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やり方


「っ……」


 クロイドの表情がくしゃりと歪んだ。まるで、お願いが叶わなかった幼い子どものようだ。


 だが、ふと気付いた瞬間には視界がぐらりと揺らぎ、アイリスの瞳は再び天井を見ていた。

 クロイドによって、ベッドの上へと押し倒されたアイリスは目を瞬かせる。彼に抱きしめられたまま、アイリスは再びベッドの上へと寝かされてしまったのだ。


 強く、自分を抱く腕は震えており、それは今の自分の言葉がクロイドを傷付けた証拠だった。


 ……ごめんなさい。


 アイリスは自分の肩口に顔を埋めているクロイドに心の中で詫びの言葉を呟く。

 直接その言葉を告げることなどは出来ない。言えば、きっと自分の中の弱さを彼に見せてしまうことになるからだ。


「……だろう」


 荒ぶる気持ちを抑えた言葉がクロイドの口から零れる。


「嫌いになんて、なるわけがないだろうっ……!」


 肩口から上げられた顔は涙が溢れそうになっていた。それでも、眉にしわを寄せて、怒りの表情のまま、クロイドは言葉を続ける。


「……俺が、君の表だった部分だけを好きでいると思っているなら、それは間違いだ」


「……」


「君が思っているよりも、俺は君に依存している。君の全てが欲しいと思うし、自分の全てを君に捧げたいとさえ思っている」


 クロイドの両手はアイリスの両耳の横に置かれており、力を入れているのかベッドのその部分だけが沈み込む。


 彼の黒い瞳に映る自分は、間抜けと思えるほどに驚きの表情で満ちていた。真剣な表情のまま、クロイドは言葉を続ける。


「だから、これだけは言っておく。君が……自分を傷付けて、それでも進み続けるというなら、俺は止め続ける。優しさが欲しいなら、何度だって与えてみせる」


 そこで、一度クロイドは息を吸い込んだ。


「君が、君のやり方で強さを求めるなら、俺は俺のやり方で君を守る。それが君の突き進むやり方に沿わなくても、俺は絶対にやめたりなどしない」


「……」


 息を吸うことも、瞬きをすることも、全てを忘れたまま、アイリスはクロイドを見つめ続けた。

 クロイドは彼の全てを以てして、傷付くことを厭わず突き進む自分を止めると言っているのだ。


 ――俺は自分の力で、アイリスを守りたい。君の盾になりたいんだ。


 お互いの想いが結んだ日に、クロイドから言われた言葉をアイリスは思い出す。

 彼は、あの時の約束を彼自身のやり方で果たそうとしているのだ。


 ……本当に、優しい人だわ。


 こんな自分でも、彼は温かさをくれる。自嘲しようとしていたのに、アイリスの表情はいつの間にか崩れていた。


 悲しいわけでも、辛いわけでも、痛いわけでもない。

 この涙は負の感情から生まれたものではない。


 アイリスは見られていると分かっているのに、次々と透明の粒を瞳の奥から零していく。


「……どうして、君が泣くんだ」


 本当に泣きたいのは、心を痛めているクロイドの方だろうに、目の前で自分が泣くのだから、困るのも仕方がないだろう。

 しかし、クロイドはベッドへと押し付けていた右手を離して、アイリスの瞳から零れる涙を指先でそっと拭っていく。


「あなたが……私に優し過ぎるのが……どうしようもなく、温かかったの……」


「……」


「私はずっと、自分のことしか、考えていないのに……。クロイドは本当に……私を想ってくれているのね……」


「……君のことが、好きだからな」


 クロイドの瞳はふっと柔らかいものへと変わる。愛おしいものを見つめるような温かな表情に、アイリスも息を漏らして、笑みを浮かべた。


 自分はこれからも、何度もクロイドを失望させることになるのだろう。そしてその度に、クロイドの心を傷付けるのだ。


「……アイリス」


 すっと、アイリスの視界が暗くなる。先程よりも、クロイドの顔が近づいて来ているように感じたが、アイリスは抵抗することないまま、それを受け入れようと瞳を閉じる。


 あとは、降りかかって来るものを受け止めるだけ――だった。


 しかし、秘密の行為は誰かの足音が近づいてきたことで、すぐさま止められる。


「……」


「……」


 お互いに近づけすぎた顔で、表情を確認しあうと、クロイドは気まずそうに身体を離していった。

 鼻の良いクロイドのことだ。近付いて来た足音が、誰のものなのか匂いで分かったのだろう。


「……ミレットか?」


 カーテン越しにクロイドが訊ねると、足音の主はすぐに返事を返す。


「アイリスの様子はどう? 水を貰ってきたけど……」


「もう、目は覚めている」


 クロイドの返事に、ミレットは失礼しますと呟きながらカーテンの中の一室へと入って来る。


「ああ、良かったわ。……怪我しているみたいだけれど、大丈夫? 痛むところとか、ない?」


 ミレットがベッドに近づいて来たため、クロイドは一度アイリスの傍から離れていった。


 ミレットは持っていた水の入ったコップをアイリスへと渡してくる。水分を摂っていなかったので、喉はそれなりに渇いており、彼女の気遣いは嬉しいものだった。


「ありがとう、ミレット。……私は平気よ。ただ、試合相手のケルンさんには申し訳ないことをしちゃったけれど……」


 アイリスはミレットから受け取った水を一気に飲み干して、空となったコップをすぐ傍にあった白い棚の上へと置いた。


「ケルンさんのところに様子を見に行ったけれど、試合のことはあまり気にしていないみたいよ。むしろ、久々に殺気を感じられた試合で、楽しかったって言っていたわ」


「……でも、怪我とかさせちゃったし……」


 自分がケルンのことを気にすると思って、ミレットはここへ訪れる前にケルンの様子を見に行ってくれたのだろうか。

 少々、申し訳なさを感じつつ、アイリスが苦い表情をするとミレットは首を横に振った。


「暫くは痕になるだろうけど、深い傷はなかったみたい。ケルンさん、またアイリスと試合がしたいって言っていたわ」


「……そう」


 アイリスはふっと安堵の溜息を吐く。

 しかし、もしブレアが自分を止めていなければ、ケルンもただの軽傷では済まなかっただろうと考えると、背筋にひやりと冷たいものが流れていった気がした。


「……それで、このあとに控えている試合はどうする気なの」


 ミレットが真面目な顔へ変えて、アイリスに訊ねて来る。視界の端に映っているクロイドも、アイリスの返答が気になるのか、じっとこちらを見つめているようだ。


「……出るわ」


 迷うことなく、アイリスは即答する。目の前のミレットはやはりか、と言わんばかりに肩を盛大に竦めていた。


「はぁ~……。そう答えると分かってはいたものの……」


 ミレットはくるりと背を向けて、カーテンの方へと歩み進める。


「次の試合は午後3時からよ。腹部を怪我しているんだから、無理はしないようにね」


「え、ええ……。分かったわ」


「それじゃあ、私は試合会場に戻るから」


 ミレットはそれ以上、何か言葉を続けることなく、部屋から去ろうと歩き出す。しかし、クロイドとすれ違う瞬間、彼の左肩を軽く右手でぽんっと叩いていた。


 叩いた意味を理解しているのか、クロイドも軽く頷いている。二人の間で通じる何かがあるのだろうか。


 そのままカーテンの向こう側へと去っていったミレットを見送り、アイリスはふっと息を吐く。


 ……ミレットからは何も言われなかったけれど、薄っすらと目元が赤かったわ。


 自分はクロイドだけではなく、ミレットも傷付けてしまったらしい。

 それでも、自分を止めることは選択肢には入っていない。


 アイリスはベッドから降りて、すぐ傍に置いてあった自分の靴を履き始める。


「……もう、行くのか」


「ええ」


 腹部に痛みは感じるが、意識しなければ、強く感じることはないだろう。他に調子が悪いわけではないので、この後に控えている試合を棄権することはしたくない。


 靴の紐を結び終わってから、アイリスは立ち上がる。クロイドの前を通り過ぎようとしていると、彼の右手が自分の左腕を掴んできた。


「――アイリス」


「……何かしら」


「……俺は、止めるからな」


「……」


 真剣な顔でクロイドはそれ以外の答えを持っていないように、強く呟く。


「君が、自分を傷付けることをすれば、俺はどんな手を使っても君を止める。止めてみせる。――いいな」


 それは彼の決意でもあり、願いなのだろう。それを自分は否定する行動を取るのだ。


「……分かったわ」


 アイリスが答えるとクロイドは小さく頷き返してから、掴んでいた腕をそっと離す。

 再び無言のまま、アイリスはカーテンの向こう側に向かって、歩き始めた。


 自分は冷たい人間だ。

 己のことしか考えず、強さだけを求めている。


 それでも、掴まれた腕に残る熱がどうしようもなく、嬉しく思ってしまっていた。



  

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