包帯
魔具調査課へと戻ったアイリスは、魔具調査課に完備されている救急箱の消毒液と包帯を使って、簡単な処置を受けていた。
「はい、これで大丈夫よ~。まぁ、見た目は重傷に見えるけれど、血は止まっているし、暫くしてから包帯を取っても構わないからね」
ユアンが手際よくアイリスの額の傷の処置を施してくれたため、とりあえずは安心してもいいだろう。
ユアンに借りた手鏡に自分の姿を映してみると、額を数周巻いた白い包帯がそこにはあった。
顔を埋め尽くしていた血は、ユアンによって丁寧に拭き取られており、少し血の匂いが残っているだけで、いつも通りの顔へと戻っている。
「ありがとうございます、ユアン先輩」
「いえいえ~。でも、気を付けないと駄目よ? 可愛いのに、顔に傷が出来たら悲しいわ」
「……はい。気を付けます」
苦笑しながらアイリスが答えるとユアンは困ったような笑みを浮かべつつ、救急箱と手鏡を手に取って彼女の席へと戻っていった。
アイリスはそっと傷が出来た場所に自らの左手を添えてみる。痛みはエリックの魔法によって抑えられているため、何も感じなかった。
背後に気配を感じたため、何となく振り返るとそこにはクロイドが暗い表情のままで立っていた。
「クロイド、どうしたの?」
確かに怪我をしないように気を付けろと彼には言われていたので、その約束を破ってしまったことに最初は怒っているのだろうかと思ったが、何だが様子が違うように思えて、アイリスは首を傾げる。
「……アイリス。君は……」
しかし、そこでクロイドは口を噤んだ。何か言いたいことがあったのだろうが、それ以上言葉を続けるのを迷っているようにも見える。
「――ほら、応急処置が終わったなら、アイリスもこっちにおいで。クロイドもアイリスが心配なのは分かるけど、次の試合のためにはお腹を満たさないと」
エプロンを付けて、腕まくりをしているセルディが料理の盛られた皿を左手に持って、右手でこちらに来るようにと手招きしてくる。
アイリスはクロイドに軽く目配せすると、彼はまだ何か言いたげな表情をしていたがすぐに頷き返し、昼食の席に着くことにした。
大盛りの料理が並んでいる長い台を囲うようにソファと椅子が並べられており、先輩達だけでなくミレットとエリックもすでに椅子に座って昼食を摂ろうとしていたようだ。
台の上に並んでいる料理はセルディ一人で作ったのだろう。ミートパイやローストビーフ、サンドウィッチといったものが山のように並べられていた。
しかし、これ程の料理を人数分作るのはそれなりに時間がかかったはずなのに、セルディはその大変さを見せることなく、楽しそうに料理を切り分けていた。
「おおー……。これ、全部作ったの? さすがはセルディ。もう俺、お腹空いちゃって倒れそうだったよ」
「倒れそうって、ミカは何もしていないだろう。魔法部門で参加するわけでもないし」
呆れ顔でナシルがわざとらしく溜息を吐くとミカは唇を小さく尖らせていた。
「全力で応援していたじゃん。頑張れーって」
「……ミカが言うと余計にやる気が削げるな。……セルディ、お酒はないのか?」
さっそく、昼食を食べようとしていたナシルが顔を上げて、セルディに訊ねる。
「ないです」
はっきりとした声でセルディは真顔で答えつつ、料理が盛った皿をアイリスとクロイドに渡してくる。
「ありがとうございます」
「……いただきます」
皿の上に盛られたローストビーフの一切れを借りたフォークを使って、アイリスは口へと含んだ。
薬味に知らない味が使われており、セルディの隠し味だろうかと思いつつ、アイリスは肉の欠片を飲み込んだ。クロイドの料理も美味しいが、セルディの料理も一つ違った味がして美味しかった。
「……ナシル。武闘大会期間中とは言え、仕事と同じだから、今の時間も給料を貰っているんだよ。つまり、仕事時間内にお酒を飲むなんて、ありえないってこと」
「だが、美味い料理にはお酒が必要だろう。それに期間中にお酒を飲むなと決まっていないし、言われてもいない」
「このお酒中毒者め……」
しかし、この場にお酒の瓶は置かれていないため、セルディがあらかじめ飲ませないように用心しているのが窺えた。
ちらりとミレットとエリックの方を見ると二人とも、美味しそうにセルディが作った料理を食べており、魔具調査課が揃うこの場に馴染んでいるように見えて、アイリスは思わずほっと安堵の息を漏らす。
ミレットは魔具調査課の先輩達と面識はあるようだが、エリックは今日が先輩達と初対面だ。
緊張しやすい性格のエリックだが、思っていたよりも馴染んでいるように見えるのはユアンとレイクが、エリックが気負わなくても良いようにと気遣いながら話しかけてくれているおかげだろう。
二人はよほど、エリックのことを気に入ったらしく、会話も弾んでいるようだ。
その一方で、アイリスの隣に座っているクロイドは先程から無言である。やはり、試合中に傷を負ってしまったことを気にしているのだろうか。
……傷が塞がったら、あとで包帯を取ろうかな。
包帯を頭に巻いているだけで、重傷のように見えるのかもしれない。自分としては、それほど気にしていないが、やはり周りから見ればつい痛々しいように見えてしまうのだろう。
実は、服の下には任務中に作ったかなりの傷が隠れている。昔は生傷が絶えなかったが、今はそれほど怪我をしなくなった方だろう。
多分、よく注意するようになったのはクロイドと相棒を組んでからだ。
彼は自分が怪我をすることを良く思っていないので、悲しい顔をさせたくなかったため、前に比べて自分の身体を大事にするようになったのかもしれない。
クロイドはまだ難しい顔をしたままだ。
あとで一言、何かを言っておいた方がいいだろうかと思っていると、何かを思い出したようにアイリスの目の前に座っていたロサリアが皿から顔を上げた。
「セルディ。……そういえば、ブレア課長は?」
その場にいた面々も、重要なことを思い出したように顔を上げて、セルディへと視線を向ける。するとセルディはどこか気まずそうな表情をしながら頬を掻いていた。
「……実は……眠って貰っているんだ」
「は?」
申し訳ないと告げるような口調でセルディは言葉を続ける。ロサリアはどういうことだと言うように眉を深く寄せて、首を傾げる。
「ブレア課長をずっと見張っていたんだけれど、どうしても試合に参加すると言って駄々をこねたんだ」
「……」
ブレアは良い大人であるがそんな彼女が駄々をこねるほど、武術部門の試合に参加したかったらしい。 何となく安易に想像出来たが、周りの者は想像出来なかったらしく、口をぽかりと開けている者もいた。
「だから……用意した昼食と一緒にちょっとだけ、お酒を飲ませたんだけれど、そのお酒にこっそりと睡眠薬を……」
「セルディ、やる事がえげつないっ!」
ミカにしては珍しく動揺しているのか、大声を上げた。反論するようにセルディは苦い表情のまま首を横に強く振る。
「仕方なかったんです! 抑えるのにも限度があるんですよ! 力技であの人に僕が勝てると思いますか!」
「思わない」
「ほら、そうでしょう!」
ブレアを眠らせたのは苦肉の策だったらしく、セルディは右手で頭を抱えていた。口から漏れだす息はかなり深く、彼の気苦労が窺えた。




