血の色
「――第十試合。……始め!」
審判による、試合開始の声が響き渡り、その場は武器を構えた者による気合の声が響き渡る。
しかし、余所見をしている暇はなく、アイリスは早速、一撃を放ってきたセングの双剣を数歩後ろに跳ぶようにしながら避けた。
間合いを測るよりも先に彼は先手を取ることを選んだようだ。
「っ……」
避ける瞬間に、自らが手にしていた長剣がセングの剣に微かに弾かれた感触がした。手に響く感触を確かめるように、思い出しながら、アイリスはきっと睨むようにセングを見据える。
「……あんたとは、一度やり合ってみたいと思っていたんだ。……真紅の破壊者」
「……」
以前、魔物討伐課に所属していた時にセングの顔を見かけることはあっても、名前までは知らなかった。
そもそも、手合わせした中で双剣使いがいたことはないため、この試合は思っているよりも一筋縄ではいかないだろうとアイリスは察していた。
……剣捌きが思っていたよりも早いわね。
双剣という両手で持つ武器を扱っているのに、彼はまるで二本の剣を自分の一部のように扱っている。軽く腕を回すように剣を回しているが、その風を切る音でさえ、鋭いものだ。
「確か、去年は武術部門で16位まで上っていたよな?」
セングはそう訊ねつつも攻撃を続けることに抜かりはないようで、すぐに次の一撃を放ってきた。
アイリスは一本目の剣を自身の長剣で受け止めつつ、二本目の攻撃を避けるべく、一本目の剣を突き返しながら、素早く後ろへ下がった。
その瞬間、セングの二本目の攻撃がアイリスの鼻先を微妙に掠めていく。
「……」
あと一歩、前に居たままだったなら、完全に顔に攻撃を受けていただろう。どうやらこのセングという男は相手が女でも容赦はないようだ。
その方が、こちらも本気で立ち向かえるので気は楽なのだが。
「つまり、あんたを破れば、俺は大きく優勝に一歩近づけるということだな!」
「……あまり、喋ると舌を噛むわよ!」
後ろに引いてばかりではいられないと思ったアイリスは大きく右足を踏み出し、左から横に一閃を放った。
「うおっ……」
アイリスの放った一撃は、セングの交差された双剣によって易々と防がれてしまう。
「はぁ~……。思っていたよりも重い一撃だな。……師匠は確か、ブレア・ラミナ・スティアートだったか?」
「……詳しいのね」
アイリスは長剣の柄を握り直す。渾身の一撃を放ったが、双剣によって一撃に込めた力が分散され、衝撃を抑えられてしまったようだ。
「自分より強い奴の名前は覚えているんだ」
にやりと楽しそうにセングは笑って、剣を構え直す。攻撃に容赦はないが、性格は真っすぐのようで、特にアイリスのことを見下すような態度は取って来ない。
……陰湿な感じはしないけれど、打ち筋が読みにくいわね。
剣一本による攻撃なら、ある程度の攻撃は読めるため、打ち返すことも避けることも可能だ。
だが、剣を二本持っているとなると、二本目の攻撃にも気を配らなければならないため、注意が分散してしまうのだ。
静かに息を飲み込んだアイリスは剣を構えつつ、次の攻撃を読むべく、セングの剣筋に集中した。
・・・・・・・・・・・・・
第十試合が開始されて、どれくらいの時間が経ったのかは、周りで試合終了の合図となる勝者の名前が次々と審判から告げられている声でしか確認は出来なかった。
「ほらぁっ! 動きが鈍くなっているぜ!」
「……っ!」
セングが両手に持った剣を、鹿が自らの角で下から上へと突き刺すように攻撃してくる。
一本の剣は長剣で何とか防ぐことは出来たが、セングの右手に握られている剣の攻撃を完全に避け切れなかったアイリスは額の左上に彼の剣筋が鋭く掠めていった。
「っ……」
木製の剣とは言え、武器は武器だ。恐らく、額を切ったのだろう。じわりと鋭い痛みと共に、鼻の奥に慣れた匂いがすっと入って来た。
……クロイドには勝つと答えたのに、これじゃあ、みっともない姿を晒しているだけだわ。
額が切れたことで流れた血が入らないようにとアイリスは左目を瞑った。片目を閉じている以上、左側の死角が多くなったのは確かだ。
「……降参しろよ。傷を負わせた俺が言うのも何だが……。顔、酷いことになっているぜ」
本当に心配しているらしく、セングは攻撃をやめて、アイリスの表情を窺っているようだ。
確かに片目を閉じたまま、双剣の使い手と戦うのは骨が折れると思うし、何より無茶だと思われるかもしれない。
だが、負けるわけにはいかないのだ。勝たなければならない。その理由は何か、もう一度アイリスは自分の胸に問いかけようとした。
しかし、頬を伝った雫がぽつりと足元に落ちていく。
「……」
呼吸を整えながら、アイリスは足元に落ちた雫を一瞥する。
落ちたのは赤。
――真紅と呼べる程に鮮やかで残酷な色。
「――っ」
思い出せ。何のために、自分は剣術を鍛えて来たのかを。
奮い立たせろ。弱い自分は何をするべきかを。
脳裏に浮かぶのは、記憶の隅に置いていた血の海の光景。その色は誰の血によって染められたのか自分は知っている。
最初から、分かっていたはずだ。自分のこの剣が何のために磨かれて来たのか。
それを思い出したアイリスは試合中にも関わらず、天井を少し見上げながら深い溜息を吐く。そんなアイリスの様子をセングはどこか奇怪なものを見るような瞳で見てきた。
アイリスは長剣の剣先をセングに牽制するように向けつつ、左腕の袖で額を覆うように流れている血を素早く拭った。白いシャツの左袖を染めたのは色鮮やかな生々しい色。
自分はこの色を嫌というほど見て来た。そして、その色がどんな時に流れるのかを知っている。
……負ければ、死がある。そう思えば、何も怖くなんかない。だって、進むだけでいいもの。
両目を開いて、アイリスはゆっくりと笑みを浮かべる。自分ではどんな笑みを浮かべているのかは分からない。
だが、目の前のセングの表情が引き攣ったように見えたため、恐らくまともな表情はしていないのだろう。
「――さぁ、続きをしましょうか」
アイリスが剣を再び構えるとセングはどこかはっと何かに気付いたような表情で眉を寄せていた。
「……真紅……」
ぼそりと呟かれるセングの言葉を無視するようにアイリスは、一歩を大きく踏み出す。それは先程とは違って、腰を少し低く落として、下から上へと這い上がるような一歩だった。
「――っ!?」
それまでとは違う、予想していなかったアイリスの動きにセングは一歩、後ろへと下がった。
引き攣った表情のままでセングはアイリスの一撃を受け止めようと再び、双剣を交差させる。
だが、セングが構えていた交差した双剣は、アイリスの横薙ぎの一撃によって大きく形成を崩していく。
「っ、あ……!」
ゆっくりと流れるように、セングの両手から双剣が離れていく。セングの防御よりも威力が大きかったのはアイリスの一閃だった。
アイリスの一撃はよほど重かったらしく、セングの双剣は一つ向こうの試合会場の方まで吹き飛んでいた。
しかし、そんなことを気にしている余裕などアイリスにはなかった。振り払うように放った一撃をもとの位置に戻すには時間がかかる。
そのことを分かっているのか、手元から武器を失ったセングも急いで後方に下がろうと左足を一歩後ろへと踏み出しかけていた。
……逃がさない。
アイリスは放った一撃が手元に戻るまでの間、次の行動へと出る。追い討ちをかけるように自身の右足でセングの右足を思いっ切り引っかけて、体勢を崩させたのである。
「っ!?」
まさか、足を引っかけられると思っていなかったのか、セングはそのまま後ろへと尻餅をつけるように身体を斜めへと倒していく。
自身の剣が構えやすい位置に戻って来たことを確認したアイリスはそのまま、倒れたセングの身体を覆うように追撃する。
――ダンッ。
鈍い音が試合会場の床に響き、その場が一気に静まった。
誰もがアイリス達の試合に目を向けているのか多くの視線を感じたが、それさえも無視したまま、アイリスは自分の真下にいるセングを据わった瞳で真っすぐと見ていた。
「……」
アイリスが追撃するように覆いかぶさったセングは目を見開いたまま、アイリスを凝視している。
彼の首元に添えるように触れているのはアイリスの長剣の刃先だった。




