体格差
アイリスは一番端に設けられている試合会場へと入場する。数メートル先には軽く、身体をほぐす動きをしているケルンがいた。
その表情は楽しみに満ち溢れており、そして気合十分といったところだろう。
……負けない。負けるわけにはいかない。
何度も心の中で呟きつつ、アイリスも腕を伸ばして、膝を軽く屈伸させる。試しに細身の剣を素早く薙いでみれば、風を斬る音が軽やかに響く。
何も変わりはない。準備は万端だ。
審判もアイリス達の準備が整ったことを確認したのだろう、右手を真っ直ぐと一直線に上げて、高々と言い放った。
「――第二十一試合、始め!」
合図が響いた瞬間、先に動いたのはケルンの方だった。
大柄の身体のわりには、彼は俊敏な動きが出来るらしく、右手に大剣を背負うように抱えながら、アイリスへと突進してきたのである。
「おらぁっ!!」
「っ!」
ケルンの気合の入った掛け声とともに、アイリスの頭向けて振り下ろされたのは大剣だ。本当に重たいものを持っているのかと疑う程、彼は軽々と大剣を叩きつけるように薙いできた。
しかし、それを軽々と受けるほど、ケルンに匹敵する腕力を持っていないため、アイリスは剣筋を見極めてから、少し右側へと移動するように避けた。
攻撃を避けたにも関わらず、まるでケルンの大剣自体に別の力が宿っているのではないかと思えるほどの威力が残像のように残る。
剣先が微かに触れたのか、服の肩辺りが擦れて、少々破けてしまった。
「……」
重く振り下ろされた大剣は、訓練場の床に大きなひびを作っていた。
このひびは恐らくあとで、魔法によって修理されるのだろうが、床に食い込む程の一撃にアイリスは思わず引き攣った笑みを浮かべる。
「……相変わらず、動きが早い上に一撃が重いですね」
「大事なのは筋肉だ。言うならば、俺は魔力と筋肉の融合体ってところだな! がははっ!」
ケルンは振り下ろしていた大剣を右手だけで軽々と持ち直して、豪快に笑い始める。
そういえば彼は、魔力は持っているが実戦ではあまり魔法に頼らず、己の剣術だけで魔物と戦う性分だったとアイリスはふと思い出す。その上で、彼が求めるのは強い魔法よりも、強固な肉体なのだ。
だからこそ、常に筋肉を鍛えているのだと、去年彼に敗北した後にミレットから情報として聞いていた。
……試合相手として相性は合わないけれど、剣士同士としてなら、気が合いそうね。
アイリスは数歩後ろに跳んでから、再び剣を目の前へと持ち直す。
大剣と細身の剣。相手は大柄で、自分はケルンに比べれば細い棒のような身体だ。筋力も腕力も違う。
……でも、負ける要素だけがあるわけじゃない。見極めて、隙を突く――。
アイリスはケルンに気付かれないように、ふっと短く息を吐くと、剣を水平に構える。
そして、力を込めた一歩を大きく踏み出しながら、ケルンに向けて弓から放たれた矢の如く鋭い一撃を突き刺した。
「っと……!」
腹部を突き刺す思いで、アイリスは剣先で狙いを定めていたが、ケルンに動きを読まれていたらしく、彼は大剣の平を使って、アイリスの細身の剣を易々と受け止めてしまう。
「ははっ。すぐに突撃するのは、去年と変わらないみたいだな」
「……それは、どうかしら……ね!」
アイリスは受け止められた剣先でケルンの大剣の平を撫でるように上へと添いつつ、接していた刃を離した。そして、今度はそのまま振り上げた腕で、剣を振り下ろす。
「うおっ」
だが、アイリスの次の剣筋も見極めたようで、ケルンは大剣を横へと倒して、アイリスの攻撃を軽々と防いでしまう。
「……」
このまま追撃するのは良くないだろうと瞬時に判断したアイリスは、剣を引いてから、跳ぶように後ろへと下がり、体勢を立て直す。
息をすることさえ、忘れてしまいそうになる。アイリスは無理に息を吐いてから、新しい空気を取り込むように吸い込んだ。
「あんたはたまに予想外の動きをするから、面白いんだが……。今日は何だか、身体が強張っているようだな?」
ケルンが大剣の平で軽々と右肩を叩きつつ、どこか不思議そうなものを見るような眼差しをアイリスへと向けて来る。
「……」
だが、ケルンの言葉に答えないまま、アイリスは剣の柄を両手で持ち直し、真っすぐとケルンを見据える。
「まぁ、剣を交えれば、分かることもあるよな」
答えることのないアイリスに合わせるように、ケルンも大剣を彼の目の前へと構え直す。
隣の試合会場でも試合は行われているはずなのに、この空間には自分とケルンの二人しかいないのではと思えるほど、その場は静寂で満たされていた。
すっと目を細めて、あらゆる感覚を研ぎ澄ませることだけに集中する。アイリスは目の前に立っているケルンだけを見据えて、余計なことは考えないように、他の感情を遮断させた。
アイリスの集中力を感じ取ったのか、ケルンの表情も少しだけ険しいものへと変わる。彼が本気を出せば出す程、自分が追い込まれることは分かっている。
実力に優劣は付けるべきではないが、それでも世間一般の認識に基づく優劣の付け方ならば、ケルンの方が実力は上だ。
「行くぜっ!」
二度目となる、ケルンの突撃はまるで大波が押し寄せてくるようにも感じた。
しかし、呆けている場合ではないと、瞬時にアイリスは細身の剣でケルンの攻撃を受け止めるべく、剣を横に倒す。右手で柄を強く握りしめ、左手は剣の平に添えるようにしながら、ケルンの一振りに備えた。
本当ならば、ケルンに力で勝てるとは思っていないし、これはある一種の賭けのようなものだ。
だが、考えるよりも先に身体が反応してしまうのだから仕方がない。間合いを詰めれば、大剣よりも細身の剣だからこそ出来る動きがあるかもしれないと判断したからだ。
「おらぁぁっ!」
アイリスが剣を受け止めることを最初から想定しているのか、彼は読み通りの剣筋のまま、大剣を振り下ろす。
「っ……。く……」
「ほらぁ、どうした! ここから、抗ってみせろよ!」
振り下ろされた一撃は去年、受けたものよりも更に重くなっていた。膝が床に付きそうになるのを堪え、アイリスは両足で踏ん張りつつ、重い一撃を受け止め続ける。
恐らく、力比べをするつもりなのだろう。大剣の剣先が自分の額へと、じりじりと迫ってきていた。
……ただの力比べなら、圧倒的に不利だわ。
自分は女子にしては力も筋肉もある方だが、まるで筋肉の塊とも言うべき身体をしているケルンに易々と勝てる程、筋肉を集中的に鍛えているわけではない。
少しずつ、下がってくる腕は二度と上へ持ち上げることは出来ずに、なされるがままだ。
「っ……」
歯を食いしばり、振り下ろされる剣に耐えようと力を入れても、それ以上の力で押しつぶされそうになってしまう。
後ろに下がることは、自分に許していない。それでも、受け止める力の限界というものは、必ずくるものだ。
ケルンが大剣の柄を握る手に力を入れたのだろう。今まで以上に強い力が交える剣越しに伝わってくる。
「ぐっ……」
沈みそうになる身体を叱責しても、自分の希望する想像通りの動きが出来るわけではない。
動かない身体に動けと言っても、望みを叶えるための強い意思だけを持っていても、必ずしもその通りに行くとは限らないのだ。
「ほら、どうした。あんたの力はそこまでか?」
余裕のある表情でケルンがにやりと笑っている。それは嘲笑などではなく、アイリスの気合の真意を問うような笑みにさえ見えた。
 




