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呪い

 

「クロイド……?」


 有り得ないと思いたかった。

 それでもクロイドは横に首を振ってはくれなかった。


「ふふっ……。お嬢さんは知らないのかい? ――魔犬(まけん)は魔力の高い人間に呪いをばら撒くのだよ。その呪いはかけられてから百五十六回目の満月を迎えると完成し、魔犬に呪われた者は人間から完全な魔犬へと姿を変えるのさ」


 メフィストはクロイドを嘲笑うように、高々とそう告げる。まるで、クロイドの心の内を全て知っていると言わんばかりに。


「魔犬からかけられた呪いは、どんな魔法を使っても消える事は無い。隣に居る彼はまさにそうだ。――知らなかったのかね?」


 知るわけがない。

 クロイドが抱える秘密を自分は何も知らないのだ。


「……」


 メフィストから告げられる言葉に、アイリスは呼吸することさえも忘れていた。

 視線をクロイドに向けても、彼は何も答えない。だが、クロイドの震える背中は、メフィストが言っている事が事実だと肯定しているようだった。


 ――魔犬へとその身を変えてしまう呪い。


 それがクロイドにかけられた本当の呪いの真実だったのだ。犬へと変身する呪いではない。

 

 人間から魔犬へと存在が変わってしまう、魔犬自らが振りまく呪い。

 人間(・・)魔物(・・)へと変わる呪いなのだ。


「憐れな子だ。君という人間の存在はすでに終わってしまっているのだな。その呪いが解ける事など、奇跡が起きない限り、有り得無いのだよ」


 クロイドの肩が再び大きく震える。


 彼もまた自分と同じように魔犬の被害者なのだ。彼が望んで呪いの身となったわけではない。

 それなのに一瞬でも心に溝が出来てしまったと感じた自分が恨めしいくらいだ。


「うるさいわよ……メフィスト」


 クロイドを庇うようにアイリスが悪魔へと立ちはだかる。

 足に力を入れて、抱く恐怖さえも捨てて、ただ真っ直ぐと悪魔を見据えた。


「彼は憐れなんかじゃない。呪われているとしても、自分自身と戦っている事を私は知っているもの」


 クロイドが彼自身に役割があるのだと自覚し、魔法が使えないアイリスの行動を補うために魔法を勉強していることを自分は知っている。


 自分の隣でクロイドが戦ってくれるのだと知り、喜びと安堵した気持ちで心がいっぱいになった時のことをしっかりと覚えている。


 そして、もう独りでは無いのだと、隣に相棒として居てくれるのだと感じた嬉しさを自分はまだ彼に伝えていない。


「クロイドの存在はちゃんと意味がある事よ。知ったようなふりをして彼を語らないで!」


 右足の踵を三度叩くように鳴らして、アイリスは強く床を蹴ってメフィスト目掛けて一撃を放った。

 しかし、メフィストの視線はすでにアイリスから逸れていた。


「ああ、君も面白いけれど……。次はあの子かなぁ……」


 攻撃をするりと避けられたアイリスはそのまま床の上へと着地する。

 だが、メフィストの嘲笑を含んだ視線の先には暗い表情をしたクロイドが一歩も動けずに居た。


「ほら、おいで……。さぁ、契約をしようじゃないか。君と我輩の命の盟約を。(ちぎ)ればどんな願いも叶えてあげよう。不老不死も最高の栄華も全ての願いを叶えてあげよう。そう、君が望むその悲痛な願いさえも」


 悪魔のその囁きはまるで歌うようだった。

 優しい声で子どもをあやすように静かに囁く。

 悪魔はこのように囁くだけで、相手を呪縛してしまう能力を持っているのだ。


「クロイド! そいつの言葉を聞いちゃ駄目っ!」


 アイリスが止めるためにクロイドのもとへ駆け寄ろうとしたが途中で何か透明な壁のような物に勢いよく身体が当たり、先へと進めなくなってしまう。

 クロイドと自分の間には、遮るための壁がいつの間に形成されてしまっていたのだ。


「……どんな……願いも……」


 クロイドの黒い瞳が次第に虚ろなものへと変わっていく。


 絶望の淵に沈んでいる時に小さな希望が見つかれば、人は全てを捨ててまでそれに縋ってしまうことをアイリスは知っていた。


 アイリスは虚ろな表情をしているクロイドを見て、ゆっくりと首を横に振った。


「駄目よ……。クロイド、駄目っ……!」


 それでもアイリスの叫びは届かない。


「魔犬に呪われた者よ。君の名前を聞こうか……」


 悪魔との契約で自らの名前を語ってはいけない。

 真の名前を語ってしまうと心だけでなく、魂を支配されかねないからだ。


「クロイド! やめて! お願いだから……言っちゃ駄目―――」


 アイリスは見えない壁に向かって長剣で攻撃を繰り返す。

 その間にもクロイドはメフィストへと少しずつ近づいていく。


「見苦しいよ、お嬢さん。悪魔が作った結界をそう簡単には壊せやしないさ」


 メフィストは肩越しに振り返る。帽子の下で浮かべる笑みは、どこか勝ち誇っているもののように見えた。


 駄目だ。

 クロイドをそちらへ行かせては行けない。


 ……それなのに、私は……っ!


 クロイドが何かに悩んでいる事も、他人を自身に近づけさせないようにわざと距離を取っているのも知っていた。

 そして何かを恐れている事も。


 きっと全部、自分のためだったのだ。魔犬に家族を殺された自分を気遣っていたのだ。

 それを知らないままで、彼の隣に立っていたことが途端に憎らしく思えた。



 心を凪のように深く静めて。自らが抱く恐怖を隠して、耐えて。

 そうやって独りで生きて来たのだ。


 もう、何も話さなくても全てが分かっていた。


 彼がいかに自分に似ているのかを。

 頑固で、お節介で、それでも人一倍に寂しがりやなのだと。


「……あなたは馬鹿だわ。……大馬鹿者よっ! 私なんかに気を遣って……。そんな奴に自分の魂を売ろうとして! ……どうして諦めるのよ……! 約束したのに……約束したのにっ!」


 命をかけても、絶対に死なないと。


 アイリスは零れそうになる涙を留め、唇を噛み締める。


 彼は今、放心状態だ。

 心を悪魔に完全に奪われる前に、我に返らせなければならない。


 ……諦めようとしているのは私の方じゃないっ……!


 まだ、悪魔はクロイドの心を完全に掌握仕切れていない。

 それならば、まだ間に合うのだ。こちら側に戻せるはずだ。


 アイリスは長剣を一度、鞘へと収めてから太ももに下げている短剣を抜く。

 「戒めの聖剣」と名付けられたそれは銀色に静かに光っていた。澄み渡る刃はまるで獲物を狙う獣のような瞳に見える。

 しゅっと一振りすると心地良い風切り音が響いた。


「無駄だよ。いい加減に諦めたまえ」


 メフィストが頭上から呆れた声で話しかけてきても、構わなかった。


「……悪いけれどこう見えて私、強欲なの。諦めきれないのよ、何もかもね」


 アイリスは小さな痛みを我慢して、左の人差し指を剣先に触れさせた。滴る血をその刃渡りへと滑らせるようにすっと撫でていく。


 聖なる血は邪悪なるものを切り裂く力がある。

 アイリスは自分の中に流れる偉大なる魔女「エイレーン・ローレンス」の血を信じた。例え、魔力がなくてもその血は受け継がれているはずだ。


 だからこそ願う。

 この一振りに全てを込めて。


 大事だと思うものを守り切るために。


「クロイド!」


 これが自分の持つ切り札だ。彼の心に届くだけで良い。

 ほんの少しでも聞いてくれたらそれで良いのだ。

 

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