式魔
「……ありがとう、クロイド」
クロイドの気遣いに甘えることにして、アイリスは試合をしているエリオスの方へと身体の向きを変えた。
「……三か月くらい前だろう、エリオスさんに最後に会ったのは」
「良く覚えているわね」
「……忘れるわけがないだろう」
少しだけ悔しそうにクロイドが呟く。もう過ぎた事だというのに、彼はまだブルゴレッド家の一件を引きずっているらしい。
三か月程前、自分はブルゴレッド家の思惑に利用されそうになった。その際にクロイドはエリオス達と協力して、囚われていた自分を助けに来てくれたことは今でもはっきりと覚えている。
エリオスとは、ブルゴレッド家の一件が無事に終結してからはお互いに忙しく、会う機会はなかったため、久しぶりの再会となった。
「……」
お互いに口を閉じて、試合をしているエリオスの方へと目を向ける。
顔立ちが良く、どこか神秘的な雰囲気を纏っているエリオスは冗談好きという性格の一面を知らない女子達に人気があるらしい。
アイリス達の周りにはエリオスの試合を見ようと首を伸ばして、目を輝かせている女子ばかりだ。
恐らく、アイリスとエリオスが従兄妹と知っているのは本当に一握りの人間だけだろう。顔立ちもお互いに何となくしか似ていないので、並んでも従兄妹だとは気付かれにくいに違いない。
エリオスは真剣な表情のまま、手袋をはめた手に細長い一枚の紙を人差し指と中指で挟めている。
確かエリオスは式魔と呼ばれる紙製の魔具と手袋の二つを普段から魔具として使っていた。
今は両方の魔具を同時に使っているので、彼にとってこの試合は本気の勝負だということが読み取れる。
ちなみに式魔は手袋が無くても直接、紙自体に魔力を込めることで自在に扱える魔法である。その魔法の幅はかなり広く、そして操るのは難しいため、エリオス以外で式魔を操る魔法使いを見たことはなかった。
試合はすでに始まっているらしく、エリオスが操っている無数の式魔が彼の周りで円を描くように囲っている。
傍からみれば、白い紙が吹雪のように舞っている光景にも見えて、表現するなら美しいという言葉が似合う程だ。
どうやら、式魔による防御をしているようで、エリオスの試合相手が魔法を放つたびに、式魔に当たっては蒸発するように魔法は消えていく。
「……式魔か」
「あら、興味あるの?」
隣で同じようにエリオスの試合を見ていたクロイドがぼそりと呟いたため、アイリスは苦笑しながら振り返る。
「多様性がある魔法だからな。以前、エリオスさんに鳥型に変化した式魔に乗せてもらった時から気になっていたんだ」
そう呟きつつ、クロイドは真剣な表情でエリオスの方へと視線を向ける。
確かにエリオスが操っている式魔はかなり多様性がある魔法の一つだ。攻撃と防御だけでなく、斥候、密偵、召喚、乗り物と様々な方法で魔法を具現化出来るが、それはやはり操る本人の技術と才能の賜物でもあるだろう。
「聞いてみれば、扱い方を教えてくれると思うわ。……ローラが兄さんから魔法の実践を教わっているし、一緒に魔法の指導でも受けてきてみたら?」
「あぁ、あの一件の後からローラが魔法を教わっているんだったな。……まぁ、少しだけ独学で勉強して、手に負えなくなったら、ローラと一緒にエリオスさんから習ってみるよ」
そう言ってクロイドは笑っていたが、魔法に関して才能と技術をすでに持っている彼のことなので、少し勉強すればあっという間に自分のものにしてしまいそうな気もする。
……確か、こういう人のことを万能型って言うんだったわね。
クロイドと相棒を組んだ当初には気付かなかったが、日が経つごとに分かっていくのは彼が持っている、あらゆる魔法に関する才能だ。
しかし、それは彼の密かな努力が結んでいる才能でもある。
……私の知らないところで、色々と努力しているんだわ。
クロイドがあらゆる魔法を極めようとする理由を想像して、アイリスは唇を一文字に結んだ。
優しい彼のことだ、魔法が使えない自分を任務中に助力するために取り込めるものは全て取り込もうとしているのだろう。
そう考えるのは自意識過剰かもしれないと思い、火照りそうになった頬を隠すために、アイリスは視線をクロイドから再び試合中のエリオスの方へと向けた。
エリオスが右手の指で挟んでいた式魔に向かって何かを呟き、そしてそのまま前方にいる試合相手に向けて、式魔で指を指した。
何か号令が出たのだろう、エリオスの周りを囲うように円を描いていた無数の式魔達は防御に徹することを止めて、一か所に集まり始める。
白い紙が重なって見えるせいか、まるで白い蛇のような形へと姿を変えて、式魔達はエリオスの試合相手の方へと突撃したのである。
その光景はまるで自らの意思を持った蛇が空中を動いているようにさえ見えた。
試合相手の方もまさか、式魔が襲ってくるとは思っていなかったらしく、防御に徹しようとしていたようだが、それよりも速かったのは式魔の動きだった。
式魔達は試合相手の木製の人形を囲むように襲い、そして、高速で回転しては人形を木片へと変えていく。
式魔自体はただの紙製の魔具だ。しかし、それを高速移動させることによって、刃物としての切り味を作っているのだろう。
さすがにそうなるとは思っていなかったのか、エリオスの試合相手は呆然とした表情で自分の守るべき木製の人形を見つめているようだ。
彼からしてみれば、この人形と同じような姿にならなくて良かったと思っているのかもしれない。
「――勝者、エリオス・ヴィオストル」
エリオスの勝利が審判から告げられると、試合の様子を見守っていた女子から黄色い歓声が上がっていく。
エリオスは右手の掌を空へと向けて、それまで操っていた式魔達を自分の手元へと呼び戻していた。
それまで白い蛇のように形作っていた式魔達は再び、一枚一枚の状態へと戻り、折り重なるようにエリオスの掌へと一つの束として収まっていった。
式魔は破れたりしない限り、何度でも使えるものらしい。一束になった式魔をエリオスは外套の下へと収めて、両手にはめていた手袋を外しながら、試合会場を後にする。
試合を終えたエリオスに話しかけたいのか、試合会場を囲っていた女子達はそわそわとしていたが、彼女達にとっては高嶺の花という認識らしく、誰一人として話しかける者はいなかった。
「……」
気付くだろうかとアイリスがエリオスの方に視線を送っていると、自分よりも身長の高いクロイドが最初に目に入ったのか、エリオスの視線がこちらに向いた。
そして、エリオスの視線は自然とアイリスの方へと移され、二人の方に向かって歩いて来る。
「――久しぶりだな、二人とも」
女子達の間をかき分けて、エリオスがアイリス達のもとへとやってきて、立ち止まった。
「お久しぶり、兄さん」
「お久しぶりです」
何となく、周りの女子達から視線を感じたため、自然な動きでアイリス達は後ろへと下がった。話の内容に聞き耳を立てられたくはないからである。
「元気だったか? 最近は手紙を出して来ないから、心配していたぞ」
「もちろん、元気だったわ。少し、任務で忙しくて手紙を出せなかったの。……兄さんが魔法を使うところ、久しぶりに見たけれど、本当に凄かったわ。式魔って、あんな風に扱えるものなのね」
アイリスが捲くし立てるように、エリオスの魔法について語ると彼は目を細めて穏やかな表情で頷いていた。ふっと、何かを思ったのかエリオスの視線がクロイドの方へと向けられる。
「クロイドも魔法部門に参加するのか?」
「はい。この後の第六試合に」
「そうか。……もし今後、お互いに勝ち進んで試合が当たるならば、一つ賭けをしようか」
「え? 賭け、ですか?」
何だろうかとクロイドは首を傾げる。エリオスは真顔のまま頷き、そして言い放った。
「勝負に勝った方がアイリスを得られるというのはどうだろうか」
「なっ……」
エリオスのまさかの言葉にクロイドは目を見開いて絶句していた。
この時、アイリスはエリオスが冗談を言っていると彼の真顔の表情から感じ取って、察していたがまだ読み取れる技術のないクロイドはエリオスの言葉を本気だと思って信じてしまったらしい。
「……冗談だ」
ぼそりとエリオスが真顔のまま、満足気に呟く。
「え……」
「いや、だから、冗談。今の発言は冗談だと言っている」
「……」
そこでクロイドはやっと自分が騙されたと気付いたらしく、肩を大きく竦めながら盛大に溜息を吐いていた。
「……エリオスさんの冗談は冗談として受け取りにくいです」
「すまない。だが、君の反応が一つ一つ面白くて、ついからかってしまいたくなるんだ」
我が従兄妹ながら、変な趣味を持っているとアイリスが小さく苦笑すると、クロイドは吐いていた溜息をやっと止めた。
だが、クロイドは急に真面目な表情を作り、真っすぐとエリオスを見据える。
「冗談でも、本気でも俺はアイリスに関することなら、負けるつもりはないので」
「ほう」
クロイドの返事にエリオスはほんの少しだけ口元を緩めたような表情で鼻を鳴らしていた。
「良い答えだ。さすが、ローレンス家の未来の婿だな」
「なっ……」
「ちょ……」
斜め上過ぎるエリオスの言葉にアイリスとクロイドは同時に驚きの声を発し、顔を真っ赤にする。
「ん? 俺はお前達がすでに許嫁同士だと聞いているが、違うのか?」
エリオスは腕を組んで不思議そうな表情でアイリス達を見下ろしてくる。
「違うわ! え、いや、違うわけではないけれど……。……もうっ、兄さん!!」
からかわれていると分かっているのに、エリオスに反論する言葉が見つからないアイリスは顔を真っ赤にしたまま、焦った様子で吠えるしかなかった。
その一方で、クロイドは口元を右手で押さえながら、何かに耐えるようにエリオスから視線を逸らしている。紅潮しているのは頬だけでなく、耳まで到達しているようだ。




