媒体
「透き通る盾」
フランクが魔法を放つよりも早く、クロイドは背後に立っている木製の人形に向けて結界魔法をかけた。
人形を囲むように狭い範囲で結界がすぐに形成されていくが、その結界の中に自分は入ってはいない。結界は範囲を狭めた方がより強固な盾となるため、わざと自分を結界の外へと置き、木製の人形だけを守ることにした。
フランクからは何の魔法が最初に放たれるのか見極めようとしていると、彼の右腕がこちらに向けてかざされる。
「束縛せよ!」
「っ!」
最初に放ってきた魔法は、対人と対物に通用する束縛魔法だった。攻撃魔法が来ると読んでいたため、まさかの魔法にクロイドは対応出来ないまま捕らわれてしまう。
「この前の借り、たっぷり返させてもらうぜ」
フランクが動けないままのクロイドを見て、にやりと笑っている。どうやら、自分をゆっくりといたぶるつもりらしく、その曲がった性格についつい溜息が出てしまう。
動けなければ、何も出来ないと思っているのだろう。確かに、この「束縛せよ」の魔法を解くには「解放せよ」の魔法が必要となる。
しかし、その魔法を使うには動作が必要となっていた。動作を行うことで、自身の魔力が魔具へと媒体するものが多いのは、動きが魔法を起こすための引き金となっている場合がほとんどだからだ。
それ故に、無詠唱や無動作による魔法の形成が出来る者は他の魔法使い達と比べて卓越していると言っていいだろう。
つまり、束縛魔法によって捕らえられたこの身のままで、解放するための呪文を放つことは出来ないことを意味している。
例えば杖を振ったり、手をかざしたりといった動作と呪文を同時に行わなければ解けないため、普通は自分以外の他人から束縛魔法を解いてもらうしかないのだ。
……俺には必要ないけどな。
余裕があることを覚られないように、クロイドは無表情の中に笑みを隠して、自分の右手を手袋の中で魔犬化させる。
魔犬に変化すると、その身体自体が魔具と同じような魔力を媒体するものとなっていた。むしろ、魔力の塊だと言ってもいいかもしれない。
そのため、他の魔法使い達のように、動作を引き金とする必要はないのだ。
それはつまり、魔犬は魔法が無詠唱で無動作な上に、更に使い放題であることを意味しているが、今は魔犬について考える暇はないためとりあえず、頭の隅へと追いやった。
柔らかかった手は自らを硬化するように硬く角ばったものへと変化していく。この部分的な変化も自分の意思で完全に操れるようになったのは、教団に入る直前くらいだった。
今では、部分的な魔犬化だけでなく、完全に姿を魔犬として変化することも出来るが、もちろん人目があるこの武闘大会内でやるつもりは毛頭ない。
準備は出来た。これで自分の身体は魔具と同じような状態だ。必要なのは内なる魔犬の魔力を制御する力と、そして言葉だ。
「――解放せよ」
「なっ……」
自らが発した呪文は瞬時に束縛された身へと効いていく。動けなかった身体は、まるで何事もなかったかのように自由なものとなった。
フランクは何故、動けないにも関わらず魔法が解けたのかという表情で、口を大きく開いては閉じている。余程、驚いたらしい。
それもそうだろう。「束縛せよ」も「解放せよ」も中級魔法の一つだ。
扱いは難しいため、フランクは勝手に見下している自分に使えるとは思っていなかったのかもしれない。
クロイドは魔犬化していた右手をそっと、いつもの自分の柔らかい右手へと戻してから、手袋をもう一度深くまではめなおす。
「対人魔法なら効かないぞ」
「何で……」
「……呪われているから、だな」
「っ……」
そこで初めてフランクの余裕の表情が戸惑うように崩れた。少し、脅しをかけるつもりで呪いと呟いたが、フランクはその言葉に大きく反応しているようだった。
……そういえば、前にアイリスから呪いのことを脅し文句にするのは止めろと言われていたな。
自身を嘲笑する意味で使ったわけではないが、恐らくアイリスのことなので、あとで自分を貶めるような言い方をするなと怒って来るかもしれない。
アイリスは自分以上にこの呪いの身を嘲られることを気にかけてくれている。不愉快な言葉や態度によって、自分が傷付くと思っているからかもしれない。
……優しいな。
その優しさに自分は酔ったような心地よささえ感じてしまう。だが、心配をかけてばかりではアイリスの方が傷付きかねないため、極力、他人との衝突は避けるようにしていた。
しかし、この試合を避けることは出来ないし、逃げることもしたくはない。
むしろ、調子に乗ってしまう相手の鼻を先に折っておいた方が後々、安泰な日々を送れることだってあるだろう。
「……それじゃあ、本番を始めようか」
「……」
フランクが一歩、後ろへと下がって唾を飲み込んでいたが、気合を入れ直したのか腕輪を付けた両手をこちらへとかざしている。
もう、対人魔法は効かないと分かっているため、別の魔法を放つつもりだろう。自分の後方にある木製の人形はすでに強い結界を張っているため、そう簡単には破られはしないはずだ。
ここから先は攻撃だけに集中すればいい。そのために、自分の身を結界の外側に晒しているのだから。
「――凍てつく氷剣!」
細部までこだわる暇はなかったらしく、フランクは空気中の水分を集結させて、更に凝結してから氷の剣らしきものを瞬時に形成していく。
空中には三本の細長い物体がゆらりと動いており、こちらを狙うように尖端を向けていた。
痛い目に遭わせる気らしく、氷の剣の尖端は背後にある人形ではなく確実に自分を狙っているものだった。
そこでふと、アイリスやミレットだけでなく魔具調査課の先輩達からも事前に聞いていた話を思い出す。
魔物討伐課は無駄に矜持が高い上に性格が悪い人間ばかりだと言っていたが本当にその通りだと溜息を吐くしかない。
「行けっ!」
フランクの号令のもと、三本の氷の剣はクロイド目掛けて突撃してくる。それは三本同時というわけではなく、少し速さをずらしてこちらが反応しきれないように工夫されているようだ。
これでも魔犬の呪いがかかった身だ。五感や魔力が高いだけでなく、身体能力も一般人より強化された身体となっている。
それを忌むべきか幸だと思うかはやはり、自分次第なのだろう。
顔に直撃しそうになる氷の剣をクロイドはほとんど自身の動体視力でひょいっと避けて、そのまま手袋をはめた右手を残りの二本に向けてかざした。
「霧散する牙」
早口で告げられた呪文は目の前へと迫ってきていた二本の氷の剣を捉え、瞬時に固体だったものから粉末に近い状態へと粉々に砕いていく。
「っ……!」
氷の剣だったものはまるで雪のように、その場に霧散していく。ふわりとクロイドの頬にかかったのは冷たいもので、それは頬の熱によってすぐに溶けていった。
涼やかな空気が自分の周りを満たしていく。まさか一瞬にして、形作ったものを破壊されると思っていなかったようで、フランクの表情は苦いものとなっていた。
……いい加減に、格下だという認識を改めた方がいいと思うけれどな。
自身の方が格上だとは思っていないが、それでも相手を侮っていると痛い目を見るのは己の方だ。何事にも油断は禁物であるはずだが、フランクはまだこちらを魔法使いとして下に見ているため、一々驚くことになるのだ。
……こっちだって、遊び感覚で任務をこなして、日々鍛えてきているわけじゃないからな。その辺りはしっかりと考慮して貰わないと。
息をもらすようにふっと吐いた時、クロイドは試合の中で初めて笑みを見せる。それは冷笑と呼ぶには柔らかすぎるものだった。




