氷の槍
レイクの発した「逆転せよ」の魔法が瞬時に発動したのか、大きな水溜まりが伝っていたことで、接していたガロンの氷の壁は一瞬だけ淡く光る。
それを見て、レイクはにやりと笑った。恐らく、彼の魔法がしっかり効いていると確証したに違いない。
「魔法ってのは、使う奴の性格が出るものだぜ!」
その言葉はいまだに痛みで動けないでいるガロンに向けられて告げたのだろうが、レイクの瞳は真っすぐと前方の氷の壁だけを見据えてある。
自由になった両手で、項目を見ないまま素早く目的の呪文を探し、そして見開いた。
「――凍てつく鉄の槍!」
元から形成されていた氷の壁に向かって、レイクは高々に叫ぶ。
ガロンの氷の壁は完全にレイクのものとなっており、レイクの言葉に従うようにその姿を変化させていく。
それまでは見上げる程に大きく透明な壁だったものは形を変えて、守っている内側に向けて鋭い槍を同時に何本も伸ばしていく。
まるで、氷の針山のような光景にその場にいる誰もが静かに息を飲み込んでいた。
無数に形成される氷の槍は守っていた木製の人形へと四方から冷たい尖端を突き刺していく。
あれが人の身だったならばおぞましい光景が広がっていただろうとアイリスは周りに気付かれないように唾を飲み込んでいた。
レイクの魔法によって作られた氷の槍は、遠慮することなく刻み続け、とうとう木製の人形を木屑へと変えた。
見方次第ではおぞましくも思える光景を、水溜まりの上に倒れていたガロンは大きく目を見開き、口を開けて見ているようだ。
あの木製の人形が、もし自分だったならなんて、誰も思いたくはないだろう。
レイクは開いていた魔法書を片手でぱんっと閉じる。そして、満足気に鼻を鳴らして、胸を張っていた。
魔法書が閉じられた瞬間に、それまで針山を形成していた氷の槍は瞬時に空気中の水分に溶けるように消えていく。その場に残っていたのは、まるで砂のような木屑だった。
「――勝者、レイク・ブレイド!」
審判の声がその場に響き、レイクの勝利を告げる。
「……」
レイクは魔法書を外套の下へと収めてから、ガロンの方へと振り返った。ガロンはまだ、自分が負けたことを受け入れていないのか、眉を寄せて固まったままである。
「……あー……。その、何だ。あれだ。……投げ飛ばして悪かったな」
少々気まずそうな表情を浮かべ、左手で頬を掻きながらレイクは倒れたままのガロンへと歩み寄る。
そして、ガロンの方へと右手を差し伸べていた。
「……」
「……」
しかし、ガロンはレイクの方へと右手を伸ばしたかと思えば、その手でレイクの手を軽く叩いたのである。
「お前の手なんか、取るかよ」
鼻を強く鳴らして、ガロンはふてぶてしい態度で自ら、地面に手を付いてから立ち上がる。
「いいか、よく聞いておけ。確かに俺は負けた」
ガロンは立ち上がり、汚れた手を自分の服で拭いながらレイクの方へと向き直る。
「それは俺がお前を見くびっていたからだ。……だが、次はそうはいかねぇ」
そして、ガロンは人差し指をビシッとレイクに向けて指した。
「次にお前とやる時は絶対に負けねぇ! その時まで、俺のことを忘れるんじゃねぇぞ! あと、俺以外に負けたら承知しねぇからな!」
「……へいへい、覚えておくよ」
わざとらしくレイクは肩を竦めていたが、二人の間には険悪そうな雰囲気は漂ってはいなかった。
どうやら、ガロンはこちらが思っているよりも自分の負けをはっきりと認めて、すっぱりと割り切れる性格らしい。
次にレイクと試合する機会があるまで、きっと今まで以上に鍛錬して挑むに違いない。
レイクが応援席へと戻って来て、魔具調査課の面々が発した第一声は和やかなものだった。
「おかえりー」
「去年より、魔法書の使い方が素早くなっていたんじゃないか?」
「体術も出来るのは意外だった」
「おかえり、レイク~。でも、思ったよりも時間がかかったわねぇ~」
それぞれの言葉にレイクは肩を竦めながら、安堵するように溜息を吐く。やはり、対人戦はそれなりに気力を使うものなのだろう。しかし、レイクの表情に疲れは見えないようだ。
「自分の想像通りにならないのは、いつもの事だろう。これでも結構、相手に覚られないように表情を隠していたんだぜ? ……あー、服が結構汚れちまったな。明日の試合もあるってのに……替えはあったかな……」
レイクの服は魔法で出現させた水によって、濡れている部分が多いようだ。
「あらあら。……今の試合は勝てたけれど、もしかすると、今日でレイクの試合が終わる可能性だってあるもの。服の汚れの心配はしなくてもいいんじゃないかしら」
ユアンが冗談交じりにそう言うと、レイクは一瞬にして表情を歪ませる。だが、その歪め方は先程、ガロンに馬鹿にされていた時とは少しだけ違う表情のようにも見えた。
「ユアン、お前なぁ~。そのうち、お前と対戦することになっても、絶対に手加減してやらないからな! 全身水浸しにしてやるからな!」
「ふふっ。それなら、私はレイクの服を遠慮なく切り刻んであげるわ~」
いつもの二人のやり取りに、アイリス達以外の先輩三人は穏やかというよりも、慰めるような瞳を向けている。
いや、向けているのはレイクの方らしく、三人はレイクとユアンのやり取りを生暖かく見守っているようだ。
「さぁて、次は誰の試合かな……」
ナシルは試合表が細かく書かれた紙を取り出して、ミカと一緒に覗き込む。
「あ、ナシル先輩。エリック……エリクトール・ハワードの試合って何番目の試合か分かりますか」
アイリスは首だけをナシルの方へと向けて訊ねてみる。応援に行くと言った手前、試合前に声をかけに行きたかった。
クロイドもエリックの試合が気になるらしく、同じようにナシルの方へと顔を向けていた。
「えっと……。第五試合に出るみたいだ。会場は一番向こう側だな。んー……。第三と第四試合に出場するような特に親しい知り合いはいないし、見に行ってみるか」
つまり、この場所から一番遠い試合会場で試合が行われるようだ。移動している間に第三試合は終わってしまいそうである。
「ハワード課長の姪だっけ。気になるから俺も見に行ってみようっと」
「この後に控えているクロイドの試合も一番向こう側だし、早めに移動しておくか」
どうやら他の先輩達だけでなくミレットまでもがエリックの試合を見に行くらしい。
だが、人見知りが激しいエリックのことなので、大勢から一斉に応援を受ければ顔を紅潮させて固まってしまうかもしれないとアイリスは密かに苦笑していた。
第三試合がそれぞれの場所で始まる最中、大人数で一番端の試合会場を目指して歩いていると、とある試合会場から黄色い歓声が沸き上がっていた。
誰の試合だろうかとアイリスが視線をそちらに向けると、そこにはアイリスの従兄弟であるエリオス・ヴィオストルが試合をしていたのである。
「えっ? 兄さん?」
思わずアイリスが呟いてしまうと、その場にいた他の面々も歩みを止めて、歓声が一番沸き起こっている試合の方へと視線を向ける。
「おっ。エリオスさんだ。久しぶりに見たな」
「あら、本当だわ。この前、食堂で会った時はまた短期の任務に行くって言っていたけれど、帰ってきていたみたいね」
レイクとユアンは以前、ブルゴレッド家が関わった一件の際にエリオスとは顔見知りになっている。その後もエリオスと会う機会があったようだ。
「あぁ、ブレア課長に聞いたあの一件か。アイリスって魔的審査課のエリオス・ヴィオストルの従兄妹なんだっけ」
「んー……。そういえば、何となく似ている気も……」
ブルゴレッド家の件にはナシル達は関わっていなかったが、ブレアに少し話を聞いているらしく、エリオスの名前も知っていたようだ。
その一方で、アイリスは久しぶりに従兄妹の姿を見て、足を止めていた。
「……少し、エリオスさんに挨拶するか?」
アイリスがエリオスの試合を見たいと思っていることを感じ取ったのか、クロイドも同時に立ち止まり、声をかけて来てくれる。
「いいの?」
「久しぶりに会ったんだから、話くらいしたいだろう? ――すみません、先輩方は先に行っていてもらってもいいですか」
「はいよー。エリックの試合会場辺りで待っているからー」
ミカがのんびりとした声で返事をする。先輩達だけでなく、ミレットも気を利かせてくれたのかその場に取り残されたのはアイリスとクロイドだけになった。




