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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
悪魔の人形編
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無力


 その日の夕方、教団に戻って来たアイリス達はエリックを連れて、魔具調査課の課長室へと訪れていた。

 課長机には回収した「封魂結晶」が埋め込まれた人形が置かれている。その人形を一瞥してから、ブレアは真っすぐと立っている三人へと視線を向けた。


「……そうか。ラザリーが……」


 静かに呟かれる言葉にアイリスはぐっと何かを飲み込んだ。


 細められているブレアの瞳がどういう感情を宿しているのかは分からない。それでも、表情は決して明るくはないものだった。彼女もまた、ラザリーの死に対して複雑な思いを抱いているのかもしれない。


「……セド・ウィリアムズは、どうするおつもりですか」


 クロイドが無表情のまま、ブレアに訊ねる。ブレアは一度目を閉じて、そして腕を組みつつ唸るように答えた。


「確かに何の罪もない一般人に対して教団の魔法使いではない者が忘却魔法を使うことは禁止されている」


「……」


「だが、今回の件に魔具と悪魔が関わっている以上、迂闊に忘却魔法を解くことは得策ではないだろう。……セドは今、教団の魔法使いではないからな。魔法を使用したという点に置いては処罰対象になると思うが……恐らく、村人達の忘却魔法が解かれることはない」


 それがブレアの考えらしい。


「ずっと……ラザリーのことは……」


 思わず呟いていた言葉をアイリスは無理やり飲み込んで口を閉ざした。

 アイリスの気持ちを察しているのか、ブレアは表情を変えないまま軽く頷く。


「この報告が審議へと持って行かれてから、セドに対する処置がとられるだろう。その後がどうなるかはまだ分からないが……」


 ブレアも本音を言えば、感情で動きたいのかもしれない。セド・ウィリアムズは彼女の兄弟子だ。

 それ故の情というものがまだ残っているのなら、ウィリアムズの気持ちも理解したいと思っているのかもしれなかった。


「……ウィリアムズさんが、教団に戻って来ることはないのですか」


 アイリスの問いかけにブレアは少し難しい顔をした。


「性格や思考は置いておいて、教団側としては、セドは魔法使いとして一流の人間だ。戻って来るのであれば、それなりの反発を抱く者もいるだろうが……。あいつのことだからな、戻ってこいと誘っても快く承諾はしてくれないだろう」


 長年、お互いに見て来たためか、ブレアはウィリアムズのことをよく知っているらしく、どこか苦渋に満ちた表情で溜息を吐いていた。


「矜持などではない。……あいつがいつも求め続けているのは、そんなものじゃなかったからな」


 ブレアの瞳がどこか遠くを見つめているように虚ろに見えた。


「――エリクトール・ハワード」


「は、はいっ!」


 突然、ブレアに名前を呼ばれたエリックは伸ばしていた背を更に真っすぐに伸ばし直して、緊張気味の表情で返事をする。


「この度の合同任務、初任務ながらよく遂行してくれた。ただ、そちらの課としては、任務が完遂されたとは言えないだろう。その辺りを含めて、私も魔的審査課の課長に説明がてら直接報告しにいこうと思うが、その際は君に同席してもらってもいいだろうか」


「は、ひっ……、わ、わかりましたっ!」


「うむ。では後ほど、魔的審査課に向かうとしよう。……もう自分の課に戻ってくれて構わないぞ」


「宜しい、のですか?」


「あぁ。……人形のことも任せておいてくれて構わない。祓魔課に持って行く前に、アドルファスとも色々と話をせねばならないだろうからな」


 エリックの叔父であるアドルファスという名前を呟いた一瞬、ブレアの表情が少し歪んだように見えた。余程、アドルファス・ハワードが嫌いらしい。


「で、では……。私は……これで失礼します」


 本当に魔的審査課へ戻って良いのだろうかという表情をしていたため、アイリスが穏やかに微笑んで頷くと、エリックもぎこちなく頷き返した。

 エリックはブレアの方を向いて、深く頭を下げてから課長室から出て行く。


 足音が完全に聞えなくなってから、ブレアは再びアイリス達の方へと視線を移した。


「……それで悪魔、混沌を望む者(ハオスペランサ)についてだが」


 エリックを席から外させたのにはやはり、ブリティオン王国のローレンス家が関係しているためらしい。


「はい、報告します。……この人形を作ったのはエレディテル・ローレンスですが、ラザリーに直接与えて、魂を集めさせていたのはハオスという悪魔でした。何でも、魂を魔物に食べさせる……と言っていました」


「魔物に人間の魂を……えげつないことをさせる奴だな……」


 ブレアの顔が思いっきり顰められる。


 それもそうだろう。魔物に魂を食べられてしまえば、その魂は完全に消失してしまうのだ。降霊魔法で呼び出すことも不可能となる。

 実は肉や精気を食べる魔物よりも性質が悪く、狂暴なのが魂を食らうことを糧としている魔物だった。


「その魔物は何に使う気だろうな……」


 ブレアの眉が更に深く寄せられていく。彼女の想像を超える何かがブリティオン王国のローレンス家に隠されているのだ。


 ハオスは改良した肉と魂を食べさせて魔物を狂暴化させると言っていたが、その魔物の使用方法については語っていなかった。


「ハオス自身もエレディテル・ローレンスによって作られたとのことです。……人間の少女の遺体に悪魔の魂を括りつけているようでした」


「……初めて聞いたな、そんなやり方は。悪魔が人間の身体を乗っ取ることはあるが、遺体に魂を括りつけるなんて聞いたことないぞ」


 知識が豊富なブレアでさえ、ハオスが作られた方法を知らないらしい。


「……古代魔法」


 ぼそりと呟かれる言葉にクロイドが首を傾げる。


「魂を扱う関係の魔法が古代魔法に多いことは知識としては知っているな?」


 ブレアの質問に対して、アイリスは力強く頷いた。


「だが、古代魔法のほとんどが禁忌扱いだ。……それは道徳や倫理に基づいて禁止されているだけじゃない。古代魔法は扱う側にも危険が伴うものが多いんだ。そのため、今の魔法使い達が古代魔法を知る事がないように、関係する全ては……灰となってきたはずなんだがな」


 つまり、古代魔法に関する書物は全て燃やされたという事なのだろう。厳重に注意しなければならない程に危険な魔法が揃っているらしい。


「悪魔の魂に関する魔法が古代魔法の中に存在しているのか、私もあとでイリシオス先生に聞いてみるよ」


「……はい」


 教団の総帥であるイリシオスは千年を生きている不老不死の魔女だ。彼女なら古代魔法のことを何か知っているかもしれない。


「ただ、ブリティオン王国のローレンス家が何か良くないことをやろうとしていることは確かだ。それが教団に飛び火してくるのか、もしくは――」


 ブレアの視線が真っすぐとアイリスへと向けられる。


「……アイリス。お前に、何か関わることなのか。どちらだろうな……」


「……」


 ハオスも言っていた。アイリスがハオスと対峙した際に、まだ殺す時期ではないと。そこにエレディテル・ローレンスも関わっていることをはっきりと発言していた。


 ……嫌な予感がするのに、霞みがかかったように何も分からないわ。


 不快な感情だけが積もっていく。拭え切れない不安とそして――。


「アイリス」


 名前を呼ばれたアイリスははっと顔を上げる。


「私の方でもブリティオンの方を調べてみるつもりだ。だが、今後は何が起きるか分からない以上、気を張っていて欲しい。まぁ、出来るなら何もないに越したことは無いが……」


「……分かりました」


 ブリティオン王国のローレンス家が何か仕掛けてくる可能性は高い。その目的や理由が分からないからこそ、深く用心しなければならない。


 話が全て終わったのか、ブレアが椅子から立ち上がり、机の上に置いていた人形を手に取る。


「今回の任務の報告書は後で提出してくれ。……私は今から魔的審査課と祓魔課に行ってくる。あぁ、この人形も私が魔法課に保管しに行くから、任せてくれ」


「……ありがとうございます」


 アイリス達の横を通り過ぎようとしていたブレアは一度、その足を止めて、アイリスの肩に手を置いた。


「……二人とも、よく……耐えたな」


「……」


 その一言を言い置いて、ブレアはこちらに背を向けて、課長室から出て行った。


 その場にクロイドと二人取り残される。突然、静かになった部屋は異質と思える程にわざとらしい静寂だった。


「……アイリス」


 クロイドが自分の名前を呼んだ。だが、返事を返すことは出来なかった。


 駄目だ、込み上げてはならない。

 押し込めておくと決めていた。


「……もう、良いんだぞ」


「っ……」


 クロイドの穏やかな声がすぐ傍で聞こえ、アイリスの細い肩にそっと手が置かれる。


 アイリスの顔はゆっくりとクロイドに向けられた。目を見開いたまま、唇を強く噛んでいるのに、自分の感情は耐えてはくれないのだ。

 零してはならないと自らに制約をかけるように、両手の拳を親指に立てて、血が出てしまいそうなほどに力を込める。


「アイリス」


 目の前へと来ていたクロイドの表情は憂いに満ちていた。彼が自分に何を許そうとしているのか、本当は分かっていた。

 だが、それを認めてしまえば、崩れ去ってしまう。


「……良いんだ」


 強く鼻をかすめたのはクロイドの優しい匂いだった。彼の腕が自分の背中と頭を支えるように添えられている。


「我慢、しなくても良いんだ」


 耳元で囁く声は脳と心に深く沈むように響いていく。アイリスの身体が一瞬だけ震えると、クロイドは優しく包み込むように腕に力を入れた。


 くしゃり、とアイリスの表情が歪んだ。我慢してきたものが、胸の奥底から込み上げて、声と瞳からあふれ出す。


「う……っ、あぁ……っ!」


 抑えきれなかった思いをクロイドに押し付けるように、アイリスはクロイドの肩口に額を載せた。


 溢れて、溢れて堪らなく悲しい。

 だが、その悲しさを例えることは出来ない。


 ラザリーが死んでしまったことを受け止め切れない。


 関わっていなければ、彼女は生きていたかもしれない。自分がハオスを倒していれば。

 もっと早くラザリーに対して適切な処置が出来ていれば。あの時、レイチェルが教会を訪れなかったら。ウィリアムズがもっと早く来てくれていたら。


 仮定の話をしても、ラザリーは戻ってこない。トゥリパン村から奪ってしまったものを返すことが出来ない。


 自分は、何も出来ないのだ。

 死んだ人間を生き返らせることも、何が正しかったのか見極めることも。


「何も……出来なかった……。私、何も……。ラザリーを……っ」


 ――助けられなかった。


 無力だった小さい頃の自分ではないのに、前よりも力は持っていたのに。それでも、自分は何も出来なかった。目の前で消えていくものを見るだけしか出来なかった。


 涙声のまま、アイリスは言葉を吐く。クロイドは何も言わず、ただ静かに背中を撫で続けた。

 その優しささえも、今は心に突き刺さっていく。


 何が正しかったのだろう。何を選ぶべきだったのだろう。

 抱くのは後悔と自責の思い。悼むべき者へ安寧の眠りを望むことさえも、今の自分には出来なかった。


 押さえ込むような泣き声が一つ、静かに室内に響く。その声に対して、安らかな道へと導いてくれるものは誰一人としていなかった。






             「悪魔の人形編」完

    

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