願い
「……っ、クロイド! 風の魔法で全部叩き落して!」
アイリスの言葉に反応するように、クロイドは素早く片手を前に向けて出す。
「――風薙ぎの翼!」
黒曜石のような色へと変化した彼の右手から繰り出される風の魔法はまるで小さな竜巻のようなもので、それら全てが長椅子に直撃することでこちらに襲い掛かる前に食い止められた。
激しい音を立てて床に落下した長椅子の壊れた音が教会全体に響いていく。
「ローラ、こんな事をしても意味は無いわ。どんな魔法を用いても……あなたが行おうとしていることは絶対に成功しないものなのよ」
諭すように言葉をゆっくりと発しながら、アイリスは無表情のままでローラに一歩ずつ近づいて行く。
「やだ……来ないで……」
ローラは首を横に振りつつ、後ろへと下がった。それは恐れや怯えというよりも、拒絶に近いものだった。
「あなたが行おうとしているその魔法……反魂の魔法ね」
アイリスの言葉にローラは動きを止めて目を大きく見開いた。
「どうして、それを……」
ローラにとっては厳しい言葉だと分かっている。それでも、その魔法がどういうものなのかを知っているアイリスは彼女が行おうとしていることを否定しなければならなかった。
「でも、それは無駄な事なのよ」
「……っ! 何も知らないあなたに……私の何が分かるのっ!」
ローラが叫んだ瞬間、天井の一部が崩れて瓦礫となった欠片がアイリスへと降り掛かるように襲い始める。
だが、アイリスは何の抵抗もせずにローラをじっと見つめたまま、降りかかる瓦礫の欠片を受け止めていた。
「っ……」
左肩に石の塊が勢いよく掠めていき、アイリスは一瞬だけ顔を歪ませたが、それでも一歩も動くことはなかった。
「どうして……避けないの……」
痛みを受けても動かないアイリスに対して、ローラは有り得ないと言わんばかりに唇を噛む。
その表情は悲しく歪んでいるように見えてしまった。
「おい、アイリス。大丈夫か……」
急いで駆け寄って来るクロイドを片手で制してアイリスはローラへと近付いていく。
「……ローラ、聞いて」
表情に色は無いが、それでも穏やかな声色でアイリスはローラに言葉をかける。
「私も……あなたと同じなの。……亡くした人を魔法で生き返らせるために色々と調べた事があるわ。禁魔法だって知っていても、それでも大切な人に生き返って欲しいと願ったからよ」
「……」
視界の端に映るクロイドが息を深く飲み込む音が聞こえた。クロイドには話していなかったことだ。
数年前、家族を失ったばかりの自分は、ブレアに引き取られた後、独学で魔法を学び――そして、家族を生き返らせるために禁魔法を行なおうとしていた。
このことを知っているのは保護者であるブレアと親友のミレットだけだ。他には誰も知らない。相棒となったクロイドにさえ、秘密にしていたことだ。
「でもね、叶わないの。どんなに願ってもどんな魔法を使おうとしても私には出来なかった。私に魔力が無いからという理由もあるけれど……。でも、分かってしまったのよ」
剣を腰に差し直してアイリスはローラへと手を伸ばす。
ローラはただ黙ってアイリスの話を聞いていた。
「例え大切な人を生き返らせることが出来たとしても……彼らはそれを望まないと分かってしまったのよ。法律や倫理、この世の摂理を犯して、全てを引っ繰り返すような魔法を使って蘇らせたとしても私の大切な人達はそれを求めてはいないと分かってしまった。絶対に喜んだりしないって」
アイリスの声は場違いな程に穏やかに響いていく。
「禁魔法は下手すれば自分自身の命さえも危うくなってしまうものがあるわ。……反魂の魔法はまさにそれに当てはまるもので、行ったとしても自分の命が絶対に安全な保障なんてないの」
以前の自分も山のようにある魔法に関する書物から瞳を血走らせながら読み漁った。
探しても探しても、絶対的に死んだ人間を生き返らせる方法はどこにも載っていなかった。
泣くことを止めて魔犬への復讐を誓いながら剣を取ることを選んでも、反魂の魔法のことは調べ続けた。
それでも分かったことはたった一つ。
ある日、突然悟ってしまった。
「……私が大好きな人達だもの。私が危険を冒してまで本当にそうして欲しいのかって考えたら……。私の家族ならきっとそこまでして、生き返りたいなんて思わないと気付いたのよ。だって私は……あの人達にとって大切な家族だもの」
ローラの瞳は揺らいでいるように見えた。凪となっていたものが大きく動き始める。
「――だから、私は反魂の魔法を追求することを止めたの。止めて、ちゃんと現実と向き合って前に進もうと決めたの」
アイリスの腕がローラの頭をそっと包み込むように優しく抱いた。
「ローラ、あなたは賢い子よ。……だから、もう分かっているんでしょう? ……あなたの大切な人はローラの全てを捧げてまで生き返りたいなんて思っていない事くらい」
「……っ」
ぎゅっと握り返されたその腕はいつかの自分を思い出させる。
小さな身体にどれほどの想いを込めてこの場所に来たのか、それを自分は分かっている。
「だって……独りは寂しいのっ……」
「うん」
「あんなに幸せだったのに全部……なくなっちゃったの……っ」
「……うん」
それまで、大人びていた表情をしていたローラの顔はくしゃりと崩れ、瞳からぽろぽろと大粒の涙を零し始める。
「本当は分かっていたの……。全部、駄目なことだって……。いけないことをしているって分かっていた。でも……。でも、どうしてもお母さんに会いたかったの」
「うん、分かるよ。分かるから……」
アイリスの胸の中でローラは声を上げて泣き始める。大人びていた普段とは一変して、子どもらしい表情でただ涙を流す。
小さな背中をアイリスはゆっくりとさすり続けた。
「ごめんなさいっ……。ごめんなさいっ……」
純粋で儚い涙だと思った。
彼女の願いだって元々は純粋なものが固まったもののはずだ。
大好きな人にもう一度会いたい。
ただそれだけ。
でも、絶対に叶わない願い。
「……髪、また伸ばしてね。あなたはとても可愛いんだから」
短くなってしまったローラの髪を優しく撫でながらアイリスは呟く。
視線を感じて顔を上げると穏やかな表情をしたクロイドがこちらを見ていた。
ローラの説得が無事に終わったことを安堵しているようだ。アイリスはただ笑みを浮かべる。
「うっ……」
すると、アイリスの腕の中のローラが突然苦しそうな呻き声を上げたのだ。
「どうしたの?」
「……っは……。何か、……身体、重い……」
ローラの額から大量の汗が噴き出し、顔色もそれまでとは違って見て分かる程に青くなっている。
「これは……。クロイド、この子を本部の医務室へ」
「一体どうしたんだ?」
アイリスから項垂れているローラを渡されたクロイドは心配そうに彼女の様子を窺う。
「ローラは魔具を使う訓練を積んでいないもの。恐らく魔力を使いすぎて身体に負荷が掛かってしまったんだわ。夜勤の医師が居ると思うからそこで診てもらって。命に別状は無いと思うけれど、出来るだけ急いで連れて行ってあげて」
「分かった」
一言答えるとクロイドはすぐさま犬の姿へと変化してローラを自身の背中へと乗せた。人の姿よりも、犬の姿に変化している時の方が足が速いのだろう。
「あ……アイリス、お姉ちゃん……」
ローラは荒く息を吐きながら、少し震える手を使ってアイリスにある物を渡してくる。
「あの、この石……道で拾ったの……。綺麗だったからお守りにしようと思って。そうしたら願い事を全部、叶えてくれたの。生き返る魔法の事も教えてくれて……。でも……ごめんなさい……。ごめんなさいっ……」
「……もう良いの。大丈夫よ。誰もあなたを責めたりしないわ。今はゆっくり休んでいて。後で迎えに行くから」
アイリスが優しくそう答えるとローラは安堵の表情を浮かべてすぐに目を閉じた。
かなりの負担が掛かっていたのだろう。大きい魔法を使う際には、人によっては一週間程、身体を清めて臨まなければならない魔法もあるらしい。
また、食べ物や飲み物だけでなく、日常で行う全ての事を制限しなければならない場合もあるのだ。
ローラは恐らく普段から周りに気付かれないように注意しながら身を清めており、その日頃の疲れも溜まっていたのだろう。
「クロイド」
「ああ。……アイリスは行かないのか?」
「全てを片付けてから行くわ。ローラをお願いね」
「……任せろ」
クロイドは力強く頷き返すと、四本の脚でまるで跳ぶ様に走っていった。




