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封印

 

 だが、その場に異変など何も起きない。

 それを不審に思ったメフィストは身の周りを確認しているようだが、見た目が変わっているものなど何もなかった。


「……貴様、一体何を願ったというんだ……」


 空中に浮かぶメフィストは眉を深く寄せ、怪訝な表情でアイリス達を見下ろしてくる。


 メフィストの問いに答えず、アイリスは右足の踵を思いっきりに三度鳴らした。そして右足に力を入れて、放たれる矢のように跳躍する。

 その速さは悪魔であるメフィストさえも捉え切れていなかった。


 どんっと鈍い音が教会の中に響き渡る。

 悪魔は自分でも何が起きたのか、理解出来ないと言った表情で自身の胸元をゆっくりと見た。


「な……っ……」


 メフィストの胸元に深く突き刺さっているのは紛れもない銀色の光を帯びた聖剣だった。

 その剣を刺したのはメフィストに向けて宙を跳んだアイリスで、更に彼の胸に剣を押し込むように力を加えて行く。


「ぐ、……はっ……」


 そんなはずはないと悪魔は疑いの目をアイリスに向けてくる。

 彼の紅い瞳は、今の自分には実体が無いため、攻撃は出来ないはずだと語っていた。


 だが、メフィストが感じている痛みは偽物などではないと、彼の表情には苦痛で満たされたものが顕著に表れている。


「き……さま……。我輩を……我輩に何を……っ」


 メフィストは空中で浮かぶ事もままならなくなったのか、力を失ったように床に向けて落下していく。


 アイリスはその落下に巻き込まれないように短剣を悪魔の胸からすかさず抜き取り、クロイドの隣へと着地した。


「……お前の望み通り、願いを望んださ。ただ、その願いがお前の予想通りとは限らない」


 クロイドが紅い石に魔力を込めながら望んだ願いはメフィストの実体化だった。

 たとえ、その実体化が一時的なものだとしても、紅い石とメフィストの魂が直接繋がっている分、その願いの威力は大きいはずだ。


「おのれ……ぇえっ!」


 胸から血を零しながら立ち上がろうとするメフィストに向けて、クロイドは魔犬化した右手をかざして魔法の呪文を瞬時に唱える。


「――我、汝の所業により、神の名の下に封する事を誓いて、永遠の縛りを命ず」


 ばんっと見えない空気圧のようなものがメフィストを襲い、床の上へと再び腹を付けることとなる。クロイドの魔法に縛られ、一瞬で身動きは取れなくなったようだ。


 ……始まるわ。


 アイリスがクロイドに貸していた本に記載されている呪文達がその場を冷めた空気で満たしていく。自分達には何の影響もない呪文だが、悪魔であるメフィストからすれば、耳を塞ぎたくなってしまう呪文なのだろう。


「下劣なる魂よ、具現なる敵よ、全ての軍勢を用いて汝に裁きを施さん」


「貴様らぁぁぁ!」


 床に倒れたままのメフィストの魔力が爆発したのか、その場に突如として発生した熱風がアイリス達の身体を強く撫でるように過ぎ去っていく。


「……クロイド!」


 アイリスはメフィストが落ちた場所に向けて、先程、彼を刺した際に血で染まった聖剣で円を描き始める。


「魔法陣は私が描くわ。あなたは呪文を唱える事だけに集中して!」


 アイリスの言葉にクロイドは頷き返し、再び呪文を唱え続ける。

 彼が唱えるのは悪魔祓いではなく、悪魔を封印するための呪文だ。そして、今からアイリスが描く魔法陣は悪魔を封印する上で呪文とともに重要とされるものだった。


「やめろ……やめろ――!」


 まるで地獄の業火に焼かれているような叫び声を悪魔は上げる。


 アイリスは目の前に、地面に張り付いたように動けなくなっているメフィストを目の端に入れながら、悪魔の血が付いた短剣で円の中に様々な呪文を途切れさせる事なく綴っていく。


「――穢れなる者よ、恥ずなる者よ、その魂の根源を以って浄化するべき者よ。我が名、クロイド・ソルモンドの守護たる力により、その洗礼を身を以って受けよ」


 クロイドはメフィストの叫び声が耳に入ってきていないと言わんばかりに、無表情のままで躊躇うことなく呪文を唱える。

 本を貸したばかりにも関わらず、彼は悪魔封印の呪文を全て頭に叩き込んでいるようだ。


「ぐあぁあっ! んがっ……あぁぁ!」


 悪魔封印の呪文をその身に受けているメフィストが、どのような痛みを感じているのか自分達には分からない。

 だが、その苦痛に満ちた表情を見れば、身が裂ける程の痛みを感じているのだろうと察した。


 メフィストの封印は長い年月を超えて解けつつあった。

 それならばもう一度、封印せねばならない。

 前と同じように。それよりも強い封印を。


「これで……完成っ……! クロイド!」


 短剣に付着した血を使って、床に魔法陣を完成させたアイリスは振り返るように顔を見上げる。

 クロイドが深く頷き返したその時――。


「させぬ……させぬぞ! もう二度とあのような場所へは帰らぬ!」


 動きを封じられた悪魔は何かの呪文を唱え始める。

 不穏で冷たい空気がメフィストの周りに溜まりはじめて来たのが、魔力のないアイリスでも感じられた。


 ここで情けをかけてはならない。かければローラのように心を弄ばれ、魂を奪われる犠牲者が出てしまうからだ。


 だから、ただ冷静に冷酷にアイリスは告げる。


「殺しはしないわ。……私達の仕事はあくまで魔具回収だもの。あなたには……眠ってもらうだけよ」


 再び、永い時間を。 

 小さな欠片の中で過ごすのだ。


 それがいかに気が遠くなるものなのか想像でさえしたくない。

 それでも、この封印こそが彼が犯した罪を懺悔させるための牢獄だ。


「……『光を愛さない者(メフォストフィレス)』、チェックメイトよ」


 アイリスが悪魔の胸に向けて短剣で十字を刻むように振り下ろす。


「がぁっ……やめ……ろぉぉぉっ!」


 一瞬だけ、メフィストに衝撃が走ったのか、身体が大きく反れるように動く。

 喉が焼けるような怒号が彼の最後の叫びとなった。


「――汝がために永久の地獄を与えたり。その身、心、魂を以って神の裁きを受けたまえ」


 クロイドは呪文を唱え終え、アイリスから渡されていた悪魔の紅い瞳を取り出し、メフィストの頭上に掲げる。


「今、光を愛さない者(メフォストフィレス)……ここに封印す!」


 バチバチと無数の火花がその場に飛び散り、魔法陣の中に書かれていた文字を辿るようにして全体が青白く光りだす。

 紅い石はクロイドの手を離れて悪魔の心臓の上に自らふわりと浮かび、紅い閃光を解き放った。


 その眩い光にアイリスは目を閉じてしまう。



 何と残酷な魔法なのだろう。

 きっと、メフィストを最初に封印した人は非道を選んだ優しい人なのだ。でなければ、このような咎を科す事は出来ないだろう。


 永い時間をたった一人で、空虚に過ごさねばならない。

 気が狂うような罰こそが、メフィストに与えられた地獄なのだから。



 ばんっとその場に強風が起き、アイリスの髪がぶわっと揺れる。

 そっと目を開けると先程までそこに居たメフィストはすでに居らず、紅い石だけが存在を示すように転がっていた。


「終わった……のね」


 力が抜けたようにアイリスは身体を前のめりに揺らした。どうやら、自分でも意識していなかったがかなり緊張していたらしく、たった今、その緊張の糸が切れたようだ。


 だが、身体を大きく揺らした次の瞬間、自分の身が受けた衝撃は柔らかいものだった。


「……全く、君は危なっかしいな……」


 自分を支えたのは細く、優しい腕。

 顔を上げれば、安堵しているのか穏やかな表情しているクロイドが自分を見ていた。


「クロイド……。――ぐっは……っ」


 アイリスは咳き込み、右手で口を咄嗟に押さえる。ゆっくりと掌を見ると、そこに付着していたのは真っ赤な血だ。

 メフィストとの戦闘において、疾風の靴(ラファル・ブーツ)を使用し過ぎたことで身体に負荷が掛かり過ぎてしまったのだろう。


「っ⁉ おい、大丈夫か……⁉」


 アイリスを支えていたクロイドの瞳が大きく見開かれ、焦ったような表情で顔を覗き込んでくる。

 だが、彼には魔具の使用のし過ぎが原因で吐血したことは黙っておくことにした。この状況で余計な心配をかけさせたくはないからだ。


「……平気よ。それより、ここから出ないと……」


 廃墟と化した教会で散々暴れまわったせいで元々痛んでいた場所に付け加えるように、さらに大きな亀裂が入っている。

 耳を澄ませなくても、次第にその場に何かが崩壊していく音が響いていく。


「確かに……。ここも、もうじき崩れるな」


「ええ……。っく……もう、どうして動かないのよっ……」


 だが、自分はもう満身創痍だ。足が前に進まない上に身体も重くて自分の思うように動かすことは出来ない。力だって入らないし、息さえも整っていなかった。

 疾風の靴(ラファル・ブーツ)を使い過ぎて、吐血までしたのは久しぶりだ。やはり、使い過ぎは身体に良くはないということだろう。


 とうとう教会全体が地響きのように大きく揺れ始める。崩れる時が来たのだ。頭上から瓦礫も落ち始めているので、頭に当たったら大怪我どころでは済まないだろう。


「……仕方ない。アイリス、少しだけ我慢してくれ」


 クロイドは落ちている紅い石を拾ってポケットに仕舞うと目を閉じた。

 瞬間、ふわりと優しい風がその場に吹き抜けていく。アイリスが一瞬だけ目を閉じて、再び開けた時にはクロイドはすでに黒い犬──魔犬の姿へと変化していた。


「俺の背中に乗れ」


「でも……」


「崩れる前に早く。……それとも、やはり魔犬の俺は……駄目なのか?」


 クロイドの漆黒の瞳が小さく揺らめく。

 アイリスは否定するために、急いで首を横に振った。


「ち、違うわ! ただ……。その私……体重とか、軽く無いし……」


 アイリスが恥ずかしそうに顔を赤らめるとクロイドは魔犬化しているのにも関わらず、分かりやすいほどに呆れた顔をする。


「何だ、そんな事か……」


「そんな事って……女の子にとっては結構、重要なんだからね!」


「この前、アイリスを担いだがそれ程、重くはなかったぞ」


「なっ……!」


 クロイドの言葉に絶句していると天井部分の瓦礫がすぐ真横へと落ちて来た。床へと落下した瓦礫が一瞬にして粉々に砕け散った光景を見て、アイリスはごくりと唾を飲み込む。


「急げ、アイリス!」


 その声にアイリスは最後の力を振り絞って、クロイドの背中へとよじ登るように乗った。

 アイリスがしっかりと自身の背中に乗ったことを確認し終えたクロイドは、普段の彼の足よりも数倍の速さで走り出す。


 ……なんて、大きい背中なんだろう。


 大きくて、温かくて、どこか懐かしい。


 アイリスはクロイドの背中に暫く、しがみ付きながら目を閉じていた。

 後は彼を信じていれば良い。

 きっとクロイドなら、自分を光が射し込む場所へと連れて行ってくれるだろうから。



  教会が跡形もなく崩れ去る音を遠くに聞きながら、疲れ切っていたアイリスは深い眠りへと落ちていった。

 

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