透き通る盾
エリックは何度か深呼吸してから、気合を入れ直すように両足に力を入れていた。
その一方で、試合相手であるヨティ・ハブロンは長剣の平で軽く己の肩を叩きながら、にやりと笑っている。
恐らく、エリックのことを自分より下だと認識したのか、見下すように胸を張っていた。
「第五試合……――始め!」
審判の声が響き渡り、魔法部門の第五試合が始まった。エリックは腕を付けた両手を前へとかざし、高らかに呪文を叫ぶ。
「透き通る盾!」
しかし、顔には出ていないだけで、それなりに緊張は続いていたのかエリックが魔法で作った結界は広範囲に及ぶ大きさのものだった。
その範囲はエリック達がいる試合会場半分を埋め尽くす程の大きさだったのである。大きさはどうあれ、まずは防御に徹して相手の出方を見るつもりらしい。
ヨティの方はと言うと、目の前に掲げた長剣に向けて、意識を集中させているようだ。
「この刃は風。いかなるものも通し、切り裂く凍風となれ。――風斬り!」
呪文を唱えた瞬間、ヨティの握る長剣の刃には鋭い牙のような風が纏い始める。
この「風斬り」という魔法は武器に風を纏わせることも、一撃として風の刃を放つことも可能な魔法である。
しかし、ヨティは長剣に風を纏わせていることから、ミレットの言っていた通り打撃技を繰り出すのだろうとアイリスは静かに察していた。
「飛び回る翼!」
ヨティが次に発した呪文は、対人対物の重さが羽のように軽くなる魔法だった。自身にかかる重力も少なくなるため、一歩飛んだだけで数メートル先まで簡単に跳躍出来るものである。
それだけでなく、足にかかる負担が減るため、素早い動きが取りやすくなるのだ。その魔法を自身にかけたということはやはり、接近戦で戦うつもりなのだろう。
瞬間、風が吹いたようにヨティの身体が素早く動き、瞬くうちにエリックが形成していた結界がある場所まで詰め寄ったのである。
「っ!」
風を纏ったヨティの長剣の一撃が深く、エリックの結界へとめり込み、まるでガラスを割るように一瞬にして結界は砕け散っていく。
「ひゃぁっ……!」
まさか一撃で結界が破られるとは思っていなかったらしく、エリックは叫び声を上げつつ、後ろへと一歩下がった。
「このくらいの強度で勝てると思うなよ!」
ヨティがまた、一歩大きく踏み出すようにエリックへと近付く。しかし、結界を破られても頭の中は冷静なままでいられたらしく、エリックは再び両手を前方へと向けてかざした。
「透き通る盾」
はっきりと告げられる呪文とともに、エリックとヨティの間を妨げる透明な壁が瞬時に形成されていく。
「甘いぜっ!」
ヨティは長剣を大きく振り上げて、目の前に出現した結界を叩き割ろうと一撃を放った。
しかし、その場に響くのは耳鳴りのような激しい金属音だけで、エリックの結界は保たれたままだ。
「っ……!?」
ヨティの表情も何故だと問うものになっている。結界の魔法によって、防御に成功したことに安堵しているのか、エリックは肩を少し下げてふっと息を吐いた。
「少し、結界をいじりました」
幼げなエリックの顔はアイリスの知らないものとなっていた。真剣な眼差しで、エリックは数メートル先に立っているヨティへと告げる。
「……強度が少し上がったくらいで、調子に乗るなよ」
そう言って、ヨティは長剣を水平に構えて、槍を突き刺すように結界へと何度も攻撃を続ける。確かに彼の剣の扱い方は剣術というよりも、力技による戦い方のように見える。
このまま、エリックの結界が保たれ続けるのか、それともヨティの風を纏った長剣が突き破るのか、その場にいる者達は静かに息を飲み、視線を向けていた。
「お偉いハワード家か何だか知らねぇが、ここで負かして恥さらしにしてやる!」
そう言われたエリックは唇を噛みしめて、彼女にしては珍しく小さく睨んでいた。
「何度破られたって、絶対に負けませんっ!」
恐らく、ヨティの言った言葉がエリックの中で炎のような感情となったのだろう。普段の弱々しかった様子とは一変して、力強い瞳がそこにはあった。
ヨティの一撃がエリックの結界に亀裂を入れていく。普通の剣ではなく、鋭い風を纏っているため、攻撃力が上がっていることから、強度の増した結界でも同じ部分を集中的に狙えば破れると判断したらしい。
だが、ヨティの判断は適切だったらしく、数度目の打撃を続けたところ、とうとうエリックの結界がはじけ飛ぶように消えていく。
「っく……」
結界が破かれた衝撃で、エリックの後頭部に束ねたひと房の栗色の髪が大きく揺れる。彼女自身の身体にもそれなりの衝撃は来ているはずだが、エリックは一歩もその場から動かずに真正面に突撃してくるヨティを見据えていた。
「もらったぁ!」
長剣を頭上へと高く掲げたまま、獲物を狙う猛禽類のようにヨティはエリックめがけて、突進してくる。
このままでは危ないとアイリスが、息を止めた時だった。
「――透き通る盾!」
両手を真正面へと向けたまま、エリックが高々と呪文を言い放つ。瞬間、1メートル先まで迫ってきていたヨティとの間に見えない壁が出現し、隔てていく。
だが、突然の見えない壁に対応しきれなかったのはヨティの方だった。
彼の身体は魔法によって浮力が付いているため急に止まることは出来ず、そのままエリックの結界へ長剣の刃を勢いよく立てたのである。
耳の奥に不快な音が響いていき、応援席にいた者達は己の耳を両手で塞いでいた。
ちらりとクロイドの方を見ると魔犬の呪いによって五感が鋭いため、音がよく耳に響いたらしく、耳を強く塞いでは端正な顔をかなり顰めていた。
金属音が鈍くその場を満たしていたが、誰よりも一番の衝撃を受けていたのはやはりヨティだろう。
音だけではなく、彼の両手が持っている剣が迷わず振り下ろしてしまったものは何も通すことなく、保たれたままだ。
それゆえに、ヨティの両腕に響いた衝撃は半端ではないものはずだ。
「がっ……」
アイリスの予想通り、剣越しに伝わって来た衝撃によってヨティの顔は大きく歪んでいた。
エリックの結界は衝撃に耐えるために作られたものだ。そう簡単に突き刺せるものではないだろう。
それでも、ヨティは自らが持つ長剣を地面へと落とす事はなかったため、それについては称賛に値する気力だと密かに思った。
しかし、エリックの方もまさかと思っていたらしく、両足で立ったままで響く衝撃に耐えているヨティを驚くような瞳で見ていた。だが、次の瞬間には硬い表情へと戻る。
「舐めた真似しやがって……!」
ヨティは数歩飛ぶように下がり、体勢を立て直すつもりなのか、深く息を吐いていた。まだ彼の手には痺れが残っているはずだが、再び長剣を構え始めたため、その執念らしき気合には脱帽である。
「私も簡単に負けるつもりなんて、ないですから」
いつもは緊張して言葉がどもってしまうエリックと本当に同一人物なのかと思えるほど、彼女が発した言葉ははっきりとしたものだった。




