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模擬試合


「勝敗の着け方はどうしましょうか」


「そうね……。参ったと先に言った方が負けにしましょうか」


 アイリスは今、立っている場所から少しだけ後ろへと下がり、イトとの間に間合いを取った。


「分かりました。……体術も時間制限も無しで宜しいですか?」


「えぇ」


 アイリスが同意するように頷くとイトも承知したらしく、軽く頷き返す。


 彼女はベルトに差していた木製の剣を抜いて、今度は自分の左手で鞘を握るように持ち替える。腰を少し落とすように体勢を低くして、空いた右手でいつでも剣が抜けるように構えていた。


 ……確か、イトは東方の国の剣術が使えたわね。


 以前、手合わせした時にもイトは同じような構えから素早い一撃を放ってきたことを思い出す。


 イトの剣術は言わば、一撃必殺だ。剣を構えて、抜き身した瞬間、目にも留まらぬ一撃を放つことで相手を瞬時に仕留める技術を持っている。


 元々、小柄な体格でもあるイトは魔具を使わなくても身軽な動きによる剣術も得意としていた。一年前の記憶を引き出しながら、アイリスは目の前のイトがどのような動きをしてくるのかを想像する。


 ……彼女のことだもの。一年もあれば、以前よりも技術は向上しているでしょうね。


 アイリスはいつもと同じように両手で柄を握りしめ、剣を自身の目の前へと構えて、ふっと短く息を吐く。


 お互いに剣を構えているため、準備は出来ているが、それでも打ち込まないのは相手の出方を見ているからだ。


「……」


 朝の静けさが二人によって作られた静寂に混じっていく。遠くに聞こえる声は人の声か、鳥の声か。


 身体の動きだけでなく、瞳の動きからいつ一撃が放たれるのかを見極めようとアイリスはイトを凝視していた。彼女の肩は全く動いでおらず、息をしているのかさえ疑いたくなる。


 その瞬間は突如やってきた。


 イトが右足を大きく一歩踏み出し、空いていた右手で剣の柄を掴んで空間を斬るように一閃を薙いだ。


「っ!」


 その速さは以前よりも増しており、アイリスは剣を構えたまま大きく後ろへと跳び下がった。

 それでも、イトの一撃はアイリスの剣を掠めたため、手には振動が後味のように残っていた。


「……やはり、自分の剣筋を見極められてしまうのは悔しいものですね」


 残念そうにイトは呟き、両手で剣の柄を持ち直してから、顔の横へと水平に剣を構える。


「あら、私はあなたの一撃は好きよ? ……迷いが全く感じられないもの」


「……父直伝の技ですからね。敵は一撃で仕留めよと教わりました」


 イトは無表情のままだが、それでも自分と剣を交えることが楽しいのか、声がどことなく弾んでいるように聞こえた。


「……」


 今度はアイリスから攻撃を仕掛けてみる。アイリスの剣が水平に突き刺すように線を描く。

 同じように剣を水平に構えていたイトはアイリスの攻撃に瞬時に対応するように、すぐさま剣の持ち方を変えた。


 イトは下から上へと薙ぐように、アイリスによって生み出された一閃を叩き上げた。


「っ!」


「甘いです」


 持っていた剣がアイリスの頭上へと跳ね上げられたことで、身体前面に大きな隙が生まれてしまう。


 掬い上げられたアイリスの腕が元の位置に戻るよりも早く、イトの剣が空いたアイリスの脇腹目掛けて一閃を薙ぐ。


 後ろへ下がって攻撃を避ける暇はないと感じ取ったアイリスは頭上へと跳ね上げられていた剣の刃――ではなく、柄をそのまま真下へと振り下ろす。


 アイリスの握っていた剣の柄頭を自分の腹へと目掛けてくるイトの一閃に向けて叩き落した。


「っ――!?」


 正確にアイリスの剣の柄頭がイトの剣の刃へと振り落とされたことで、イトの剣はアイリスに触れる直前で水平を保てなくなっていた。


 体勢が崩れる前に後ろへと先に下がったのはイトだった。アイリスも自分の体勢を立て直すために、追撃することはせずに、自分も数歩後ろへと下がった。


 イトの額には薄っすらと汗が滲んでいるように見える。そして、この模擬試合が楽しいのか、珍しくイトの口元は緩んでいるようだ。


「今の、凄いですね。まさか柄頭で攻撃を妨げるとは思っていませんでした」


「使える攻撃なら、何でも使うわ。……私、負けず嫌いなのよ」


 模擬試合でさえ、負けたくないと思ってしまう。もちろん、負けたら負けたで、その後に色々と反省点が見つかるので勉強にはなるのだがやはり勝負事には負けたくはない。


「えぇ、十分承知しています。……だからこそ、私も本気で立ち向かえるのですけれどね」


 すっと、自分達の周りの空気が冷たいものへと変化した気がした。


 ……殺気、と言うべきかしら。


 目の前に立っているイトからは夏場であるにも関わらず、ひんやりとした冷たさが漂ってくる。


 ……これは長期戦になりそうね。


 アイリスも心の中で不敵な笑みを浮かべつつ、再び剣を構えた。




 

 どれくらいの時間、お互いに剣を撃ち合っていただろうか。短い時間か、それとも長い時間か分からない。

 集中力が切れることなく、アイリスとイトは互いに剣を交えては、距離を取り、再び一閃を薙いでいた。


「……さすがにここまで力が拮抗するとは思っていませんでした」


 イトはそう言っているものの、膨大な体力と集中力を使ったにも関わらず、息は上がっていない。日頃から、しっかりと鍛えている証拠だろう。


「そうね。……でも、本気でやり合えるのは楽しいわ」


 アイリスがそう答えると同意してくれるのか、イトの唇がふっと笑ったように見えた。

 だが、次の瞬間、彼女の瞳は何か面倒事が起きたと言わんばかりの瞳へと変化する。


「……?」


 イトの視線が自分ではなく、後方へと向けられていることに気付いたアイリスは後ろを軽く振り返った。


 訓練場の入口に立っていたのは、菜の花色の髪がふわりと揺れる同い年くらいの少年だった。彼の深緑色の瞳は真っすぐとイトへと向けられており、何故か瞳は輝いている。


「イトっ! やっぱり、ここにいた」


 想像していたよりも低い声で少年はイトの名前を呼ぶ。呼ばれた方のイトは眉を寄せて、深い溜息を吐いていた。


「……わざわざ迎えに来なくていいといつも言っているのに」


 イトは剣を構えていた腕をぐったりと下ろして、アイリスの方へと向き直る。


「すみません、アイリスさん。せっかく良いところだったのに、勝負はお預けのようです」


「え? あ、それは別に構わないのだけれど……。……もしかして、相棒?」


 訊ねられると分かっていたのかイトは手をこちらに振り続けている少年を細い瞳で眺めながら頷き返す。


「相棒のリアン・モルゲンです。……食事くらい一人で静かに摂りたいのに、いつも一緒に食べようと誘ってくるんです」


「まぁ……。仲がいいのね」


 アイリスはからかうつもりなど全くなかったのだが、イトが露骨に嫌そうな表情をしたため、謝る意味も含めて肩を大きく竦めて見せた。


「あ、もしかして俺、お邪魔しちゃった?」


 リアンという名前の少年はそこでやっとアイリスの存在に気付いたらしく、軽く頭を垂れた。アイリスも挨拶するように軽く頷き返す。


「そうですよ。おかげでアイリスさんとの決着が着きませんでした」


「うわっ、ごめんよ。そういうつもりじゃなかったんだけど……」


 雨で濡れた子犬のようにリアンは肩を大きく落とし、申し訳なさそうな表情をした。

 リアンの悲しげな表情に弱いのか、イトは顎を少し引いて、唾を飲み込んだような素振りを見せる。


「……別に、構いませんよ。私もちょうど、お腹が空いて来た頃合いだったので」


 絞り出すようにイトが言葉を零すと、リアンの表情はぱっとその場に花が咲いたように明るいものとなる。


「そう? それなら、良かった。……あ、お友達も急に邪魔しちゃってごめんね?」


 リアンにとってアイリスはイトの友達という括りに当てはめられたらしい。

 イトの方はというと、もう言葉を返すことも諦めているような表情をしていたため、アイリスは曖昧な笑みを浮かべて頷いておいた。


「あなたは急かし過ぎなんです、リアン」


「だって、時間が経てば経つほど、食堂を利用する人は多くなるから、早めに朝食を摂りたいって言ったのはイトだよ?」


「だからと言って、毎日私を呼びに来なくてもいいでしょう。食事くらい、一人で摂らせて下さい」


「えぇ? 俺はイトと一緒にご飯を食べたいだけなのに……」


「……そうやって、あなたが私にむやみやたらに構うから、周りの人から物好きだなんて言われるんですよ」


 リアンが現れてから何度目か分からない溜息をイトは吐き続ける。

 だが、リアンの方へと足を伸ばしていたイトは立ち止まり、アイリスの方へと振り返った。


「アイリスさん」


「何かしら」


「この勝負の続き、武闘大会で決めましょう」


「……えぇ、楽しみにしているわ」


 アイリスが不敵な笑みを浮かべるとイトは満足したように表情を緩めてから、再びこちらに背を向ける。

 イトは鍛錬用の木製の剣を武器が保管されている木製の箱の中へと戻してから、リアンの方へと歩みを進めた。


「そういえば、今日の昼の任務って街中の見回りだったよね? 外は暑そうだなぁ」


 リアンは律儀にもう一度、アイリスの方へと頭を下げてから、イトと同じ歩みの速さで訓練場から出て行った。


「……文句を言うなら、夜回りの当番を多くしてもいいんですよ」


「えっ、それは寝る時間が減るから嫌だ」


 微笑ましくも思える会話はやがて遠くなっていく。訓練場は再びアイリス一人となった。


「……」


 手に残る感触を思い出すように、何度も掌を開いては閉じる。


 イトとの模擬試合はほとんど互角と言っていいだろう。

 しかし、一撃必殺で速い攻撃を得意とするイトに対して、自分は何を持ち味にして戦えばいいのか掴み切れていない。


 ……今度の武闘大会までに、自分の戦い方を見直さないと。


 アイリスは剣の柄を強く握り直し、再び一人で素振りを始める。迷いも悩みも解決はしていないが、イトと本気で剣を交えたことで、魔物討伐課にいた頃の感覚が戻って来たのだろうか。


 一振りするごとに剣が空間を切り裂く音は先程よりも切れ味が増しているように感じていた。



   


 「登場人物紹介」の項目に人物の紹介と絵を追加しました。宜しければご覧くださいませ。

 ……でも、おじさんはやはり上手く描けませんでした。すみません。


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