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黒の野犬


 試合会場に入場したアイリスは軽く膝を屈伸したり、腕を伸ばしながら、試合開始の合図を待っていた。


 ちらりと視線を向けると、前方には試合相手である魔物討伐課のイトが同じように身体をほぐしている。

 彼女はこの試合が自分との対戦だと知った時、表情には出ていなかったが纏う雰囲気が明るいものへと一瞬にして変わっていた。それほど、自分との試合を楽しみにしていたらしい。


 ……そういえば、公式戦でイトと戦うのは初めてだわ。


 自分が知っているイトの剣は、とにかく速い。一度だけ、イトが魔物を討伐しているところを見た事があるが、剣が鞘から抜かれた瞬間に、魔物の首は飛んでいた。

 剣筋は速く、そして描かれる一閃は誰よりも細く鋭い。


 今は試合であるため、木製の剣を使っているが彼女が普段使っている得物は確か東方の国で使われている武器と同じもので、刃が少し弧を描いている剣だった。


 そして、イトは身体が小さく軽いためからか、魔具が無くても軽業師のような芸当を簡単にしてしまうのだ。

 宙返りしながら魔物を斬っては、着地する瞬間にも魔物の真上から刃を真っ直ぐと立てて、倒していた。


 ……速さと身軽さ。


 この二つを備えたイトを越えられるものは自分の中にあるだろうか。自分の剣の持ち味など考えたことなかったが、他人の剣の特性を見つけるのは得意だった。

 もちろん、実戦の中で多く分かることもあるだろう。


 準備が整ったアイリスは木製の長剣を軽くひと薙ぎする。軽やかな風切り音が耳から耳へと通り過ぎていく。


 迷いはない。迷いなどないのに、心の中の淀みは残ったままだ。

 その淀みを気にしていても、どうにもならないと分かっているので、アイリスは自分の心に蓋をするように、首を横に振って忘れることにした。


 ふと、視界の中に審判の姿が入って来る。試合開始の合図を告げるのだろうと思い、アイリスは剣を目の前へと構えた。


「――第十六試合、始め!」


 審判が右手を高々と上げて、言い放った瞬間、まるでその合図を待っていましたと言わんばかりに、対峙していたイトが大きく床を蹴って、アイリスに突っ込んできた。


「っ!」


 息をする暇もない一瞬で間合いを詰めて、迫って来るイトの姿は言うなれば、黒い弾丸のようだ。

 もしかすると、彼女に付けられた通り名である「黒の野犬(ネロ・ウィルドッグ)」もこの素早い動きと容姿から来ているのだろうか。


 真っすぐと突き立てられる剣先に何とか反応出来たアイリスは剣の平を使って、下から掬い上げるようにイトの剣を弾く。


 だが、弾き返されてもイトはすぐに脇を締め直してから、再び剣を振り下ろす。迷いのない攻撃だと分かるのは、イトの瞳が一度も揺るがず、自分の姿を見据えたままだからだ。


「っ……」


 自分に向けて振り下ろされるイトの剣をアイリスは自身の剣を横に倒して、平に手を添えるようにしながら、盾代わりにした。

 盾となった剣に振り下ろされる重さは、昨日の試合の際にケルンから与えられた攻撃と比べれば軽いものだ。


 それでも元々、力技で押し切るつもりはないらしく、一度振り下ろした剣をイトは素早く腕を引いてから、今度は下から突き上げるように攻撃してくる。


「く……!」


 連続して攻撃を仕掛けて来るイトに対して、アイリスは数歩後ろへと飛ぶように下がったが、それでもイトは表情を変えることなく追撃してくる。


 試合が始まって、まだ10秒も経っていないはずだ。それにも関わらず、イトは攻撃を繰り出す手を止めることはない。


 お互いに木製の剣を使っているはずなのに、接触する音は耳に残る鋭い音ばかりだ。イトは手加減せずに、最初から本気での勝負を全力で仕掛けてきているらしい。


 だが、アイリスとて、受け身ばかりなのは(しょう)に合わない。追撃してきたイトに対して、今度はアイリスから攻撃を仕掛けた。

 イトが床を蹴って、着地する前のその一瞬を狙い、アイリスは右から左へと一閃を描くように薙いだ。


「っ……」


 ほんの一瞬だけ宙に浮いていた状態だったイトはまさかその隙を狙ってくると思っていなかったらしく、アイリスが薙いだ剣をそのままの状態で受け取ることとなる。


 振りかざそうとしていた剣を持つイトの腕はアイリスによって、彼女の右斜め上へと弾き返された。

 そこに、新しい隙が出来たことをアイリスは見逃さなかった。


 空白となったイトの胸に向けて、アイリスは引き戻した剣を握っている腕を槍のように突き刺す。

 しかし、アイリスの動きを把握していたのか、イトは跳ね上げられた右腕を振り下ろさずに、そのまま両手で剣の柄を握りしめ直していた。


「!?」


 その動きに、アイリスは身に覚えがあった。先日、イトと模擬試合をした際に、自分に向けて攻撃が及ぼうとした瞬間にとっさに剣の柄を握って、柄頭でイトの剣先を叩き落した動きを思い出す。


 ……まさか。


 イトはこの一瞬で、その動きが出来ると思ったのだろうか。

 しかし、アイリスの剣はすでにイトの胸辺りに向けて突き刺そうと動き始めている。この攻撃は相手に防がれると分かっているのに、引き戻すことはもう間に合いはしない。


 アイリスの考えに沿うように、イトは両手で柄を握りしめた腕をそのまま真下へと突き刺すようにふりかざしてきた。


「っ……!」


 案の定、イトの剣の柄頭がアイリスの剣先を叩き落す。

 剣越しに伝わって来る振動に耐えつつ、アイリスは何とか柄に込める力を緩めずに済んだ。ここで柄を握る手が緩んでしまえば、剣を床の上へと落としてしまうに決まっている。


 アイリスはこれ以上の追撃は無理だとすぐに判断すると、イトの次の一打が来る前に、2メートル程後方へと下がった。


 息をすることさえ忘れてしまいそうなのに、まだ試合が始まってからそれほど時間が経っていないのは驚くべきことだろう。


 ……集中力がもってくれるといいけれど。


 疲労はそれほど感じていないが、少しでも気が散ることがあれば、持続している集中力が途絶えてしまいそうだ。剣を握っている以上、一瞬とて気を抜くことは出来ない。


 アイリスと同様に一度、休憩をはさむつもりなのか、イトはアイリスに追撃してくることはなく、剣をいつもと同じ構えに戻してから、息を整えていた。


「……やはり、アイリスさんと剣を交えることが出来るのは楽しいですね」


 イトの表情は相変わらず無のままだが、声色を聞く限りでは笑ったのだろうかと思えるほど明るかった。


「あら、他の人と手合わせはしないの? あなたの持つ剣技は常に磨かれ続けた成果だと思っているけれど」


 お互いに会話をしつつも、相手の動きから目を逸らすことはない。これは戦いにおける基本だ。

 対峙しているものから目を逸らせば、自分の方に隙が生まれて相手に好機を与えかねないのである。


「……まぁ、手合わせはしていますが、相手が両手剣ばかり使ってくるので、たまには別の剣による対戦もしたいんです」


 イトの言う両手剣の使い手は誰のことなのか、何となく想像が付いたアイリスはなるほどという意味を込めて頷き返す。


 恐らく、イトが所属しているチーム『(ネーヴェ)』で、彼女の相棒を努めているリアン・モルゲンのことを言っているのだろう。


 呼吸を整え切ったのか、隙がない状態を保ちながら、イトは短く息を吐いた。


「……では、そろそろ決着をつけましょうか」


「……ええ」


 アイリスもこの短い休憩の間に息も体勢も整え直していた。


「でも、これで勝負が全て決まるわけじゃありませんから。また、機会があったら、私と手合わせしてくれますか?」


「もちろん、いいわよ」


 アイリスが口元を少しだけ緩めて答えると、その答えが嬉しかったのか、イトは比較的に柔らかい表情を作り、頷き返した。


    

   

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