結界
お互いに真剣勝負の試合中だ。短いお喋りが終わったと同時に二人の表情は柔らかいものから険しいものへとすぐさま変化する。
一瞬にして再び張り詰められる空気の中、アイリスとイトはお互いの動きをじっと見つめたまま、息を潜めていた。
やはり、イトは常に無表情であるとはいえ、任務の際や勝負をする際には彼女の表情は真剣そのものだ。
殺気が視覚化出来るならば、きっとイトの殺気は研がれた刃が花のように散りばめられているのだろう。そう思えるほどに、彼女の殺気は鋭く冷たかった。
……さっきみたいに、連続して攻撃され続ければ、こっちの足元が掬われそうだわ。
イトの攻撃はかなり素早い。恐らく、アイリスが今まで対戦してきた団員達の中で一番の速さを誇るだろう。
自身の師匠であるブレアと同格の速さを持っているかもしれないと、アイリスは冷や汗をかきそうになるのを抑えた。挑むような視線をイトへと向ける。
その時だった。
――ドゴォォォン……!
突如、地響きのようなものが、試合が行われている訓練場全体に響き渡ったのである。
「わっ……」
「えっ……」
対峙していたアイリスとイトも、突然の地響きによって身体を大きく揺れてしまう。もちろん、体勢を崩したのは自分達だけではない。
その場にいる誰もが大きな地響きによって、体勢を崩しており、中には床に尻餅をつけている者もいた。皆が目を丸くして、何事だと言わんばかりに周りを見渡している。
「な、何だ……?」
「地震か?」
「いや、大きな魔力を感じられたから、魔法だろう。魔法部門の奴が、失敗したんじゃないのか?」
試合中だというのに、試合をしている者も応援席にいる者もそれぞれ近くにいる者と状況判断をするためなのか少しずつざわつき始める。
アイリスがちらりと視線を向けると、その場にいた審判が数人集まり、何か話し合いをしているようだ。その表情は少しだけ険しく見える。
「……何か、魔法部門の方で、大事でも起きたんですかね?」
木製の剣を構えていたイトは、腕を下ろして、無表情のまま首を傾げている。
「そうかもしれないわ」
しかし、訓練場は室内であるため、ここから魔法部門の試合会場である運動場を視界の中に入れることは出来ない。
このまま、試合は続行されるのか、それとも一時的に中断されるのか、集まっている審判達の判断に任せようと思っていた時だ。
「――アイリス!」
ざわついている応援席から人をかき分けるようにして、クロイドが一番前へとやってくる。
その表情は何故か強張っており、彼の様子がおかしいことにすぐに気付いたアイリスは身体ごと向きをクロイドの方へと変えた。
「アイリス!」
試合中だから、とミレットに止められる腕を振り切って、クロイドはアイリスの方へと飛び出ようとしてくる。
普段、真面目な彼が正式な試合中に慌てた様子で大声を上げるなど、普通なら有り得ないだろう。だからこそ、何かが起きたのだとすぐに判断した。
「今の魔力、あれはハオ――」
しかし、クロイドが何か言葉を告げる前に次の衝撃がその場に響き渡る。
――ドゴォォォン!!
先程の一発目よりも大きい音と地面の揺れ具合から、これは魔法部門の会場で何か予期せぬ出来事が起きたとその場にいた者達も思ったらしい。
応援席に居た者達は次々と訓練場の会場から飛び出して、運動場に向けて走り始めていく。その光景はまるで人の川のようだ。
「――げ、現状を確認するまで、試合は一時中断とします!」
団員達が雪崩れるように外へと向かう中、集まっていた審判のうちの一人が声を張り上げてそう言っていたが、試合中の団員でさえ、すでに外に向けて走りかけている者もいた。
審判も魔法部門の方の様子が気になるらしく、試合中断を言い渡すと他の団員達の流れに乗るように走り始めていた。
……何かが、起きているというの?
クロイドがこちらに向けて何かを叫んでいるようだが、その声は団員達の足音によって掻き消されてしまう。
「アイリスさん」
試合相手だったイトが剣を下ろしたまま、アイリスの方へと近付いてくる。
「何か、不測の事態が起きているようですが……。試合はお預けにして、見に行ってみても宜しいですか」
イトも二回連続で起きた地響きと轟音の正体が気になるらしい。背の小さい彼女は伸びあがるように、訓練場の入口に視線を向けているようだが、やはり外の様子はここからでは分からない。
「そうね。行きましょう」
「では、お先に」
それだけ告げると、イトは長剣を抱えたまま、足音を立てずにアイリスのもとから風のように走り去っていく。
イトの行先には彼女の相棒であるリアン・モルゲンが慌てた様子で手招きしていた。二人は顏を合わせると二言程、言葉を交わして他の団員達の波に紛れるように小走りでその場を駆けていった。
「アイリス!」
人込みからやっと、抜け出せたのかクロイドが試合会場の中へと入って来る。
「どうしたの?」
アイリスも魔法部門の方へと様子を見に行くつもりだったので、すぐにクロイドのもとへと駆け寄った。彼は少し肩で息をすると、ばっと勢いよく顔を上げる。
その表情は、ただ険しかった。クロイドは先程、自分に向けて「魔力」と叫んでいた。
その言葉が関係しているというのならば、彼の険しい表情は先程起きた地響きと轟音がただ事ではないということを意味している。
「……何が」
「来てくれ」
クロイドは早口でそう告げると、長剣を持っていない方のアイリスの手首を強く掴み、突然走り始める。ぐいっと無理矢理に引っ張られつつ、走ることを強制されたアイリスは驚きの声を上げた。
「ちょ……。ク、クロイドっ!?」
「走りながら、説明する」
クロイドはアイリスの腕を握ったまま、団員達の流れに沿うように目的地へと向かい始める。
周りの団員達も何かを感じ取っているのか、それぞれの表情が翳っているようにも見えた。
だが、魔力無しであるアイリスは魔力を感じ取ることが出来ないため、先程の地響きと轟音が魔力によって作られたものだったとしても、分からないのだ。
「ねぇ、一体何が……」
「さっきの地響きと音は……魔法によるものだ」
「え? 魔法?」
クロイドに腕を引っ張られていたアイリスは何とか彼と同じ速度で走りつつも、状況説明を求めた。
「かなり大きな魔力が教団全体に反響するように響いていた。……多分、教団全体を覆っている結界に向けての攻撃だと思う」
「……どうして分かるの」
「この身は知覚だけじゃなく、魔力も感じ取りやすいらしい」
「……」
魔犬から呪いをかけられたクロイドは感覚が普通の人よりもかなり優れている。彼の感覚がそう告げているのならば、自分は頷くだけだが、それでもクロイドの言葉にアイリスは表情を顰めた。
今、クロイドは先程の地響きと轟音の正体は教団を覆っている結界に向けての攻撃だと言っていた。
教団に関する歴史書の中で、外部から教団本部を攻撃してきた記述は読んだことがあるが、それでも教団全体を覆うように囲っている結界が破れることなんて、教団が始まって以来、一度もないはずだ。
アイリスが想像出来ない程の強い結界が教団に関する全てを囲むようにかけられており、その結界を解除する術は結界を形成している者か、上層部の人間しか知らないだろう。
ましてや強い魔法がかけられている結界を破るということは、この教団内にいる誰よりも魔力が高く、強い人物でなければ、出来ないはずだ。
それ程までに強力な結界となっているのだ。




