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拒絶


「――アイリス」


 名前を呼ばれたアイリスは俯きかけていた頭を上げて、クロイドの方を見る。

 しかし、それと同時にベッドの上へと放り出していた左手にクロイドの右手がそっと添えられていた。冷たくなった自分の手に、彼の手の温かさがゆっくりと伝わって来る。


「俺は、今日の試合のような君の戦い方は好きじゃない」


「……」


「自分の感情を押し殺して、傷付くことも厭わず、進み続ける戦い方は……。俺は認めることは出来ない」


 どうして、クロイドがそんなに苦しそうな表情をするのだろうか。傷付くのは自分であって、彼ではない。


 ……ああ、そうね。クロイドは優しいもの。


 アイリスに向けられるクロイドの優しさが、彼を苦しめるのだ。分かっているのに、クロイドの言葉に首を振ることは出来ずにいた。

 最初に相棒を組んだ頃に約束していた。危ない事をするな、と。


 ……でも、もうそんな生温いことを言っていられないわ。


 強くなるには、切り捨てていかなければならないものだってある。それを再び、実感しているだけだ。

 だが、その実感こそがクロイドを苦しめるのだろう。


「……私は強く、なりたいの」


 アイリスは空いている右手を強く握りしめて、爪を指に食い込ませる。抑える感情は、心の中では高ぶったままで、それを表情に出してクロイドに気付かれないように平静を努めた。


「……ラザリーの件のこと、まだ気にしているのか」


「……」


 アイリスはクロイドの問いかけに肯定も否定もしないまま、無言を貫く。しかし、クロイドはアイリスの無言は肯定だと受け取ったらしく、握りしめている手の力を強めて来た。


「彼女の死は、君のせいじゃない。あれは――」


「でもっ……!」


 いつのまにか、大声でクロイドの言葉に反論してしまっていた。

 抑えていたものが喉の奥から溢れそうになり、アイリスは右手で胸を鷲掴みにして、何とか押さえ込もうと呼吸する。


「私が、関わっていなかったら……ラザリーは死なずに済んだかもしれない。私がもっと強ければ、守りきれたかもしれない。そう思うと……気がどうにかなりそうになるのよ……」


 声を震わせながら、アイリスは深く息を吐く。


「力があればと……何度も思い返しては、ラザリーの白い顔が浮かんでくるの。冷たくなっていく手の感覚が今でもはっきりと、自分の手に残っているの」


「……」


 顔を上げて、クロイドの表情を見ることは出来なかった。彼は今、どのような顔をしているだろうか。 それどころか自分が今、どのような感情を持って、今の表情をしているのかさえ分からない。


「後悔や自責ばかりをしても駄目だと分かっている。でも……思ってしまうのよ。誰かが、誰かの手によって死ぬ瞬間を見てしまえば……私はあの頃を……家族を魔犬に喰い殺されたあの日を思い出して、重ねてしまう……」


 右手で顔を覆って、アイリスは唇を噛み締める。 


 重なり合っていく、二つの死。

 ラザリーはただの知り合いだ。それでも彼女の死を目の前で見てしまったからには、思い出さずにはいられない。


 そうだ、自分は何のために生きている。家族を喰い殺した魔犬に復讐をするためだ。それならば、もっと強くならなければならない。

 強くなって、戦い続けて、自分は――。


「アイリス!」


 両肩をクロイドの手によって強く掴まれたアイリスははっと我に戻って来る。目の前のクロイドは訴えかけるような瞳で自分を見ていた。


「いいか。何度だって言ってやる。ラザリーの死も、君の家族の死も……君のせいじゃない。君の悪いところは、そうやって何でも自分のせいにして抱え込んで、突き進んでしまうところだ」


「……」


「君が強くなりたいと思うところは、俺は素直に尊敬しているし、支えたいと思っている。ただ……強くなることと、誰かの死を結びつけることは賢明ではないと思う」


 クロイドはアイリスを真っ直ぐと見つめながら、一つ一つ言葉を選んでは紡いでいく。


「戦いにおいて、死が直結しているものだと分かっている。だが……俺は自分自身を大事にしない戦い方なんて、嫌だ。そんなこと、君には許したくないんだ」

 

 必死さと、切実さを備えたその瞳の奥は濡れているようにも見えた。


「頼む。少しだけでいい。君自身にどうか……優しくしてほしい。それ以上、枷を与えないでくれ……」


 クロイドは掴んでいたアイリスの両肩を一度離してから、アイリスの細い身体を優しく包みこむように抱きしめて来る。

 ふわりと鼻先に香る匂いに安堵してしまえば、自分は弱くなってしまう気がした。


 ……クロイドの優しさに、甘えては駄目。


 自分に甘さを与えれば、何も力を持っていなかったあの頃の自分と同じだ。誰かによって生温く生かされるのは御免だ。


 だが、強くなるには一体何を切り捨てればいいのだろう。

 自分が大事にしているものか、それとも――自分の中の生に対するこだわりか。


「……ごめんなさい、クロイド」


 アイリスは小さく呟き、自分を抱きしめていたクロイドの胸をそっと押しやってから離れる。その時、クロイドの息が小さく引き攣ったような音を立てたのは聞き間違いではないだろう。


「私、もう二度と後悔したくないの。自分の力不足で誰かが傷付くくらいなら、自分が傷付く方がましだわ」


 彼の優しさを、自分は拒絶する。

 強くなるために、自分は自分に向けられた優しさを切り捨てる。


「あなたが……止めても、私はまた強くなるために自分を殺すわ。そうしなければ、力以上のものが手に入らないの」


 痛みも感情も何もかもを遮断した時、自分は本当の意味で強くなれる。

 傷を負っても痛みを感じないなら、そのまま突き進める。恐れを抱く感情がなければ、自分より強大な敵と対峙しても、怯えることなどない。


「だから……私は強くなるためなら、何度だって……『真紅の(クリムゾン・)破壊者(クラッシャ―)』になってやるわ……」


 アイリスは固く決意した表情のまま、クロイドに言葉を返す。彼は目を見開き、そして言葉を失っているように見えた。


 いま、この瞬間、クロイドとの約束を破る宣言をしたのだ。危険なことも、自分を傷付けるようなこともしないと、約束したあの日の全てを全否定した。


 強い力を得るために、切り捨てたのはクロイドとの優しい約束。


「……クロイドは、こんな私はもう、嫌い……? 自分に優しく出来ない私を……もう……愛せない?」


 自分でも何と愚かな質問をしているのだろうかと思っている。別に愛情確認をしたいわけではない。彼からの慰めや温かさを受け取りたいわけじゃない。


 クロイドから、どんな言葉が来ても、自分は――きっと、自分を止められないと分かっている。

 だから、クロイドから「君なんて嫌いだ」と辛い言葉が来ても、それを受け止めて、心を傷付けて――。


 そして、自分は傷を抱いたまま、進んでいくのだろう。生きるために、自分を傷付ける。その傷によって、生きていることを確認出来るからだ。

 

  


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