風牙の狼
ユアンは対戦相手のライナスと向き合い、杖を構える。試合開始の掛け声が響いた瞬間、二人は同時に己の魔具に魔力を込めたのか、それぞれの魔具が淡く光り出す。
「――風薙ぎの翼!」
「透き通る盾!」
ユアンは風の魔法、ライナスはミレットの予想通りの防御に徹するらしく結界魔法を展開させる。
ぶわりとユアンの周りを囲むように強い風が渦を巻き始め、彼女が羽織っている短い外套がゆらりと揺れた。
だが、それよりも魔法の形成が早かったのはライナスの結界の方だった。
ユアンが杖の先をライナスに向けて、形成した竜巻に彼を攻撃するようにと命令を下す。ユアンの身長よりも少し高い竜巻は、命令に従うようにライナスが形成した結界へと突撃した。
竜巻と結界が衝突した音がその場に鈍い音を立てる。
しかし、攻撃対象となっている木製の人形はライナスと一緒に結界の中に守られているため、ユアンが生み出した竜巻は結界によってすぐさま弾き返されていた。
「無駄だ!」
簡単に結界は割らせないと言わんばかりにライナスが叫ぶ。
「さぁ、それはやってみないと分からないわ」
何か良い打開策でもあるのか、ユアンは不敵な笑みを浮かべている。ユアンはライナスを見据えながら、杖の先を少し動かし、空いている左手で空にある何かを掴み取るような仕草をした。
・・・・・・・・・・・・
「――ありゃあ、勝負が決まったな」
ユアンの試合を見ていたレイクが、何故か仕方ないものを見るような瞳をしていた。どういうことかとアイリスが視線で問いかけるとその視線に気付いたレイクは小さく苦笑する。
「あの左手の動き……どうやら風を操り始めたみてぇだな。……いや、正確に言えばユアンが風と同化しているって言った方が良いかもな」
ますます分からない。首を傾げているのはアイリスだけでなく、クロイドも同じようだ。そんな後輩二人を見て、レイクは白い歯を少しだけ見せて愉快そうに鼻で笑う。
「まぁ、見ていろよ。すぐに分かるさ」
レイクから詳しく聞くよりも、ユアンの試合を見た方が説明は早いという事だろう。アイリス達は再びライナスと対峙しているユアンの方へと視線を向けた。
・・・・・・・・・・・
ユアンはまるで指揮棒代わりにするように杖を上下に揺らしながら、左手を開いては閉じている。その両手に従うようにライナスの結界へと衝突を繰り返していた竜巻は、別の動きを始めたのだ。
……風で演奏しているみたい。
アイリスの耳元にはユアンが作った竜巻が立てる音が軽快な音程を刻んでいるように聞こえていた。
「……」
ユアンが左手で何かを掴み取る仕草をするたびに、竜巻はライナスの結界周辺を周回するようにゆっくりと動き始める。
竜巻が二週目を周回し終えた時、不審なものを見るような瞳でライナスがユアンを睨んでいた。
「そんな攻撃で俺の結界が壊せると思うのか!?」
「あらあら、短気ねぇ。……あなたも結界の中に閉じこもっていないで、出ていらっしゃいな。それとも直接勝負して私に負けるのが怖いかしら」
「この……」
ライナスを挑発しているのか、ユアンは高らかに笑っている。
「……ここね」
その瞬間、それまで笑っていたユアンの表情が真顔のものへと変わり、杖を頭上へと大きく振り上げたのである。
まるでその場の空気が全てユアンの元へと集まっているのではと思えるほどに、ユアンの周辺を風が取り巻き始める。
ぶわりと零れた風が応援席で見守っているアイリス達までの元へと届いた。思っていたよりも冷たい風は外套を着ていなければ、少々寒いくらいに感じる。
「――さぁて、風穴開けるわよぉ~!」
真面目な表情から一転、ユアンがにやりと楽しそうな笑みを浮かべて、自身の身体を取り巻いている大きな風に命令を下す。
「狙い目は相手の身体の左後方! 行きなさい、風牙の狼!」
ユアンの声が発せられたと同時に、身体を取り巻いていた風から一つの個体が飛び出した。
「っ!」
風によって形成されたのは、白い狼の形をしている鋭い風だった。風の狼はユアンの3倍の大きさで、最大限に広げている口からは研ぎ澄まされた歯がずらりと並んでいる。
ユアンの命令の下、風の狼は遠慮することなくライナスの結界へと噛み付いた。
「なっ……」
ライナスの身体の向きから、左後方に風の狼が歯を立てる。ぎりぎりと結界へと風の狼の歯がめり込んでいるのか、不快にも取れる音がその場に響いていく。
「結界の形成が早いのは褒められるけれど、強度の維持を前面に集中させすぎよ。あなたの不得意な場所は左後方の維持のようねぇ?」
「くっ……」
・・・・・・・・・・・
ユアンの顔が更に愉快そうなものへと変わっていくと、その様子を見ていたレイクが溜息交じりに呟いた。
「――ほら、相手にとって嫌な部分を突いて来るのが得意なんだよ、こいつは」
普段からユアンに身長のことでからかわれているため、レイクはユアンの戦い方がどのようなものかはっきりと理解しているらしい。
「多分、魔具調査課の中で相手にとって一番いやらしい戦い方をするのはユアンだな。うん、絶対そうだ」
腕を組んでは何度も頷くレイクに対して、右方向から笑い声が上がる。
「ぷふっ……。それ、あとでユアンに言っておこうっと」
「あ、ミカ先輩、そりゃあないですよ! ちょっと、今の無し! 今の発言は聞かなかったことにして下さいっ!」
「えぇ~? どうしようかなぁ」
「そんな事を言うなら、俺もミカ先輩がこの前、間違えてナシル先輩のおやつを食べたこと告げ口しますからね!」
「……もうしているじゃん、レイク」
それまでレイクをからかっていたミカの楽しげな表情がすっと暗いものへと変わる。何かを察したのか、レイクが一歩後ろへと下がった。
「……す、すみません」
「もう、遅いよ……」
諦め顔でミカが呟いた瞬間、彼の肩に後ろからぽんっと手が置かれる。
「ミ~カ~?」
ミカの後ろからすっと現れたのは、眩しい笑顔を作っているナシルだった。本人に聞かなくてもこれは怒っている笑顔だと分かる。
「お、ま、え、かぁ~!? この前、私が仕事終わりに食べようと大事に取って置いたクッキーを勝手に食べたのはぁ~!?」
ナシルは両拳を作り、ミカのこめかみにめり込むように何度も押し付ける。
「痛いっ。痛いってば、ナシル! ほら、後輩が見ているから! ここは公共の場だから!」
「お前って奴は……! 勝手に食った上に何事も無かったような態度を取りやがって……! 私はあの時、聞いたよな? 私のおやつがどこに行ったのか知らないかって、聞いたよな!?」
「ごめんってば~。わざとじゃないんだって……。痛いっ! ……もう、レイクのせいだからね! 絶対にユアンに告げ口してやるっ」
「えぇっ!?」
「……うるさい」
ユアンの試合を真っ直ぐ見ていたロサリアがぼそりと呟くが他の三人には届いていないようだ。
すでにユアンの勝利を確信しているのか、深く心配することなく騒ぎ始める先輩達を横目で苦笑しながら見つつ、アイリスは視線を目の前で繰り広げられる試合へと戻した。




