氷の刃
「はははっ!! そんな攻撃で俺に傷一つ付けられると思っているのか?」
空中を散歩するように愉快な表情を浮かべたままハオスは動き回っていた。
それを真剣な瞳でクロイドは追いかけ、そして再び、床に向けて手をかざした。
「――霧散する牙」
呪文を唱えた瞬間、それまでハオスを追いかけるように形成されていた先端の尖った氷の山は一瞬で砕け散っていく。
砕かれた氷、というよりも一気に降り積もった雪がその場に舞うような光景にハオスは大きく首を傾げていた。
確かに傍から見れば、自分で作った魔法を攻撃性の弱いものへと変化させているようにしか見えないだろう。
「うわっ。何やっているんだ? 気でも狂ったのか?」
ハオスの問いかけにクロイドは答えない。その空間を白く肌寒い程の霧のように薄い雪が埋め尽くしていく。
アイリスはクロイドが何をするつもりか分からないまま、その光景をじっと眺めつつ、息を整えていた。
雪となった物体がハオスの身体の周りを埋め尽くし始めた時、クロイドはもう一度、床を叩くように手を置いた。
その表情に余裕らしきものは全く見えないが、彼の視線だけが真剣さを物語っている。
「吹雪の刃!!」
クロイドの声がその場に響いた瞬間、空気中に佇んでいた白い雪達は一瞬で形を変えていく。
柔らかい雪は再び氷の刃と化していく光景に、その中心に浮かんでいたハオスは驚きの表情を見せた。
「っ!?」
ハオスも予想していなかったであろう魔法を実行するべく、クロイドは連続で命令を下した。
「――行け」
クロイドの号令のもと、形を鋭い牙へと変えた氷たちがハオスに向けて四方から一斉に襲い掛かるように攻撃を始める。
言うなれば、乱舞という言葉が似合う光景にアイリス自身も驚いていた。
「っ……!」
氷の牙の攻撃を避けようとしても、避けた先にはまた別の氷の牙がハオスを襲う。その数はハオスが動くことが出来ない程に溢れていた。
氷の刃自体はそれ程大きいものではないが、身体に刺されば痛みが伴うものだろう。
「このっ……雑魚がぁぁぁっ!!」
ハオスが右手を素早く一直線に薙ぐ。瞬間、彼の周りを囲うように覆っていた氷は霧散していった。
しかし――。
「吹雪の刃」
冷静にクロイドは呪文を繰り返す。
ハオスによって霧散され、砕け散った氷たちは再び集結していき、空中で刃へと姿を変えていった。
それを見たハオスは恨めしそうな表情でクロイドを睨んでいる。
……消耗戦でもする気なの?
確かに空気中の水分を使えば、氷の魔法は延々と使うことは出来るだろう。
だが、延々と同じことを繰り返すには大量の魔力と集中力、そして魔法を操っている側の体力が必要となる。
クロイドは結界を保ちつつ、この氷の魔法を繰り出しているようだが、どれくらい彼の魔力が保つのかは正直に言えば底知れていない。
それは恐らく、彼が本来持っている魔力と魔犬が持つ魔力の両方を併せ持っているからだろう。
……クロイド。
彼の表情に余裕はないがそれでも苦しんでいる様子は見えない。一点だけに集中しているため、余計な手出しをしない方がいいだろう。
アイリスは再び、頬へと伝ってくる血を手の甲で荒っぽく拭った。
短剣を太ももに下げている鞘へと収め、長剣を握る手に力を込める。今は呼吸を整えて、然るべき瞬間を見逃さないようにハオスに隙が出来るのを待ち続けた。
「――この、くそがぁぁぁっ!」
ハオスが叫んだ瞬間、アイリスは一つのことに気付いた。
……硬化していない?
宙に浮かんだままのハオスの身体は白く細い腕のままだ。
アイリスの剣と先程、交えた時には黒く硬化していたにも関わらず、今は一切の硬化は見られていない。
ハオスが白い腕で一閃するように空気を薙いだ。鋭い氷の刃は瞬時に気体へと変化し霧散していく。
「吹雪の刃!」
しかし、クロイドが作った氷の刃は一瞬で霧散していくも、再び呟かれる言葉に従うように同じ形を組み立てていく。
その氷の刃がハオスの身体へと直撃しては、赤い血を滴らせる。
……どうして硬化しないのかしら。
いや、もしかすると硬化出来ないのかもしれない。
その理由は何かを探るべくアイリスが様子を窺っていた時だ。
「がぁぁぁっ!!」
地獄から這い上がるような叫びとともに、空中を漂っていた氷の刃達は全てが吹き飛ばされていく。
形成されていた氷は衝撃波によって水分となり、そして見えない空気となって消え去っていった。
ハオスの体内から爆発でも巻き起こしたかのような熱風に、アイリスは長剣を床に刺して、身体が吹き飛ばされないように支えた。
「あぁっ、くそっ!! もう面倒くせぇぇ!!」
熱風が過ぎ去ったあと、アイリスは顔を見上げた。
顔は子どもであるはずなのに、ハオスの表情は憎しみと歪みによって、醜いものへと変化していた。
「決めた! ここにいる奴、全員殺す! 一本ずつ、腕も足も折って、ぐちゃぐちゃに引き裂いて、最後に餌にしてやる!! そこの黒い奴も身体の隅々まで、呪いを調べ上げてから、欠片が残らないまま、魔物に喰わせてやる!!」
狂ったようにハオスは両手を広げて、呪いの言葉の如く叫んだ。そして、首を直角に捻って唇で赤い弧を描いていく。
「――なぁ、その方が何十倍も面白くなるよなぁ? アイリス、お前は仲間思いな奴らしいからなぁ? ……さーて、誰から嬲り殺してやろうかなぁ。アイリスか、もしくは黒い奴か……。いや、子どもからの方が、お前の顔が綺麗に歪みそうだなぁ!」
「っ……」
見下される視線に背筋が凍りつくような感覚に襲われる。ハオスの黒と金の瞳が憐れなものを見るように細められていた。




