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明晰夢


 武闘大会一日目が無事に終わり、それぞれの団員達は初日最後の試合が終わると自室に戻ったり、夕食を食べたり、明日の本戦に向けて稽古をしている者で分かれた。


 もちろん、アイリスもその例外ではない。食堂で夕食を食べて、シャワー室で汗を流して着替えたあとは自室のベッドの上で軽く横になっていた。

 電気を点けていないので、窓の外から入って来る薄暗い月明りだけが室内を照らす。


「……ふぅ」


 魔具調査課の面々は、無事に明日の本戦に進むことが出来るらしく、他の先輩達も明日の試合への気合が入っているようだった。


 一度、魔具調査課の部屋で、明日に向けての決起集会のようなものがブレアによって招集されたが、その際にはブレアからケルン・スミスとの試合について何か言われることは無かった。


 ……ブレアさん、表情は普通通りだったけれど、それでも目を合わせてはくれなかった。


 自分が暴走したことを、怒っているのかもしれない。いつまで経っても自分を制御できないのか、と腹を立てているのならば、それも納得だ。


 ……私は、ずっと子どものまま。剣を初めて握った日から、何も……変わってはいない。


 少しくらいは、心が成長しているかと思っていたが、自分自身に甘いままのようだ。


 寝ころんだベッドは、自分が動くたびに小さく軋んだ音を立てる。自然と視界に入って来る天井もいつもと同じ光景だ。


 耳を澄ませば、どこかで誰かの笑い声が聞こえた。武闘大会期間中であるため、多くの団員達が誰かの部屋に集まって、仲間とお喋りをして、過ごしているのかもしれない。


 ……いっそのこと、私のことを絶望してくれたら、気が楽になるのかしら。


 負の考えはいけないと分かっていても、ついつい考えてしまうのは自分の悪い癖だ。


 誰かに絶望の意思を向けられてしまえば、その者が心の中で留めている「アイリス・ローレンス」という枠から外して貰える気がしたのだ。

 そうすれば、自分に付けられる枷は何もなくなるのではと――。そこまで考えてから、アイリスは深い息を吐く。


 ……馬鹿ね、私は。


 結局は誰かのせいにして、自分を保とうとしているだけだ。自分の悪い部分を誰かに支えて貰いたいなど、おこがましいにも程がある。


 アイリスは瞳をゆっくりと閉じて、息を整え始める。昼間に受けた傷は、額の方は血が完全に止まったようだが、左横腹はまだ鈍い痛みが残っていた。

 しばらくは、青い痕になるだろうが、塗り薬を塗れば治りが早いだろうとのことだ。


 だが、自分に新しい傷が出来てもあまり関心を持つことはほとんどなかった。そのためなのか、怪我をしてもすぐに治療することが少なく、よく医務室のクラリスに気付かれては叱られていた。


 服で隠れているがこの身体には、ここ一年で受けて来た傷が薄っすらと残ったままだ。その傷痕をクロイドに見せたら、どのような顔をされるか分かっている。


 昼間に見た、クロイドの悲しみに溢れた表情が頭にはっきりと浮かんでは、重い声を残していく。

 しかし、アイリスはクロイドの表情を忘れようと小さく頭を横に振った。


 ……もう、寝ましょう。明日は本戦だわ。


 無理矢理に、意識を現実から遠ざけようとアイリスは寝ることに集中した。頭は冴えていると思っていたが、身体はそれなりに疲れが溜まっていたようだ。

 アイリスが寝ると意識した瞬間には、身体がどっと重くなり、やがて意識は少しずつ深みへと落ちていった。



・・・・・・・・・・・・・・・



 夢の中で、これは夢だと分かる夢のことを明晰夢と呼ぶ、と知ったのはいつだっただろうか。

 確か、ブレアにこの身を預かって貰っている頃に、彼女の家の本棚にあった、夢についての本を読んだ時に知った言葉だったと思う。


 白い空間に、自分の意識はそこにあった。姿だって、いつもの服装がはっきりと見えている。


「……夢」


 自分は夢の中で起きた出来事をよく忘れてしまう性質だ。きっとこの夢も目が覚めれば、すぐに忘れてしまうのだろう。


 白い空間がただ広がっており、そこに壁も境目も存在していない。何もないからこそ、空虚に感じられる空間に、アイリスはたった一人、そこにいた。


「……」


 静か過ぎる。自分の声と心臓の音以外は最初からそこに存在していないと思えるほどに、その場所は無音だった。


「……どうして、こんなところにいるのかしら」


 夢ならば、もっと色んなものを見るのではないだろうか。それなのに、この場所は白一色の空間が遥か遠くまで存在しているだけで、何もなかった。


「……」


 こんな夢を見ても楽しくも何もない。それならば、いっそのこと目を覚まして、新しい夢でも見直した方がいいのではと思っていた時だった。

 突如、白い空間が一瞬にして宵色へと染まったのだ。


「な、なに……?」


 夜の色はアイリスの姿さえも覆っていく。自分の姿が見えなくなるくらいに深くなる色に、知らない恐怖を抱き始めた。


 暗くなった空間に、少しずつ声が聞こえ始める。


 多くの叫び声と、焦った声。

 何かの咆哮、そして――耳障りに思える笑い声がアイリスの耳を突き抜けていった。


 ――さぁ、楽しい実験の始まりだ。


 おぞましくも思えるその声に、聞き覚えがあったアイリスは、見えないにもかかわらず、後ろを勢いよく振り返る。もちそん、自分の目には何も見えていない。


 ……何故かしら。胸の奥が、ざわついている……。


 今の意地悪で愉快そうな言葉を聞いた瞬間に、嫌な感情が身体中を駆け巡った気がしたのだ。


 誰かの叫び声は少しずつ大きなものへと変わっていく。

 いや、本当に叫び声か? 違う、これは――。


 ――アイリス……!


 悲しい想いが込められた声色で、強く名前を呼ばれた瞬間、アイリスの意識は暗闇の空間を置いていくように、遠のいていく。


 ……待って、誰かが私を……。


 答えなければ。

 名前を呼んでくれる誰かに、返事をしなければ。


 それでも、アイリスの意識は剥がされるように、叫び声が響く空間から、突如遮断された。




・・・・・・・・・・・・・・・



「っ……!」


 息を吹き返すように、呼吸したと同時にアイリスはベッドから上半身を跳ね起こした。


「っは……。はぁ……っ……」


 荒く息を吐きながら、右手で胸を抑える。寝ていたというのに、どうしてこんなにも息苦しいのか。額から頬を伝っていくのは汗だ。身体中も熱くて堪らない。


「……はぁ……」


 最後に一度、大きく呼吸をしてから、アイリスは額を左手の甲で軽く拭った。手の甲にはやはり汗が付いており、流れた量は尋常ではないほどだ。


 ……悪い夢でも、見ていたのかしら。


 だが、どのような夢を見ていたのか思い出せず、アイリスは首元のボタンを一つ開けて、緩ませた。


「……」


 何かを見て、感じていた気がするのに、一つとして夢の欠片を思い出すことは出来ない。

 無理に思い出す必要はないはずだが、それでもどんな悪夢に自分はうなされていたのかは、気になっていた。


 とりあえず、喉の渇きを潤すために、水を飲んだ方が良いだろう。

 教団内は涼しい温度が魔法によって保たれているが、水分を摂る事は熱中症や脱水症状を抑える重要な行動の一つだ。


 アイリスはベッドから降りて、水分を摂ろうと立ち上がった。ふと、窓から射し込む月明りが、足元を照らしていたことに気付き、そちらに視線を向ける。


「……」


 白くも金色にも見える月は空に浮かんだままだ。自分が歩んできた道に、月は必ず浮かんでいた。


 それならば、今まで自分を見て来た月に問えば、答えは返って来るだろうか。

 その問いさえも、何を問いかければいいのか分からず、アイリスは自嘲の笑みを浮かべ、月からすっと顔を逸らした。



   


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