鉄杭
ハオスの指が音を立てたと同時に彼の周りを囲むように、薄緑色に光る魔法陣が再び出現する。
しかし、その大きさは先程のものよりも遥かに大きい。つまり、出現するものもそれなりの大きさであるということが窺える。
「さぁて、どれくらい耐えられるか、お手並み拝見だ」
彼がわざとらしく両手を広げると魔法陣からはまるで最初から用意されていたように、瞬時に鉄杭が出現し、宙にぶら下がるように揺れている。
その大きさは自分の身体の半身くらいの長さで、先端は注射の針のように尖っている。
見るからに重そうだが、あの鉄杭がそのまま落下してきただけでも、重傷を負うに違いない。下手すれば死ぬこともあるだろう。
「……」
アイリスはもう一度、「青嵐の靴」の踵を三回叩く。
ふっと息をした瞬間には、一本の鉄杭が自分へと向かって来ていた。その速さはまるで弾丸のようである。
「っ……」
顔に触れるぎりぎりのところでアイリスは首を傾けて攻撃を避ける。
金色の髪が鉄杭の先端に触れたらしく、数本の髪が切られており、その場に散るように落ちていた。
自分に当たる事のなかった鉄杭はそのまま鈍い音を立てて、教会の壁に突き刺さると、砂のようにすっと消えていく。
どうやら魔法で生み出したものらしく、持続性があるわけではなさそうだ。
……間近で速さを見たけれど、何とか避けられるくらいだわ。
あの重さの鉄杭を叩き落とそうとすれば、こちらの剣が折れてしまいそうだ。
ここは避け続けるしかないだろう。もしくは――。
「ほら、何考えているんだ? さっさと避けないと死んじまうぜ?」
考えている間に次の攻撃が向かって来ていた。
しかも、今度は鉄杭が二本、先端で狙いを定めたように矢の如く飛んできている。
「この……」
床をぽんっと軽く蹴り、一本の鉄杭の攻撃を避けるように身体で弧を描くように反らしながら半回転させる。
その間に二本目が自分目掛けて一直線してきていた。
アイリスは剣を強く握り直し、空中で回転しながら剣を鉄杭へと添えるように触れる。
そして、鉄杭の細い先端へと少し力を込めて、自分に向けられていた軌道を少しだけ逸らした。
アイリスによって軌道を変えられた鉄杭は、鼻先を掠めるように勢いのついたまま教会の柱へと突っ込み、そして的を射た矢のように突き刺さった。
無事に傷を負うことなくアイリスは再び、床の上へと着地する。
……思っていたよりも、衝撃が強いわね。
鉄杭の先端に少し剣を触れさせただけだというのに、軌道を変える際に手に伝わって来た感触はかなり重いものだった。
あれをまともに受けきれる自信はない。
だが、何度も攻撃を避け続けるだけでは意味がないだろう。
時間が無駄に流れていくだけだ。
あのハオスという悪魔は人間の身体という実体を持っている。
身体に魂を括りつけていると言っていたため、ただの魂だけになったとしても今のような実力が出るのかは分からない。もしかすると、霊体である方が今よりも面倒な可能性もある。
……でも、やらないよりましだわ。
正直、相手が少女の姿というのはかなりやり辛いが、この際はそんなことは言っていられない。
奴は悪魔だ。人の命を弄び、残虐性を楽しむ輩を野放しにしておくことは出来ない。
片を付けるなら、今だ。
そこにブリティオンのローレンス家が関わってきているとしても、自分は目の前にいる悪魔を家へ帰らせることを見逃しはしない。
「……」
機会は一度きりの攻撃を思いついたアイリスは短く息を吐き、そして駆け出した。
「お前みたいな奴のことを猪って言うんだぜ?」
頭上で挑発的な言葉を吐くハオスを無視し、アイリスは床を勢いよく蹴った。右手に握った剣の柄を強く握りしめ、ハオスと同じ目線へと飛び上がる。
「同じ攻撃が二回も通じると思わないことだなぁ!」
瞬時にハオスが右手を硬化させていった。黒曜石のような腕がアイリスの一閃を防ぐために構えられる。
アイリスが薙ぐように剣を振りかざすもその攻撃は思っていた通り、ハオスの硬化された腕に防がれてしまう。
「……ふっ」
だが、アイリスは小さく笑った。
「っ!?」
ハオスは何故、笑っているのか分からないという表情で眉を一瞬、顰める。
右手で剣を持ったまま、アイリスは素早く左手をスカートの中へと滑り込ませ、太ももに下げていた「戒めの聖剣」を抜き取った。
しっかりと柄を握ったまま、同じように左から右へと銀色の線を描く。
「っく……!」
急所であるハオスの白い首を目掛けてアイリスは短剣で一閃を薙いだが、その攻撃に気付いたハオスがぎりぎりのところで首を少し後ろへと反らした。
どうやらこちらが思っているよりも反射神経は良いようだ。
二度目はないアイリスの策は見事に失敗し、戦線離脱するように身体を反らして、半回転しながら床の上へと着地する。
失敗したことを表に見せないように努めつつ、アイリスは頭上に浮いたままのハオスを睨む。
だが、ハオスは動かないままじっとアイリスを見ていた。
そして、硬化していた腕を元の子どもの腕へと戻し、彼は自分の右頬へとその手を触れる。
アイリスが目を凝らして見ると、ハオスの右頬には赤い線が一筋浮かんでいた。
そこから流れるものはどうやら血のようで、アイリスは自分の短剣に目を向けると、剣先から赤い雫が一滴だけ滴っていた。
あまり感触がなかったため、自分でも気づいていなかったがハオスに傷を与えていたらしい。
……身体は人間である上に、血も循環しているなんて、普通の人間の身体と一緒だわ。
ハオスの身体はただの器というわけではないようだ。しかし、彼の身体のことを詳しく考えるのは後回しにした方がいいだろう。
「……」
ハオスは自らの頬に触れた手をそっと目の前へと持ってきて、その指先が赤く染まっていることを確認しているようだ。
「……へぇ」
薄く笑ったように見えたハオスの顔は白く、無に近いものでその表情がどのような意味を含めたものかは分からなかった。




