだぜ? それって、最高傑作の魔物が出来ると思わねぇか?」
小さな子どもが図工をしているような発言だが、傍から聞いていれば、狂っているようにしか思えなかった。
魔法使いである人間の血を魔物へと取り入れる。
そして魔物が、人間が使っている魔法を扱えるようになる。
その言葉に眉をしかめた者は大勢いるだろう。
魔物というものは元々魔力を持っていても、それを教団の魔法使いのように種類豊富な魔法が使えるわけではない。火の玉を吐いたり、幻影を見せたり、と何かに特化しているものばかりだ。
だが、もし――知能ある魔物が人間に対して対人魔法を使って来るようになれば、どうなるだろうか。
アイリスは以前、剣を交えた魔物「幻影を分かつ者」のことを思い出す。奴は幻術に長けた魔法を使っており、かなり高い知能を持っていた。
「人間」を完全に模倣し、演出するという行為まで行っていた。そして、奴を封印した人間に復讐したいという強い憎しみの感情も抱いていたのだ。
……ハオスの言っていることが現実となったら、幻影を分かつ者みたいな魔物が増えるってことよね。
アイリスはそれ以上のことを想像してしまい、小さく身震いした。ハオスの実験が成功すれば、人間の肉体や魂を食料として見ている魔物にとっては好都合だろう。
……魔物が、人間を襲い放題になるってこと?
もし、そうなったとすれば、魔物を討伐する際には人間側に大きな支障が出るに違いない。
それだけではなく、魔物の行動範囲が広がる上に出没する時間が夜間から昼間に変わり、更に人的被害が出る可能性だってあるのだ。
「……なんて、愚かしいことを」
誰かがそう呟いたのが耳に入って来る。本当にその通りだ。
何故、ハオスは人間にとって、愚かでしかないことを進んで行っているのか。
そして、その標的としたのは何故、嘆きの夜明け団だったのか――。
いや、恐らくハオスにとっては愚かという感覚はないのだろう。彼が浮かべている笑顔を見れば分かり切ったことだ。
ハオスは全てにおいて楽しんでいる。人の魔力と血を材料にすることも、人に害を及ぼす行為を行うことも――人の命を弄ぶことさえも。
彼にとっては、ただ楽しいことに過ぎないのだ。




