狂気
動きを封じているハオスへと止めを刺すつもりなのか、ウィリアムズが杖を少し上へと上げたその瞬間――影に取り巻かれていたものが内側から激しい爆発を起こした。
地響きにも近い音が床を鳴らし、空中を一気に赤く染め上げる。
「っ!」
クロイドの結界が張ってあるため、爆風は届かないが充満する煙によって何が起きたのか確認出来ない状況だ。
ただ、煙が漂う前に確認出来たのは、ウィリアムズがハオスを縛り上げていた影が突然の爆発によって吹き飛ばされた瞬間は見えていた。
まるで大量の縄を切ったように影は散っていき、普通の動かぬ影へと戻ってしまう。
「……しくじったか」
囁くくらいの声でウィリアムズが呟く。アイリス達は目を凝らして爆風の先へと視線を集中させる。
煙る先に見えたハオスの姿にいち早く気付いたアイリスは急いで、エリックの瞳を自らの右手で隠した。
「見ちゃ駄目っ……」
クロイドもハオスの姿に気付いたらしく、言葉にならない低い声を上げた。
結界を張っていなければ、おぞましい匂いが届きそうな姿をしているハオスをアイリスは唾を飲み込んで凝視する。
「……――あぁ、くそっ」
爆風の中、姿を現したのは皮膚が赤く焼けただれたハオスだった。服は無残という言葉が似合う程、ぼろぼろになっており、ただの布切れだけを纏っているような状態だ。
目と鼻、そして口だけでなく、身体の節々から血を噴き出させている。場慣れしていないエリックにはとても見せられない光景だった。
肉が焼け焦げたような異臭がしそうな姿に、見慣れているアイリスでさえ顔を大きく顰めた。
「あー……火加減、間違えたな。こいつはエレディテルに叱られるかもなぁ。まぁ、いいか。どうせ魔法で再生出来るし」
ハオスの身体からは白く濁った煙が沸き上がっていた。べちゃりと音がしたのは何が落ちた音だろう。
赤黒くなった身体がゆらりと動く。その視線はウィリアムズの方へと向けられていた。
……自らの身体を爆発させて、影魔法を退けたというの。
何て手荒な方法なのだろうとアイリスは唇を噛み締める。さすがに影で身体全体を埋め尽くすように捕らえられれば、退ける方法はないだろうと思っていた。
しかし、目の前のハオスは自らの身体を発火させて爆発を起こし、纏わりつく影を一瞬で吹き飛ばしたのだ。
これは人間が出来ることではない。正式な悪魔を打ち倒す方法でなければ消滅させることは難しいハオスだからこそ出来る自爆だったのだ。
それでも肉体を持っているハオスならば、と思っていたがそう簡単には上手くいかないようだ。
「……その身体でまだやるつもりか」
ウィリアムズが瞳を細めて、じっと様子を窺うようにハオスを見つめている。
「この俺を自爆まで追い詰めたんだ。これからもっと楽しくなるところだろぉ?」
爆発によって喉が壊れているのか、その声は少女のものではなく、喉の奥から這いずり出てくるように枯れた声だった。
「さぁて、次はどんな魔法で撃ち合うんだ? もっと、強いのにしようぜ! これ程、楽しくなるのは久しぶりだからよぉ……。――俺を楽しませるために、簡単に死なないでくれよ?」
低く喉が鳴るようにハオスの口から笑いが零れている。
「――狂気だ」
ぼそりとクロイドがハオスに聞えないように呟く。まさにその通りだ。目の前の悪魔を一言で表すなら狂気じみていると言っていいだろう。
思わずその狂気に当てられて、背筋と額に汗が伝う程だ。
アイリス達はただ息を飲むしかなかった。ハオスとウィリアムズのどちらが先に動くのか――。
しかし、それは唐突に終わりを告げる。
「んっ?」
浮かんでいるハオスの足元に緑色に淡く光る魔法陣が突如、出現したのだ。
それを見たハオスは子どもが嫌いな食べ物を目の前に出されたような苦い表情をする。
「おいおい……。今から良い所だっていうのに、それはないぜ、エレディテル」
「っ!」
エレディテルと言う名前にアイリスはすぐに反応した。ブリティオン王国のローレンス家当主、エレディテル・ローレンス。
会ったことはないが、それでも何となくどういう人物なのかは想像出来ている。
……ハオスに身体を与え、セリフィアに汚れ仕事をさせている……ローレンス家の当主。
アイリスの認識はほとんどが以前、セリフィアに教えてもらったことばかりだ。だが、良い印象を持つことは全くなかった。
「うちの主が戻って来いだとさ。……せっかく、今から面白くなりそうだったのに残念だぜ」
つまり、ハオスの足元に浮かんでいる緑色の魔法陣は彼を呼び戻すための転移魔法陣らしい。
本当に残念がっているらしく、ハオスは盛大に溜息を吐いていた。
「まぁ、いいか。どうせ、すぐにもっと面白いことが始まるんだからな」
「……これ以上、あなた達は何をするつもりなの」
それまで黙っていたアイリスは鋭い視線を向けながらハオスへ訴えかけるように問うた。
「それを言ったら面白くないだろう? お楽しみは突然やってくる方が盛り上がるものだぜ?」
まだ何か企んでいるらしい。
血によって赤く充血しているハオスの瞳が爛々と光っているように見えて、それが不気味に感じられたアイリスは軽く身震いした。
「仕方ねぇが、楽しみはお預けだ。――それじゃあな、教団の家畜共。また遊んでくれよ」
彼を作った主であるエレディテルには逆らえないのか、あっさりとした引き際にアイリスは無言のまま睨んでいた。
ハオスは魔法陣に吸い込まれるその瞬間まで不愉快な笑みを浮かべていた。完全にハオスが消え去ったと同時に魔法陣もそこから消滅する。
「……はぁ」
溜息が漏れたのは誰の口からだろうか。重く冷たかった空気はハオスがいなくなったことで、幾分か緩やかになったように思えたが、今はそんな状況ではない。
「――ウィリアムズさん!」
アイリスは入口辺りに立っているウィリアムズに向けて、大声で叫ぶ。彼もこの後をどうするべきか分かっているのか、かなりの早足で壇上へと向かってくる。
クロイドによって作られた結界は消え去り、ウィリアムズは白い顔で横になっているラザリーの傍らへと座った。
無に近いウィリアムズの表情が、深手を負っているラザリーをその瞳に映した瞬間、大きく眉を寄せていた。
その表情が何故か悟っているようにも見えて、アイリスは更に血の気が引いてしまう。
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