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笑顔

 

 夢を見た。


 優しい両親と可愛い弟妹達に囲まれて、笑っている夢を。

 とても温かくて、愛おしくて、絶対に叶わない夢を。


 その夢は儚いものだと知りながら、それでも幸せだと感じていた。




・・・・・・・・・・



「――アイリス」


 優しい声が降り注ぎ、アイリスの意識は完全に現実へと戻ってくる。

 身体はまだ重いが先程よりは気分は良い。


「……クロイド」


 瞼を開ければ視界が明るくなり、アイリスは少し呆けた顔のままで周囲を見渡す。自分達の周りは何もなく、ただ静かだ。

 どうやら自分は木の幹にもたれ掛かって寝ていたらしい。


 身体を少し起こすアイリスの様子が気になるのか、顔色を窺うようにクロイドが顔を覗き込んでくる。彼の表情は今までと違って、どこか穏やかに見えていた。


「教会から少し離れた所だ。とりあえず、休ませた方が良いだろうと思って。……本部に戻った方が良かったか?」


 その問いかけにアイリスは首を横に振る。


「ううん。……悪魔封印と教会全壊。しかもこんな姿だもの。ブレアさんに大目玉を食らうわ。その前に心の整理をして置かないとね」


 自分の身体にはところどころに切り傷が刻まれており、血が滲んだ服を着ている上に、スカートは足が見えるほど短い丈になっている。

 クロイドも大きな傷は負っていないようだが、服は土埃で汚れていた。


 恐らくブレアから心配されるのは、悪魔封印や教会全壊よりも自分達の身体の方だろう。あの人はそういう人だ。


「そうだな。……やっと全部、終わったんだ」


「ええ。終わったのよ、全て」


 アイリスが答えると隣のクロイドはどこかしら安堵したように小さな笑みを浮かべる。

 その笑みを見たアイリスは驚きの表情で目を瞬かせた。


「あなた……。ちゃんと笑えるようになったのね」


「……」


 アイリスの言葉にクロイドは気まずそうに顔を逸らす。

 照れているのだろうか、彼の頬が少しだけ赤く見えた。


「私、あなたは笑った方が似合うと思うわ」


「……君のおかげだろう」


 まだ気まずいのか、クロイドは視線をアイリスと重ねようとはしない。


「そんな事ないわ。あなたが自分という存在を認めたから……自分自身のことを受け入れたからよ」


 アイリスは真剣な瞳で真っ直ぐと彼を見る。

 今、クロイドに伝えなければならない。


「全部、あなたのおかげよ、クロイド。あなたが頑張ってくれたから、全てが収まった。あなたのおかげで助かったの。だから……ありがとう」


 クロイドの手にアイリスはそっと触れる。

 彼の手は少しだけ震えていた。


 何かに耐えるように見えるその姿をアイリスはじっと見つめ、彼から紡がれる言葉を待った。

 自分はいつまでも待つつもりだ。彼が自ら、話をしてくれるまで。


 クロイドもアイリスの思いに気付いているのか、一瞬だけ躊躇うような表情を見せたが、すぐに瞳に力を込めて、アイリスへと視線を重ねて来る。


「……今まで、俺は自分という存在と感情を押し殺して生きて来た。そうしなければならないと、ずっと思っていたからだ」


 クロイドはアイリスに触れられていない方の手で、胸の辺りを鷲掴みにしつつ、言葉を一つ一つ紡いでいく。


「どうして?」


「……俺は笑ってはいけない。これは呪われた身だ。自分のように魔犬から被害を受けている人がいるかもしれないのに、俺だけが笑っていたら不公平だと思ったんだ」


 苦しげにそう呟くクロイドに対して、アイリスは盛大な溜息を吐いた。

 まさかの言葉に思わず呆れてしまいそうになる。


「あなたは本当にお馬鹿ねぇ……。そういうところが優しすぎるのよ」


 そう言ってアイリスはクロイドの額を指先で軽く弾いた。

 クロイドはアイリスの反応が予想外だったらしく、驚いた表情で目を何度も瞬かせている。


「大体、魔犬の事も黙っていたなんて……。あなたは私に対して、変に気を遣い過ぎなのよ。一体、どれだけ私を信用していないのよ」


「……すまない。いつかは話すつもりではいた。ただ……アイリスの家族が魔犬に殺されたと聞いて、話せなくなったんだ」


 クロイドはまだ明けてはいない空へと視線を移す。

 何かを焦がれ、懐かしむようにその瞳は細められていた。


「……信用はしていた。君はずっと誰に対しても真っ直ぐで偽りがない人だと感じていたから。……けれど、話すのが怖かったんだ。魔犬に呪われた奴が相棒だなんて、普通は嫌だろう?」


「じゃあ、私は普通じゃなかったってことね」


 さらりとアイリスが答えるとクロイドは更に目を丸くした。普段は無表情ばかりだが、彼でもこういう表情をしてくれるらしい。


「私、別に嫌だとは思っていないわ。あなたが魔犬から呪いを受けていたことには、確かに驚いたけれど……。どちらかと言うと、隠されていた方が悲しかったわ」


 少しずつ空の闇が薄れ始めていく。遠くに見える緑と青の境目から眩い光が見え始めて来る。この時間帯のことを何と呼ぶか知っていた。


「隠し事は無しだとは言わないけれど、でも相談くらいは良いでしょう? だって私達、お互いにたった一人の相棒なんだから」


 アイリスは目を細めて優しく、穏やかに微笑む。


 自分は彼の全てを受け入れる。たとえ、クロイドが魔犬から呪いをかけられていても、自分にとっての相棒は目の前にいるこのクロイド・ソルモンド唯一人だ。


 それ以上でも、それ以下でもない。

 対等な相棒でいたいと思えるのは彼だけなのだから。


 アイリスの言葉を聞いたクロイドは一瞬だけ表情を歪ませると、唇を強く噛みながら、透明な涙を静かに流していた。

 クロイドはその涙を右手で覆い隠す。泣く時でさえ、彼は隠したがるらしい。


「……ああ、そうだな。……そうだったんだ。最初から全部……アイリスはそんなこと、気にする奴じゃないと分かっていたのに」


 きっと今日、彼は初めて泣いたのだろう。

 自分自身で自覚していない程までに、彼は今まで感情を殺して生きてきたのだ。


 それが今、報われたように無表情だった表情に色が表われている。

 その表情の色を見て、アイリスは更に笑みを浮かべた。

  

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