緊張
ほとんどの第三試合は終わったのか、次の第四試合に参加する者達と入れ替わりを始めているようだ。
アイリスとクロイドはエリックの試合会場となる一番端の場所へと向かっていると、魔具調査課の面々の姿を見つけて、ほっと息を吐く。
しかし、よく見ると、魔具調査課の先輩達は円を作るように立っており、その真ん中には顔を真っ赤にしたまま人見知りを発揮しているエリックの姿があった。
今日、会ったばかりの人達に話しかけられて戸惑っているようだ。しかも、可愛いものが好きなユアンがエリックを後ろから抱きしめて、楽しそうに頭を撫でている。
このままにしておいては人見知りの激しいエリックが少し可哀想だと思い、アイリスは声を張った。
「――エリック」
アイリスの呼び声が届いたのか、それまで肩を震わせて身を縮めていたエリックはぱっと顔を上げて、アイリスの方へと身体の向きを変える。
知り合いであるアイリスとクロイドの顔を見ると、エリックは心底安堵したような笑みを浮かべていた。
「アイリス先輩、クロイド先輩っ」
「応援に来たのよ。次の第五試合に出るのよね?」
「は、はい。そうです……」
やっとユアンの腕から解放されたエリックは深く息を吐きながら、アイリス達のもとへと小さく駆けて来る。
ユアンは可愛いものを手放さなければならなかったことを惜しく思っているらしく、その表情は少しだけ残念そうにも見えた。
しかし、隣のレイクが誰それ構わず、手を出すなと言って叱っている声がふっと耳に入って来る。やはり、ユアンの可愛いもの好きな性格はレイクが知る限り、以前から変わらないらしい。
エリックはアイリス達の前へとやってくると律儀に頭を下げてから、二度目の溜息を吐いた。
「でも、初戦の人……。ちょっと怖くって」
エリックの表情は、最初に彼女に会った頃と同じように怯えたものになっていた。よほど、試合に緊張しているのか、試合相手を怖がっているらしい。
「あら、どんな人なの?」
するとそこへ、ひょいっとミレットが顔を出してくる。彼女の手にはすでに情報の塊である手帳が握られていた。
「えっとねぇ、エリックの初戦の相手は……。魔物討伐課のヨティ・ハブロンね」
「ヨティ・ハブロン……」
知らない名前である。ミレットが小さく指さしたため、その方向に視線を向けると屈伸したり、腕を伸ばして身体をほぐしている少年がいた。
アイリス達と同い年くらいで、茶色寄りの短い金髪と快活そうな表情には次の試合に対する余裕の笑みが浮かんでいた。
しかし、ヨティが腰に下げているものを見て、アイリスは首を捻る。ヨティの腰に下がっていたのは長剣だったからだ。他に魔具らしいものは持っていないようである。
「長剣……。それなら、魔法部門じゃなくって、武術部門の方の参加じゃないの?」
アイリスの疑問に対してミレットは苦笑しながら小さく頷いていた。
「彼、剣術が出来るわけじゃないのよ」
「え?」
「剣を使って、魔法を放つ方が得意みたい。だから、打撃技くらいしか出来ないんじゃないかしら」
「……だ、打撃技……ということは、接近戦に持って来る可能性もあるという事でしょうか」
エリックが少し怯えながら、上目遣いでミレットに訊ねる。
「まぁ、その可能性は高いでしょうね。……魔法を使って、力技で押す戦い方を好んでいるみたいだし」
「なるほど……」
そう呟いたエリックの表情はすっと真面目なものへと変わっていたことをアイリスは見逃していなかった。
人見知りが激しくて、赤面症で身体が小さくても、エリックは立派な魔法使いだと思っている。ミレットの助言は彼女の中で何か明確な打開策を得るための糸口となったのではないだろうか。
「エリック」
アイリスはエリックの名前を呼んで、彼女の右手をそっと握りしめる。その手は緊張によって、冷たいものとなっていた。
「応援することしか出来ないけれど……でも、ちゃんと見守っているから」
「アイリス先輩……」
エリックは握りしめられた自身の手を見てからアイリスの方へと視線を移す。
「大丈夫。エリックはあなた自身が思っているよりも、ずっと強くて立派な魔法使いよ。……だから、どうかあなた自身の力を信じて、自信を持って挑んでくるといいわ」
にこりと不敵な笑みをアイリスが浮かべると、エリックもそれにつられたように口元を和らげた。
「……アイリス先輩にそう言われると、何故か自分でも上手く出来るんじゃないかって思えて来るから不思議です」
「あら、私は本当のことしか言わないわよ? お世辞は苦手だもの」
アイリスの言葉に噴き出したのはミレットだった。さすがに親友であるだけあって、自分の性格を知っているのだろう。
「そうね、アイリスはお世辞を言う事なんてないもの。真っすぐ過ぎて、素直馬鹿だし」
「なっ……! ちょっと、ミレット! クロイドとエリックの前で変なことを言わないでよ!」
素直馬鹿とは失礼だ。だが、ミレットの言っていることも当たっているため、それ以上の反論が思いつかなかったアイリスが唇を尖らせると、エリックは楽しそうに小さく苦笑した。
緊張がほどけたのだろう、先程のような強張った表情ではなくなっているエリックを見て、アイリスもふっと息をもらすように笑った。
そこで、どこかの試合会場から第四試合の終わりを告げる声が上がる。エリックもそろそろ準備をした方がいいだろう。
「気を付けて行ってこいよ、エリック」
「はいっ!」
クロイドの応援にエリックは元気よく返事をする。気合十分というには、少し頼りないがそれでもエリックの表情に陰は見えない。
「それじゃあ、行ってらっしゃい」
「行ってきますっ!」
アイリスはそっとエリックから手を放す。先程までの冷たい手の持ち主と同じものなのかを疑う程、彼女の手は温かく、熱がしっかりとこもっていた。
エリックは魔具調査課の先輩達にも一言、挨拶してから第五試合の招集がかけられている場所へと小走りに走っていく。
その小さな後ろ姿をアイリスは穏やかな瞳で見つめていた。
「そういえば、エリックにとってもこの試合は初めての対人戦ということだよな」
ふと思い出したように隣に立っていたクロイドがぽつりと呟く。試合会場は第四試合の参加者と第五試合の参加者の入れ替えが行われていた。
「今年に入団して、この前が初任務だったもの。……魔的審査課なら、対人で魔法を交えることもあるだろうし、今のうちに対人戦で慣れておかないとね」
そう呟きつつ、アイリスは試合会場へと足を運び始めているエリックに目を向ける。エリックは熱心に自分の魔具に不備な点がないか、両腕に付けている腕輪を何度も確かめるようにはめ直していた。
「……エリックは、この前の任務のことを……」
アイリスはそこまで呟き、言葉を続けることを止めた。しかし、クロイドには伝わっているらしく、彼はアイリスの右肩にそっと左手を載せて来る。
思わず、アイリスが顔を上げるとそこには何か言いたげな表情のクロイドが目を細めたまま自分を見ていた。
「……アイリス。何度も言うが、ラザリーの件は君のせいじゃない」
「……」
ラザリー・アゲイルは死んだ。自分の目の前で。彼女に対して何も出来ないまま、その熱は失われた。
あの時の光景が何度も瞼の裏に浮かんでは脳裏に刻まれ続けていく。
別に慰めてもらいたいわけではないのだ。ただ、ずっと心に重く残ったまま、忘れることなど一生できないだけで。
「……ごめんなさい。せっかくの武闘大会なのに、辛気臭いことを言ってしまったわね」
アイリスは肩に置かれたクロイドの手を握り、そっと下ろした。
「今の言葉、忘れて」
「……」
「ほら、もうすぐエリックの試合が始まってしまうわ。……今は、あの子の試合に集中しましょう。……ね?」
クロイドの手をそっと握ったまま、アイリスは無理に笑みを浮かべて、笑って見せる。きっとクロイドのことなので、これが作られた笑みだと分かっているのだろう。
それでも彼は何も言わないまま、一度目を閉じ、そして溜息を吐いた。
「……そうだな」
これがクロイドの優しさだと分かっている。踏み込んで欲しくない場所に明確に線を引くと、彼は絶対に入っては来ないのだ。
……我ながら、卑怯な奴だわ。
クロイドの優しさに甘えているだけだ。本当は現実から目を逸らしているのは自分の方だと言うのに、その自覚をするのに時間がかかってしまっている。
アイリスは握っていたクロイドの手をそっと離してから、試合会場で真っすぐと立っているエリックへと視線をゆっくりと移した。




