水影の巨壁
準備は整っているのか、レイクは魔法書を片手に持ったまま、余裕の表情で試合相手と対峙している。
試合相手の男はレイクと同じくらいの歳に見えるが、遥かに身長が高く、がっしりとした身体つきをしていた。男は不愉快そうな表情でレイクを睨んでいるようにも見える。
「あれは……。魔物討伐課のガロン・メドスね」
ミレットが手持ちの手帳を捲りながら素早く説明していく。
「性格は猪突猛進で考えるよりも身体が先に動くらしいわ。まぁ、アイリスと一緒ね」
「ちょっと、どうしてそこに私の名前を出すのよ」
失礼だと反論するようにアイリスが唇を尖らせるとミレットはわざとらしく肩を竦めていた。
「だって、本当のことじゃない。……まぁ、そのことはとりあえず置いておいて」
ミレットは軽くアイリスを宥めつつ、話の続きを始める。納得はいかないアイリスだったが、それでも話の続きを聞くべく黙る事にした。
「それでガロン・メドスのことだけれど……。うーん、得意魔法は氷みたいね。氷の造形魔法による攻撃が得意みたい」
アイリスがちらりと視線をレイクの試合相手のガロンの方へと向ける。
どうやら彼の魔具は手袋らしく、しっかりとはめ直しては余裕な笑みを浮かべていた。恐らく、レイクの魔具が魔法書であるため、魔法の展開は自分の方が早いと踏んでいるのだろう。
「あらあら、それならレイクとの相性が良いのかしら」
ミレットの話を聞いていたユアンが、こちらの方へと視線を向けて来る。
「レイクが持っている魔法書の中に一番多く入っているのが水属性の魔法なの」
「……でも、相手が氷属性の魔法が得意なら、水属性の魔法を使えば、魔法が飲み込まれてしまうのでは?」
クロイドが小さく首を傾げながらユアンに尋ねると彼女は苦笑しながら頷いていた。
「そうね。攻撃性で優れているのは氷の方だもの。……でも、水って無限に形を変えられるのよ」
そう呟いた時のユアンの視線は再び、試合会場で真っすぐと立っているレイクの方へと向けられていた。
第二試合の準備が整ったのだろう。審判となる男性が右手を挙げて高らかに宣言する。
「第二試合……――始め!」
その言葉が告げられた瞬間にレイクは右手で持っていた魔法書のとある項目を素早く開いていた。
どうやら、試合前から使う魔法を決めていたらしく、右手の指を魔法書の項目の中にあらかじめ挟んでいたらしい。そのためもあってか、素早く魔法書を開くことが出来たようだ。
「――水影の巨壁!」
「不動の氷壁!」
レイクとガロン、同時に魔法を展開させていく。
レイクの呪文に反応したのか、魔法書の項目が淡く光り始めた。彼が唱えた呪文は水の魔法だ。
空気中の水分を集結させて更に凝結し、レイクと木製の人形を囲むように水の分厚い壁がみるみるうちに形成されていく。
透明だが、水で出来ているためか、風が少し吹くだけで水面の壁が揺れているようだ。
その一方で、ガロンの一発目も防御の魔法らしく、唱えた魔法はミレットが言っていた通り氷属性の魔法だ。
空気中の水分を凝結させ、そしてさらに固体となる氷を地面から突き出すように巨大な壁を形成していく。
しかし、レイクと違う点があるとすれば、形成された氷の壁が囲っているのは木製の人形だけで、ガロン自身はその防御の外側にいた。
一体、どうするつもりなのかとアイリス達は息を飲み込みながら、レイク達の試合をじっと見守る。
「よぉ、魔具調査課のちび。お前とは一度、本気でやりあってみたかったんだよ」
余程、余裕があるのかガロンはわざとらしくレイクを挑発してくる。
「あぁ? 誰がちびだ、この野郎! その氷ごとぶち抜いて、人形をお前の代わりに串刺しにするぞ、おらぁ!?」
背が小さいことを指摘されたレイクは、普段ユアンに反論する際よりも口悪く言葉を返していた。
ユアン以外に言われるとどうやら通常以上に腹が立つらしい。
「やれるもんなら、やってみやがれ、腰抜け野郎! ――乱れろ、凍てつく氷剣!」
ガロンが右手を横に一閃薙ぐような仕草をすると、彼の頭上に突如、氷で作成された剣が三本形成されていく。
しかし、細部までは拘っていないようで、良く見れば先端が尖っただけのようにも見えた。攻撃性と速攻を重視した魔法らしく、単に打撃を与えるために作ったようだ。
「ただの水の壁が氷に勝てると思うなよ!」
「うるせぇ! そんなの、やってみねぇと分からねぇだろう!」
ガロンの言葉にすぐに反論しているレイクだが、どうやら二人はお互いに性格が合わないと分かっているようだ。傍から見ればお互いに威嚇し合っている、縄張り争いの猫のように見えた。
「はっ! 今のうちに、喚いていやがれ、ちび野郎! ――突撃!」
ガロンの命令に従うように三本の氷の剣は鋭い先をレイクの方へと向けて、矢の如く放たれた。
「俺の魔法がただの水だと思うなよ!」
レイクはにやりと笑って、空いている左手で水の壁に音を鳴らすように手を思いっ切り触れる。
水飛沫が軽く飛び散り、その水がレイクの顔へとかかっていた。
しかし、目を瞬かせる一瞬が無い程の速さでガロンが形成した氷の剣がレイクの水の防壁へと直撃したのである。
だが、不敵な笑みを浮かべたのはレイクの方だった。
「――かかったな!」
まるで見越していたと言わんばかりにレイクの瞳は楽しげに見開かれる。氷の剣は勢いよく水の壁に突き刺さったが、刃を半分ほど防壁の中にねじ込ませた後はぴたりと動きを止めてしまう。
良く見て見ると、水の壁に突き刺さった剣先には薄い膜のようなものが纏ってあり、それはどうやら水によって出来ているものらしい。
「俺の水はただの壁じゃねぇ! 弾力性だってあるんだよ!」
レイクはそのまま、水の壁に触れていた手をもう一度大きく、飛沫を上げるように叩いた。
「押し返せ!」
レイクの命令の下、氷の剣を突き通さないように押し留めていた水の膜が微動し始めていく。
そして水の膜は弓に張られた弦から放たれた矢の如く、三本の氷の剣をガロンの方へと押し戻したのである。
「っ!」
相手に向けたはずの攻撃がまさか自分の方へと同じ状態のままで戻って来るとは思っていなかったのだろう、ガロンは驚きの表情を浮かべたまま、瞬時に身体を縮めて氷の剣からの攻撃を避けた。
氷の剣はガロンが形成している氷壁に直撃すると、壁よりも脆かったらしく三本とも同時に粉々に砕け散っていた。
「っ……。おい、危ねぇだろ!」
粉々になった氷の破片から顔をレイクの方へと向けて、ガロンが怒鳴るもレイクはそれを鼻で笑っていた。
「お前が俺を見くびっているからだろうが! 何を言われても痛くも痒くもねぇな! あと、俺のことを小さいって言う奴には容赦はしねぇ!」
やはり、身長を馬鹿にされたことを根に持っているらしく、レイクの表情は気に入らないものを見るような冷たいものに変わっていた。
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「あらら。あのガロンって人、レイクから相当嫌われちゃったみたいねぇ」
のんびりとした様子でユアンが楽しげに笑っていた。
「……あの水の壁、強度って一体どうなっているんですか」
レイクの魔法が気になったのか、クロイドがユアンへと問いかけていた。
「何だか、ただの防御魔法とは少し違うような……」
「あら、よく気付いたわね」
クロイドの言葉にユアンは小さく笑って頷く。
「レイクの水影の巨壁はただの防御魔法じゃないの。……あれは攻守一体の水魔法になっているのよ~」
「攻守一体……?」
どういう意味かとクロイドが首を傾げるとユアンは人差し指を自分の口元へと近づけて、悪戯っぽい笑みを見せる。
「ふふっ。それは見てのお楽しみよ」
片目を軽く瞑って、ユアンは視線を再びレイクの方へと戻す。その青い瞳はレイクがこの試合に勝つことを確信しているようにも見えた。




