砂塵の大嵐
ウィリアムズが杖を軽く一閃引くように振った。張られていた結界は消えて、再び丸腰の状態へと戻る。
「――……」
その時、アイリスの耳にもはっきり聞き取れない程に小さい言葉をウィリアムズが呟いたのだ。
……呪文?
しかし、何と言ったか分からなかったアイリスは自分の態度を表に出さないようにだけ注意して、平静を装う。
「……清廉なる灯火」
ウィリアムズが灯りの魔法の呪文を呟くと、教会の壁に等間隔で炎の玉が宙に浮くように出現し、炎を揺らめかせていく。
薄暗かった教会内に明かりが灯ったことで、視界は良く見えるようになったが、それはこちらもハオスも同じ条件だ。
……どうしてわざわざ、灯りなんて……。
ウィリアムズも夜目が利いているはずだが、今頃になって灯りを点ける理由が分からなかった。
自分が把握し切れていないだけで、ウィリアムズには何か策があるのだろうか。
「それじゃあ、俺からいかせてもらうぜぇ!」
ハオスが右手を左から右へと薙ぐように一閃を描く。瞬間、ハオスの周りを囲むように緑色の魔法陣が出現した。
何度も見た光景にアイリスは少しうんざりしたような溜息を吐いた。
魔法陣からは細い棒状の鉄杭が少しずつ姿を見せ始め、そしてその尖端をアイリス達の方へと向けてくる。
アイリスは短剣を取り出すべきかと身体を構えていると、ウィリアムズが彼の左手をアイリスの前へと制するように伸ばしてくる。
つまり、手出しはするなという事らしい。
確かに魔法の打ち合いに手出しはしないが、自己防衛くらいはするつもりだ。
「さぁ、行くぜぇぇっ!!」
ハオスが人差し指をこちらに向けて指さしたと同時に、細い鉄杭達が槍の如く勢いづけて動き出す。
風を切る音が尋常ではないほど速い事は分かっていた。このまま、ここに居れば細い鉄杭が身体を貫くことも簡単に予想出来る。
それでも、ウィリアムズは慌てることなく冷静に杖を動かした。
「束縛せよ」
ウィリアムズとの距離が50センチ程に詰まった状態で、細い鉄杭は動きをぴたりと止める。空中で急に止まった鉄杭は不自然な状態で浮いていた。
「逆転せよ」
抑揚ない声でウィリアムズは呪文を綴る。
尖端をこちらに向けていた鉄杭はウィリアムズの呪文に従うように、半回転してから今度はハオスに尖端を向けた。
ウィリアムズは指揮をするように、杖の向きをハオスへと向ける。
鉄杭達は加速しながらハオスへと向かっていくが、空中に浮いたままのハオスが馬鹿にするような笑い声を上げた。
「俺が作った魔法が、そう簡単に操れると思っているなら、お前は相当間抜けだぜ、セド?」
「……」
だが、ハオスに鉄杭が届く1メートル程手前で鉄杭達は自ら動きを止めたのである。
ハオスの眉が小さく動く。どうやら、彼の力によって止めたものではないらしい。
「――風薙ぎの翼」
次に呟かれた言葉に従うように、ウィリアムズの杖から渦を巻いた風が形成され、大きなものとなっていく。
形成された竜巻は空中で止まったままの鉄杭を巻き込んでいった。強い風によって、巻き込まれた鉄杭は少しずつ削り取られるように形を無くしていく。
傍から見れば、自らの攻撃を無へと変える行為に見える。アイリスは首を傾げることなく、その行方を静観していた。
「何を――」
ハオスが言葉を続けるよりも早く、ウィリアムズは呪文を続ける。
「砂塵の大嵐」
鉄杭を砂塵と化した竜巻はそのまま、砂を纏った竜巻へと変化して、勢力を広げていった。
「くっ……」
砂塵の竜巻はハオスの身体を飲み込んでいく。
威力はそれほど高くはないように見えるが、嵐とも言うべき強い風が砂を巻き込んだまま渦巻いているからには、細く刺さるような痛みが伴うはずだ。
そして何よりも、砂によって視界の広さは格段と落ちる。
直接、砂塵の大嵐をその身で受けているハオスは顏を顰めたまま目を瞑っているようだ。
「くそが……っ! このっ……!」
目を瞑ったままで、ハオスは右手で空を何度も掴む。目を開けられない状態らしく、苛立っているようにも見えた。
この状況からハオスが視覚という感覚によってある程度の攻撃を認識していることが分かる。
「……」
ウィリアムズは砂塵の竜巻の中でもがくハオスを見つめたまま黙っている。
このまま砂塵による攻撃を続けてもハオスに大きな負傷を与えることは出来ないと分かっているはずなのに、彼が何を考えているのか分からないアイリスは眉を小さく寄せた。
「……もう少し、だな」
ぽつりと呟いたウィリアムズの言葉にアイリスが反応する前に、ハオスが叫んだ。
「あぁぁっ! 面倒くせぇ、攻撃するんじゃねぇ!! 俺はもっと、力を比べるような魔法を撃ち合いたいんだよ!!」
「……そうか。ならば、受けるが良い」
ウィリアムズが一歩、大きく前へと出た。
いや、それは歩を進めたというよりも、床を強く叩いたように見えたアイリスはそこでやっと気付いたのだ。
――彼の足元にたゆたう黒く深い影を。
「……蠢く影の息」
ウィリアムズの口から静かに告げられた言葉が地を這った瞬間だった。




