水溜まり
ガロンは氷の剣を水平に構え、そのままレイクの水の壁へと突っ込んでくる。
「うおっ……」
剣先はそのままレイク目掛けて真っすぐと突き当てられており、傍から見れば水の壁越しに鍔迫り合っているように見えた。
水の壁はガロンの剣の刃先を水の膜で覆い、弾力のあるゴム製品のように伸びている。どうやら、今のところは防御に努めているレイクの水の壁の方が少しだけ優れているようだ。
「目の前にそのまま、突き刺してくる奴がいるかっ! これ、俺の壁が壊れていたら、身体に突き刺さっていたぞ!」
大声で文句を言いつつもレイクはガロンの剣先を左手の掌で、水の壁越しに抑えているようだ。彼の言う通り、防御に備えてあった水の壁がなければ、レイクの身体に遠慮なく突き刺さっていただろう。
「もちろん、そのままお前に突き刺すつもりに決まっているだろうが!」
「本当に性格悪いな、お前!!」
それまではお互いに距離を取って攻撃し合っていた二人だが、お互いの距離が縮まっても声を張って文句を言い合うのは変わらないらしい。
「この……っ!」
レイクもこれ以上、剣が壁の内側へとめり込んでこないように、押し返そうと試みているらしいが上手くいかないのか表情が歪んでいる。
「おらおらぁ! さっきまでの威勢はどこにいったんだ?」
余裕の表情でガロンはまた大きく一歩、前へと踏み出し、柄を握る両手に力を入れたようだ。
剣術の心得があるというわけではなさそうだが、それでも剣の使い方は分かっているらしく、下から突き上げるように水の壁に刃を突き立てていた。
その一方で、レイクは魔法書の別の項目を片手で持ちながら探しているらしく、ガロンの挑発に乗る余裕はなさそうである。
直接、目で見ながら捲らなくても、彼の指はそれぞれの呪文の項目がどこに記載されているか覚えているらしい。
「俺がただ、剣を突き立てるしか能がない奴だと思うなよ」
にやりとガロンが笑った瞬間、彼は緩めた口から呪文を吐き出す。
「――凍る鉄の盾!」
「っ!」
瞬間、水の盾と触れ合っていた氷の剣から伝うように瞬時冷却されていくのか、白い筋の入った氷が少しずつ広がるように形成されていく。
レイクの水の壁はガロンによって氷の壁へと化し始めていた。
それだけではない。水の壁に添えるように触れていたレイクの左手はそのまま氷の壁に飲み込まれていたのである。
「ちっ……。お前、本当に性格が悪いな~!」
左手を壁の一部として取り込まれてしまったレイクは大きく表情を歪ませながら舌打ちした。このまま、むやみやたらに動けば手が折れる可能性もあるため、レイクは一歩も動こうとはしなかった。
しかし、ガロンの魔法はレイクの水の壁全体に広がるものではないらしく、一部を凍らせただけである。
逆転せよの魔法ではないため、完全に自分のものとして水を氷へと変換出来なかったのかもしれない。
それでも、レイクが手を触れていた場所を中心に凍っているため、簡単には抜け出せないだろう。
だが、ガロンにとってはレイクが動けないという状況を作り出すことを目的としていたらしく、満足気な表情を浮かべている。
「このままじゃ、凍傷起こすぜ? 諦めて、棄権した方がいいんじゃないか?」
「……」
レイクは眉を深く寄せていた。
応援席にいる誰もが、レイクの決断を静かに待っているが、彼の相棒であるユアンはガロンよりも余裕の笑みを浮かべているだけで、全く心配などしていないようだ。
暫くの間、無言でガロンと対峙していたレイクだったが、何かを決めたのか深く息を吐く。
「……はぁ、仕方ないか」
一体、この状況をどうするのかと見守っていた時だ。レイクは右手の魔法書を大きく見開き、高々に声を張った。
「――霧散する牙!」
「な……」
レイクが発した呪文は形成された物体を一瞬にして、粉々に砕く魔法だった。ガロンは意外だと思ったらしく、目が丸くなっているようだ。
呪文がレイクの水と氷の壁に響き渡っていき、やがてガロンの剣も巻き込んだまま、その姿は形を崩していく。
細く、小さく砕かれた氷の壁と剣は、雪の結晶となり、水は空気中へと溶けるように弾け飛んでは消えていく。
突如として壁が消え、レイクとガロンの境目がなくなった瞬間、レイクは右手に持っていた魔法書を――空中へと投げたのだ。
「っ――!」
魔法を使うための媒体である魔具を自ら投げて捨てると思っていなかったのか、ガロンは驚きの表情で空中に浮かび上がる魔法書へと視線を向ける。
レイクにとってはその一瞬の隙で十分だったらしい。
ガロンの視線が自分から別の対象へと動いている一瞬のうちに、レイクは素早くガロンの右腕を掴み、己の背中をガロンの懐へと重ねるように入り込んだのである。
「歯ぁ、食いしばれ!」
レイクの小さな身体に、どこにそんな力があったのかと思えるほど勢いを付けて、ガロンの身体をそのまま背負うように持ち上げ、地面に向けて投げ飛ばしたのである。
「ぐあっ……」
魔法部門の試合でまさか、背負い投げられるとは思っていなかっただろうが、試合上のルールとしては反則に入らない。
それは実戦に乗っ取ったこの試合形式は、突然魔法が使えなくなる場合も考慮しなければならないからである。
もちろん、相手に重傷を負わせてはいけないので、その辺りの判断は審判が決めるだろう。
アイリスがちらりと審判の方に視線を向けると、レイクの魔法を使わない攻撃は有効技と見られ、このまま試合続行されるらしく、何も言われることは無かった。
レイクに背負い投げられたガロンは身体に痛みが巡ったのか、顔を大きく歪めており、すぐに立ち上がることが出来ないようだ。
「……っは」
ガロンの腕を掴んでいたレイクはすぐに手を放して、空中へと投げていた魔法書の落下に合わせて右手を頭上へと上げる。
まるで、吸い込まれるように魔法書はレイクの右手の中にすっぽりと収まり、レイクはそのまま勢いよく魔法書の項目を開いた。
水溜まりの上で、苦痛の表情を浮かべたままのガロンを無視して、レイクはその場に跪き、足元を覆いつくしている大きな水溜まりに向けて手を叩くように置いた。
水溜まりに置かれた手によって、水が弾き、反響するように水面を揺らしていく。
「――逆転せよ!」
片手で素早く開かれた魔法書の項目は先程と同じ「逆転せよ」の魔法だったらしく、レイクの呪文に従うように、彼の左手が触れた水溜まりが淡く光り出す。
その大きな水溜まりが伝う先へと視線を向けると、ガロンが試合開始時に形成していた氷の壁まで伸びていたのである。
……最初から、レイク先輩はこれを狙っていたのね。
攻撃を受け流していただけではない。少しずつ相手に気付かれないようにレイクは己の魔法が通用する陣地を密かに伸ばし続けていたのだ。
そして、それが今、到達したのである。
この度、何とか己に課していた課題が無事に終わりました。遅い更新の中、ずっと「真紅の破壊者と黒の咎人」を読んで下さり、ありがとうございました。凄く励みになっておりました。
今日から更新を再開したいと思います。
以前のように何も用事がなければ、毎日更新に戻したいと思いますので、これからもどうぞ宜しくお願い致します。




