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意思

 

「クロイド……。あなたは自分のことを呪われた人間としか思っていないのかもしれないけれど、私にとっての相棒はあなたしかいないんだから……! あなたの存在価値なんてそれだけで十分なの!」


 届けば、それでいい。

 慰めよりも、彼が必要なのは共有。


 結局、クロイドも寂しかったのだ。

 ずっと独りで生きてきて、自分の気持ちを分かってくれる人が居なくて。


 だから「呪われた」ことを嫌い、自分自身を嫌いになってしまった。


 ……でも、それは間違いよ、クロイド。


 アイリスは深呼吸してから、まるで流れる水のように短剣を結界に向けて横に一閃を薙いだ。


「止めたまえ……。今更、そのような剣で……。――っ、なに⁉」


 それまで呆れた表情をしていたメフィストが、こちらに振り返ると同時に目を剝いた。

 彼の紅い瞳は見ているものが信じられないと表現しているようだった。


 アイリスはメフィストの表情を見て口の端を緩める。

 やはり、自分の読みは当たったようだ。


「これは聖剣よ。聖なる魔法で鍛えられた物。……悪魔ならこの意味が分かるでしょう?」


「そんな馬鹿な……。私の結界が聖剣ごときでっ……」


「これを作ったオルボールは鍛冶屋でもあり、魔法使いでもあったけれど……自分の人生を狂わせるほどに神を信仰していた狂信者でもあったのよ」


 祈りが込められた「戒めの聖剣」。

 それは犯した罪を裁く意味もある。


 だが、元々この剣は自分が信じていたものに対して少しでも不審を抱いたり、裏切った事を戒めるために、自分自身を傷付けることを目的に作られたと聞いている。

 また、戒めの聖剣を使ってきた歴代の所有者の中には、この剣を悪魔を調伏する際に使用したという記録も残っていた。


 それならばなお更、この場で使うに等しい剣だと思ったのだ。


「……クロイド」


 彼はまだ、魂と心を手放してはいない。

 アイリスが名前を呼んだ一瞬、反応したのが見えた。


「あなたは自分自身を恐れているだけよ。魔犬になってしまうんじゃないかという恐怖にね。でも、私はあなたを怖いなんて思えないわ」


 ただ不器用で心をどう表現すればいいのか分からない、優しくて、温かい人。

 言葉だけでなくクロイドの全てを以て、彼がどういう人なのか、自分は知っている。


 クロイドと出会ってから感じて来たものをこの胸に確かに刻んでいる。

 彼の優しさ、頼もしさ、強さ、弱さを見てきた。


「それでもあなたが、全てが怖いと思うのなら私が守ってあげる。私が一緒に進んであげる。だから……。――だから私と一緒に戦いなさい、クロイド!」


 アイリスは結界に向けて今度は先ほど引いた線の上に重ねるように、次の一閃を縦に真っ直ぐと薙いだ。


 見えない結界に二本の線が浮き上がる。

 赤く血塗られた剣で描かれたのはアイリスの血によって刻まれた十字だった。


「なっ……。十字だとっ⁉」


「そうよ。あなた、嫌いでしょう?」


 動揺するメフィストに対して、アイリスは不敵な笑みを浮かべる。


 短剣の柄を強く握りしめて、アイリスはその一撃に全ての感情を込める。躊躇うことなく、自らの血で描いた十字架の真ん中を思いっきりに貫いた。


 びしりと乾いた音が響く。


「嘘だ……。そんなこと有り得ぬ……。小娘の手で壊されるなど……」


 透明な結界が、窓ガラスが割れたように粉々に砕け散っていくのが分かる。


 結界の欠片の雨が散らばる向こう側に佇んでいるクロイドをアイリスは真っすぐと見つめていた。

 ――クロイドの片目から一筋の涙が零れるところを。


 彼はまだ震えていた。それでもクロイドの黒い瞳は水面のように大きく揺れ動いている。

 何かを抑え込むようにしながら、クロイドは息を吐くと同時に言葉を零した。


「……アイリス。……本当に……俺で良いのか? 俺は……」


 後悔はないのかと問いかけてきているようだった。

 自分が相棒でいいのかと。


「良いのよ。だってそれが今のクロイドでしょ? 私は今のあなたと相棒なんだから」


 にこりとアイリスが微笑む。

 それを見てクロイドはまるで全てを悟ったように穏やかな表情をして、静かに口元を緩ませる。

 初めて見る彼の微笑みは年相応の少年の顔をしていた。




「……クロイド。これはあなたにしか出来ないわ。――ううん。あなたがやるのよ、クロイド」


 そう言ってアイリスは「悪魔の紅い瞳」をクロイドへと手渡す。

 瞳に力強さが戻り、クロイドは濡れた目元を服の袖で軽く拭ってから、アイリスに向けて深く頷いた。


「……あの本はこのためだったんだな」


 アイリスはクロイドにとある本を貸していた。

 それは「悪魔」の調伏と封印に関することが記載されている本だ。頭の良い彼なら、既に熟知しているはずだ。


「もう、覚えているでしょう?」


 アイリスが訊ねると彼は小さく頷いた。

 自分がやらねばならない事をすでに、心に決めているらしい。



「さて……。結局、あなたの契約はどちらも上手く行かなかったみたいだけれど?」


 アイリスは短剣の先を呆然としたままこちらを見ていた悪魔へと向ける。


「何故だっ……。何故、そこまでして拒む……。叶うのだぞ! どんな願いも、全て! 何もかもだ!」


 宙に浮かぶメフィストは自棄気味に叫ぶ。その癇癪(かんしゃく)の起こし方はまるで、お願いを聞いて貰えなかった子どものようだ。


「結局、人間には悪魔と根本的に違う考え方や感情があるのよ。それをあなたは知らないだけだわ」


 独りだから嘆くのではなく手を差し伸べてくれる人の力に頼り、人に寄り添い、全てを投げ出さずに立ち向かう。


 それは優しさでもあり、厳しさでもあり、そして勇気とも呼べる。

 その心があるかどうかで人は大きく変われるものなのだ。


 隣にいたクロイドが、空中に浮かぶメフィストに視線を向けて、一歩を大きく踏み出す。

 何かを決意したようにも見える彼の横顔は先程までとは違って、迷うことなく真っすぐと前だけを見ているようだった。


「……俺の存在は、今ここに在る。それは他に代わりがないという意味があることだ。だから、俺は自分の意思で全てを決める。お前の力になんか頼らない。他の方法で自分にとっての最善を見つける。――それが俺の答えだ、メフォストフィレス!」


 はっきりと力強く意思を告げる。

 クロイドがこれほど自分自身を主張したのは初めてなのだろう。

 それは彼の人柄を見ていれば分かった。 



「……これだから、意思が揺らがない人間は嫌いなんだ」


 ぱちんと悪魔は指を鳴らす。

 その音が合図となり、そこらに散らばる数えきれない瓦礫が宙に浮かび始めた。


「――風薙ぎの翼(ヴィントホーゼ・アラ)!」


 クロイドの手からいくつもの小さな風が発生し、やがてそれは大きな竜巻を起こして宙に浮かぶ瓦礫を巻き込んでいく。

 竜巻の中で瓦礫達は荒れ狂うように回転すると、それらは空中で形を崩し始め、全てが一瞬で砂へと化す。


「願え! 傲慢で愚鈍なる人間共よ! 我輩が全てを叶えてやる!」


 狂気に満ちた表情でメフィストは叫ぶ。

 だが、彼のその叫びに答える者など、ここにはいない。


「……そこまで願って欲しいなら、願ってやるよ」


 クロイドは「悪魔の紅い瞳」を強く握り締める。彼が行おうとしている事は分かっていた。

 だから、自分は彼を信じて己の役目を全うすればいいだけだ。


 瞬間、クロイドによって彼の魔力が込められた紅い石が眩い光を強く放った。

  

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