双剣
「初試合にしては、よくやった方じゃねぇの?」
クロイドが試合会場から帰って来た途端に魔具調査課の先輩達に囲まれて、頭を撫でられたり、軽く肩を叩かれたりしていた。
先輩達もクロイドの初勝利を心から喜んでいるらしく、皆が笑顔のままだ。
「状況に応じた、あざやかな魔法の手捌き、中々の見物だったぞ」
「しかも、動体視力も半端ないし。……さすがは魔具調査課、期待の新人って感じだねぇ」
クロイドの勝利に対して満足気に先輩達は何度も頷いては、彼の頭を撫でまくっている。
しかし、クロイドは人から頭を撫でられることにあまり慣れていないようで、彼にしては珍しく気恥ずかしそうに頬を赤らめていた。
恐らく、褒められて照れているのだろうが、見ていて可愛らしく思えたため、アイリスは助け船を出さないまま、その様子を和やかに見守ることにした。
「さて、次はアイリスの試合よね」
隣にいたミレットがぱっとこちら振り返る。彼女の頭の中にはすでに試合の順番だけでなく、対戦相手の名前と情報も並べられるように用意されているのだろう。
「武術部門は試合会場が違うから、移動が大変だよなぁ」
「でも、魔具調査課から武術部門に参加していたのはロサリアだけだったし、今年はまた一つ、見る試合が増えて嬉しい限りだ」
さっそく、アイリスの試合を見るためなのか、武術部門の試合が行われている訓練場に向かうべく、先輩達は移動を始める。それにつられるようにアイリスも歩き始めた。
クロイドの試合の後、少し用があるからと言って今はエリックがその場から離れているが、アイリスの試合までには絶対に戻って来るのでと言い残して急ぐように走り去っていた。
恐らく、あとから訓練場で催されている試合会場で合流する気なのだろう。
先輩達に褒められた上に撫でられたクロイドは少々、髪型を崩した状態でアイリスのもとへと戻って来る。
「初戦突破おめでとう、クロイド。あなたの試合、凄く良かったわ」
他の先輩達やミレットに聞かれない声量でアイリスは呟きつつ、クロイドの頭にそっと手を伸ばして、乱れた髪をなおすように手を櫛の代わりにしながら、優しく撫でていく。
こちらが思っているよりもアイリスが撫でる手の心地が良かったらしく、クロイドは嬉しそうに口元を緩めて、少しだけ頭を下げて来た。
甘えているのか、積極的に頭を下げて来るのは、乱れた髪を直して欲しいということだろう。
アイリスは苦笑しつつ、ゆっくりとクロイドの頭を撫でていく。他の先輩達から少し距離を置いて、一番後ろで二人並んで歩いているので、誰かに今の行動を見られることはないだろう。
誰かが見ている前だと、クロイドに触れる事さえ、恥ずかしくて出来るわけがない。
「……ん、ありがとう」
「どういたしまして」
満足そうにクロイドは顏を上げる。アイリスに頭を撫でられたことが余程、嬉しかったのかその口元は緩んだままである。
隣を歩きつつ、アイリスはクロイドを少し見上げるようしながら、気にかけていたことを訊ねてみる。
「ねぇ、さっきの試合相手のことなんだけれど……」
「あぁ。以前、アイリスが叩きのめしていた魔物討伐課の奴の相方、だろう?」
「やっぱり、気付いていたのね」
応援席からだと、詳しい内容までは聞き取れなかったが、最後にフランクはクロイドを呼び止めて何かを言っているようだった。
何か気分を害するようなことを言われなかったか少し心配していたが、クロイドの表情は柔らかいままで、特に機嫌が悪い様子は感じられない。
「大丈夫だ。特に嫌なことは言われなかったし。……それに試合には勝ったからな」
顔を上げた視線の先のクロイドは小さく口の端を上げて、悪戯が成功した子どものように笑っていた。
「……あなたが、いいって言うなら、それで構わないのだけれど……。でも、もしまた突っ掛かって来るようなら、今度は私が相手をするわ」
意気込むようにアイリスが鼻を鳴らしながらそう言うと、クロイドは小さく笑って、彼の左手をアイリスの頭の上へと優しく載せて来る。
「俺の相棒は優しい上に頼もしいな」
大人びた表情でクロイドは柔らかく笑い、優しく頭を二回撫でるように叩いてきたのだ。
「っ……」
思わず、クロイドの笑みに胸の奥が大きく脈打ってしまったアイリスは紅潮する頬を見られないようにとすぐに視線を逸らす。
「そ、それはそうよ。だって、あなたは私の大事な相棒だもの」
アイリスはぶっきら棒にそう答えつつ、クロイドの手から逃れるように数歩早く前へと歩いた。
頭の上に触れていた温かな手がそっと離れていくと、鼓動が次第に安定すると同時に少し惜しいことをしたという後悔がぽつりと心の中に浮かんでくる。
しかし、はやる鼓動のままで自分の試合に挑むわけにはいかないので、選択肢としては正しいことをしたと自分自身に言い聞かせた。
「アイリス」
名前を呼ばれたアイリスは、数歩先に進んでいた足を緩めて、クロイドの方を少し振り返る。彼は穏やかな表情で自分を真っ直ぐと見ていた。
「次の試合、怪我をしないように気を付けろよ?」
優しく諭すような声色に、アイリスはくすりと笑ってしまう。
「絶対に勝利をお届けしてみせるわ」
自分の実力を過信しているわけではないが、初戦で負ける気は更々ないため、少々強気でアイリスがそう答えるとクロイドは納得するように苦笑しながら頷き返す。
二人は再び並んで、先に進んでいる先輩達の後を追うように早足で歩いた。
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普段、アイリスが剣術の鍛錬を行なっている訓練場はかなり広いため、設けられている試合会場は思っていたよりも多いようだ。
その中でアイリスの試合会場は一番端に設けられた場所だったため、あまり目立ちたくはないアイリスは少しだけ安堵の息を吐いていた。
自分の得意武器である木製の長剣を武闘大会の進行役から受け取ると、手に馴染むかどうか何度も確かめる。
普段、使っている剣と比べると木製の剣はかなり重さが軽い。この軽さが今後、良いものとして出るか、それとも悪い影響となるのかは自分の技術次第だろう。
アイリスは応援席の方からこちらを見守っている魔具調査課の面々とミレット、そしてかなり急いで走って来たのか汗を噴き出しているエリックの姿を目に留める。
あの場にいる者全員が自分の勝利を望んで応援してくれている。それならば、自分がやるべきことは一つだろう。
ふっと息を吐いてから、アイリスは木製の剣を軽く薙ぐように横に振った。風を切る心地いい音に耳を向けつつ、もう一度、息を吐く。
緊張はしていない。身体も震えてはいないようだ。視線を感じる背中には、期待と不安と心配が集中的に降りそそがれているのが感じられる。
どうやら試合相手も会場入りしたらしく、アイリスから5メートル程離れた場所へと歩いて来て、立ち止まった。
……確か、試合表に書いてあった名前は……魔物討伐課のセング・ガルディアだったわね。
アイリスよりも少し年上に見える試合相手の青年は、自分の武器である木製の剣を軽く素振りして、感触を確かめていた。
しかし、気付いたことが一つある。
……双剣使い。
セングが持っていた剣は一本ではなく、二本だったのだ。それぞれの剣はアイリスが持っている長剣よりも少し長さが短いもののようで、セングはそれを同時に振っては風を切る音を確認している。
……この試合、そう簡単に勝てるか分からないわね。
油断するつもりなどはないが、双剣を得物とする相手と戦うのは初めてだ。アイリスは気合を入れ直すように両足に力を入れて、改めてセングへと向き直った。




