初試合
応援席へと戻って来たエリックは全身を砂でまぶしたように砂だらけで、しかも顔には土で汚れが付いていた。やはり、砂の風を身近で受けたエリックの状態が他の誰よりも一番、汚れているようだ。
それでもやっと自分の勝利を自覚出来たのか、エリックの表情は柔らかいものだった。
「おかえり、エリック」
「エリックちゃん、おかえり~」
魔具調査課の先輩達とクロイドに頭を下げながら、エリックは頬を紅潮させてはにかんでいた。
「初勝利、おめでとう。あなたの魔法、本当に凄かったわ」
アイリスは応援席へと戻って来たエリックに勝利に対する祝いの言葉をかけると彼女は歳よりも少し幼い表情で、嬉しそうに笑った。
「えへへっ……」
アイリスに褒められたことが余程、嬉しかったのかその表情は緩んだままだ。しかし、いくら勝利しても砂を浴びたような恰好になっているため、一度部屋に戻って着替えた方がいいだろう。
エリックの服に付いた砂をアイリスが手で叩き落していると、次の第六試合の参加者の徴集が審判によってかけられる。
「……俺の番か」
ふっとクロイドが言葉をもらしたが、やはり初試合であるため何となく緊張している声色のように聞こえた。
「クロイド、気をつけて行ってこいよ」
「任務の時と同じようにやれば、大丈夫よぉ~」
「いってらっしゃいー」
魔具調査課の先輩達が、クロイドに応援の言葉をかける。
「はい、行ってきます」
クロイドは何でもなさそうに答えていたが、その横顔に見えたのはやはり、緊張で少し強張った表情だった。
彼は意識していないのだろう。だが、彼と出会って数か月間、ずっと隣にいたアイリスにはクロイドが緊張していることくらい、すぐに分かっていた。
エリックの傍から少し離れて、アイリスは招集される場所へと移動しようとしていたクロイドを呼び止める。
「クロイド」
名前を呼ぶと、彼はすぐにアイリスの方へと振り返った。
「どうした?」
「えっと……」
エリックの時にはすぐに応援の言葉が浮かんだのに、クロイド相手だと思うように言葉が出て来ず、アイリスは視線を迷わせる。
「アイリス?」
アイリスの顔を窺うようにクロイドが少し首を傾げる。視線に映ったのか、まだ魔具の手袋をはめていない、彼の右手だった。
アイリスは思わずクロイドの右手を自分の両手でがっしりと握りしめる。
「っ?」
アイリスの突然の行動にさすがのクロイドも驚いたように目を丸くしていた。クロイドの手はそれほど冷たいわけではないが、やはり指先が少しだけ強張っているようにも感じた。
「……クロイド」
両手でクロイドの手を包み込み、アイリスは祈るようにその手を自らの額へと添える。どうか、クロイドがこの試合で怪我をすることがないように、それだけを祈って。
「何だ?」
「絶対、勝ってね」
静かに、だがはっきりと告げるアイリスの言葉に、クロイドは一瞬だけ瞳を見開いていたが、次の瞬間には柔らかく破顔した。
まるで、最初からそのつもりだと言わんばかりに、彼は力強く頷き返す。
「あぁ、もちろんだ」
包んでいたアイリスの手に彼は空いていた方の左手をそっと添えて、強く握り返してくる。触れた手が温かくて、思わずその手にずっと縋っていたくなるような心地よささえ感じた。
しかし、もうすぐクロイドの試合の順番だ。いつまでもこうしてはいられないと思い、アイリスは少しずつ惜しむように彼から手を離していく。
「行ってくる」
完全にクロイドの手が自分から離れ、そして彼はアイリスに背を向けて、第六試合の招集がかけられている場所へと向かっていく。
背を向ける際に見えたクロイドの横顔は、狩りをする前の獣のように鋭いものとなっており、彼がこの試合に対して本気で挑んでいるということが窺えた。
「――相棒がいなくなっちゃって、寂しい?」
それまで黙っていたミレットが茶化すようにアイリスへと声をかけてくる。アイリスがクロイドに抱く心境を理解している上での物言いにアイリスは唇を少し尖らせた。
「……別に、そういうことじゃないわ」
「でも、心配はしているでしょう?」
「……」
心配しないわけがない。クロイドにとってはこれが初の武闘大会での試合だ。試合のやり方は分かっていたとしても、やはり実戦となると、想像通りに戦えることの方が少ないだろう。
「大丈夫だって。クロイド、強いんでしょう?」
「……うん」
親友からの慰めるような言葉に返事をしつつ、アイリスは試合会場へと入場しているクロイドへと目を向けた。
いつもの服装とは違う団服を着ているため、今日は本当に彼の印象が別物のように見えてしまう。クロイドは魔具である手袋をはめつつ、不備な点がないか、自身の服装などを確認していた。
「まぁ、私はクロイドが目の前で魔法を使うのは初めて見るから、楽しみでもあるんだけれどねぇ」
「あら、そうだったかしら?」
「アイリスは見慣れているかもしれないけれど、一緒に任務をしない限り、他人の魔法なんて見る機会は武闘大会くらいしかないわよ。……私と同じことを考えている連中は他にもいるみたいだけれどね」
「え?」
ミレットの言葉にアイリスがどういう意味かと訊ねるように聞き返すと、ミレットは黒い笑みを浮かべて、自身の顎をちょっと前へと動かし何かを見るようにと示してきた。
ミレットが示した方向にアイリスもすっと視線を移す。だが、そこには試合を見ようと会場に目を向けている者ばかりで特に変わった様子の人はいなかった。
「ここにいるほとんどの観戦者はクロイドの試合を見に来ているのよ」
「……は?」
どうしてだと言わんばかりに首を傾げると、ミレットは仕方ないと言うように肩を盛大に竦めていた。
「……クロイドがまだ『呪われた男』って呼ばれているのは知っている?」
「あー……。そういえば、最初に会った頃にミレットからそんな話を聞いたような」
随分と昔に聞いたようにさえ感じる言葉にアイリスは何となく頷き返す。
忌み名かどうかは分からないが、いまだにクロイドがその様な名称で呼ばれているのかと思うと、クロイドのことを何も知らないくせによく口が回るものだと腹立たしく感じてしまう。
今度、アイリスの目の前でクロイドをそのように呼んで来た奴を一発くらい殴り飛ばそうかと、アイリスはこっそりと右手の拳を握りしめた。
「陰ながらだけれど、まだそう呼ばれているのよねぇ。でも、ほとんどの人がクロイドの呪いのことをよく知らない。呪いという不吉として扱われる言葉に、クロイドを悪いものだと当てはめて勝手に恐れているのよ。……そして、その呼び名に色々な尾ひれが付いて、ある事ない事が出回っているの」
「……どうせ、魔物討伐課辺りが中心となって、ほざいているんでしょう」
「ご名答。……まぁ、クロイドの呪いは人に言いふらしていいものじゃないからねぇ」
ブレアと同様、クロイドの呪いのことを知っているミレットは少し複雑そうに表情を歪ませる。
アイリス達が抱いている感情を理解してくれている故のミレットの表情に、アイリスは気付かれないように穏やかな笑みを浮かべた。
たまに調子に乗って茶化しては来るが何だかんだで、この親友は優しくて頼れて、自分達にとっては最高の味方なのだ。
「蔑むための材料探しと、単なる好奇心。それだけを得るために、クロイドの試合を見に来ているというわけよ。負けたら負けたで、嘲笑の対象にでもする気じゃない?」
「うわっ、性格悪い奴ばかりね……」
アイリスは目を細めて、クロイドの試合を見に来ている者達に鋭い視線を送るが、もちろんその場にいる全ての人間がミレットの言う通りの人間ばかりとは限らないと分かっていた。
「それと、もう一つ」
ミレットが自身の唇に右手の人差し指を添えながら、苦笑するように笑う。
「クロイドの試合相手、アイリスが知っている顔なのよね」
「はっ?」
「――第六試合。……始め!」
その名前を訊ねようとした瞬間、とうとう第六試合の開始の合図が響き渡る。
話の続きを聞きたかったが、そこは聞くよりも見た方が早いと思ったアイリスはミレットに向けていた視線を急いでクロイドの方へと戻しつつ、試合観戦に集中した。




