衝撃
アイリスは薄く笑っているハオスが先程とは違って、静かに口を閉ざしていることの方が気になっていた。
経験上、普段面白おかしく笑っている奴が黙り込む時は、本当にまずい時か機嫌が悪い時だと知っている。
……嫌な空気が流れてきているわね。
表情が無となってからは、むせ返りそうになるほどに気分の悪い空気が静かに漂っているように感じる。何か、仕掛けてくるのではとアイリスがハオスを凝視していた時だった。
ハオスが血で濡れた右指を一度、鳴らしたのだ。
乾いた音に反応したアイリスは次の攻撃が来るのだとすぐに構える。だが、それは今までとは全くの別物だった。
指が鳴らされた瞬間に、どこから出現したのか人間の大きさ程の鉄杭が瞬時に空中へと現れて、アイリスに向けて勢いよく突っ込んできたのである。
「っ!?」
まさかの魔法陣無しの鉄杭の出現にアイリスは対応するのが遅れてしまう。
アイリスは右手に長剣、左手に短剣を持つ手に力を込めて、刃に強度を持たせるために交差させた。
勢いづいたままの鉄杭はアイリスが交差させた二本の剣の中心部分へと矢の如く突き刺さって来る。
「くっ……」
しかし、それは耐えきれる衝撃ではなかった。
鉄杭には速さだけでなく、重力がまとめて押しかかってきていたため、アイリスの身体を支えている両足は衝撃に耐えきれずに少しずつ後退していく。
……受け止めきれないっ!
そう感じた瞬間、押し切られるように交差していた長剣と短剣を握っている腕が、両手を広げるように弾き飛んで行く。
アイリスの身体はそのまま鉄杭の勢いに抗うことは出来ず、教会の太い柱へと体当たりするように吹き飛ばされた。
「っは……」
背中が柱へと密着した瞬間、防御魔法をかけていたにも関わらず、身体へと伝わって来る衝撃は半端ないものであった。
全身に雷でも降り注いだかのような衝撃が響き渡り、体内の臓器が揺れ動く感触に気分の悪さを感じる。
ここで吐き出さなかった自分を褒めてやりたいくらいだったが、冗談で済むような衝撃ではなかった。恐らく、防御魔法をかけていなければ、骨折していた可能性もあっただろう。
それでも二本の剣を使ったことで、何とか身体に触れる手前でわずかながら鉄杭の軌道を逸らすことが出来たらしい。
身体を打ち付けた柱の、自分の頭の真上には大人程の大きさの鉄杭が深々と刺さっていた。この鉄杭が身体に刺さっていれば、死は免れなかっただろう。
「――アイリス!」
こちらを心配してなのか、壇上からクロイドが叫ぶ。その声に答えたかったが頭が上手く回らず、身体中に鉄の玉を載せたような重さと気分の悪さだけが巡っていく。
……衝撃が振動するように身体に残っているわね。
しかし、ここで力尽きるわけにはいかず、純白の飛剣で身体を支える杖代わりにしつつ、アイリスはふらつく身体に鞭打ちながら立ち上がる。
「ひっ……。あ、アイリス先輩っ! 血が……!」
エリックの叫びにも似た言葉に、アイリスはやっと自分の頬に伝っている生ぬるいものが血だと認識した。
ぽつりと自分の足元にいくつかの赤い雫が何滴か落ちていく。
「……」
真紅だ。
これは自分のものだと分かっているのに、どこか他人事のようにアイリスは無関心だった。
左手の甲で軽く額を拭ってみると、べっとりと手の甲に赤いものが付着していた。
頭は皮が薄く血が集まっている場所であるため、怪我した際は非常に出血しやすいのだ。
「あははっ! 綺麗な色に染まっているじゃねぇか」
宙に浮いたままのハオスがそこでやっと無表情から嘲笑へと変わる。
「いいねぇ、やっぱり血を見るなら、他人の血の方が何倍も美しく見えるぜ」
ハオスがどこかうっとりとした瞳で虚空を見つめる。その瞳で、一体どれくらいの人間の血を見て来たのだろうか。
頭から出血しているせいか、貧血の状態と同じように身体がふらついてしまう。それをハオスに覚られないようにアイリスは歯を食いしばり、意識だけを強く保とうと剣の柄を強く握り直す。
「分かっているぜ? お前の身体がもう、ぼろぼろだって」
その言葉にアイリスは返事をしないまま、睨み返した。
自分はまだ大丈夫だ。
確かに身体に衝撃が残ったままで、重く感じているが動けないわけではない。
……倒れるわけにはいかない。
目元に血が落ちてこないように、今度は着ているブラウスの袖口でアイリスは額を拭った。赤く染まった袖口を見ても、特に関心を持たないまま目の前の敵だけを見据える。
「この……!」
そう叫んだのは前方にいるクロイドだった。アイリスの身体が万全ではないと彼は分かっているようだ。
横になったまま目を瞑っているラザリーの傍らで、クロイドが床に向けて両手を押し付けるようにかざした。
「氷の女神、グラシスに乞う。今ここに、汝が力、顕現したまえ。――凍てつく鉄の槍!」
結界を張ったまま、クロイドがハオスに向けて攻撃を行うつもりだと気付いたが、言葉を発するにはすでに遅かった。
クロイドの足元から床を通して結界の向こう側へと白い靄が一面に溢れていく。
瞬間、ハオスの足元から鋭い槍のような巨大な氷の柱が勢いよく形成されていった。
「おっと……」
ハオスはクロイドが自分を串刺しにする気だと気付いたらしく、氷の槍が身体に触れる手前で体勢を変えて避けていく。
だが、ハオスの足元には氷の槍によって作られた鋭い氷山が波打つように彼の移動を追いかけていた。
……氷が生きているみたいだわ。
その一瞬でハオスが居た一帯は頂上が尖った氷の壁が出来てしまう。
クロイドの表情を見ると、黒い瞳が細められ、狩りをする獣のように鋭いものとなっていた。
……あれは怒っているわね。
しかし、怒りの矛先は自分ではなくハオスのようだ。
クロイドはハオスを仕留めるまで、魔法で作った氷の槍を形成し続けるつもりらしいが、ハオスはその攻撃を易々と避け続けていた。
悪魔が浮かべる嘲笑はどこか余裕めいたもののように見えていた。
実は、とあるご縁がありまして、和砂さんという方とコラボさせて頂くことになりました。
「真紅の破壊者と黒の咎人」と和砂さんの作品の「Darker Holic」のコラボとなっております。
詳細は活動報告の「コラボしました。」に書いてありますので、興味がある方は宜しければご覧くださいませ。




