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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
悪魔の人形編
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流れるもの


「……っは……」


 浅い息と共にラザリーの口から大量の血が飛び出す。飛沫という表現が合わないくらいに彼女の口からは水のように止まることなく血が流れていた。


 それさえも拭わないまま、彼女は片足を床の上に付けて、レイチェルを教壇の下の空間へとそっと横たえた。

 レイチェルの表情は色が失われていたが、それでもこの状況に似合わないくらいに穏やかに眠っている。


「ラザリー……っ」


 アイリスが駆け寄るのを彼女は左手をこちらに向けて制した。


「――溶けなさい」


 はっきりと告げられる言葉に従うようにラザリーの背中に突き刺さっている氷の槍は瞬時に蒸発していく。氷が蒸発したことで、彼女の足元には濃い血が滴り落ちて出来た水溜まりが形成されていた。


 それが明らかに異常だと思える量の血液にアイリスは声を震わせる。


「ラザリー、お願い。もう、動かないで……」


「――どうせ、無駄よ」


 浮かべられた笑みは先程、レイチェルに向けられたものとは変わり、以前見た冷笑に近いものだった。

 しかし、その笑みが自分自身を笑っているように見えたのは見間違いではないはずだ。


「このまま、命尽きるなら、あいつを殺してからにするわ」


 どこからそんな気力が出てくるのか、ラザリーは足に力を入れてふらつきながらも立ち上がる。口元に付いた血を手の甲で荒っぽく拭って、ハオスを見上げた。


「手を出さないで。私が……殺すの」


 その瞳の奥に燃えるように見えた炎は、怒りか屈辱か、それとも――。


「馬鹿だなぁ、ラザリー」


 頭上から心底、軽蔑していると言わんばかりに呆れた声が響く。ラザリーは肩で息をしながらハオスを恨みがましい瞳で睨んだ。


「お前は命の使い方が分かっちゃいねぇ。そこにいる子どもに比べたら、まだお前は利用価値があるっていうのに、無駄にしやがって……。『ウィリアムズ家』の血はそれなりに貴重なんだぜ?」


「……」


 ハオスは今、ウィリアムズ家と言った。ラザリーはセド・ウィリアムズの姪であるため、彼女にもその血が流れているのは確かだ。


 だが、何故今ここでウィリアムズ家の話が出てくるのか分からなかったアイリスは静かに息を潜めるように呼吸しているラザリーを見つめる。


「魔法使いの名家ウィリアムズ家。なのに、お前は一族から恐れられる心と力を持った魂降ろしの魔女。お前はどこに行っても、『偉大』にはなれない。小さな欲望と野望を持つことしか出来ない落ちこぼれ。なぁ、そうだろう? ――小さな魔女(プティ・ウィッチ)


 下手な演技のようなわざとらしい態度でハオスが嘲笑いながらそう呟いた瞬間、ラザリーの瞳が大きく見開かれる。


「私を……私を小さな魔女(プティ・ウィッチ)と呼ばないで!!!」


 歯ぎしりを立てながら、ラザリーは床を強く叩くように靴を鳴らした。


 再び、霊体を召喚する気だと気付いたアイリスはさすがにラザリーの身体が持たないことを察していた。


「ラザリー!」


 しかし、アイリスの呼びかけにラザリーが応じることはない。

 その黒い瞳は奥から炎が漏れ出そうな程に血走っていた。彼女の瞳はハオスしか捉えていないのだ。




「来たれ!! 我こそは――っぐは……!」


 呪文を唱える途中でラザリーの口から再び、大量の血が放出される。


 それだけではない。彼女の背中から漏れ出す血液が止まることなく、身体を沿うように流れ、その場に赤い水溜まりを形成していった。


「ラザリー!!」


 アイリスはすぐに駆け寄り、身体が揺らめくラザリーを両腕で受け止める。細い身体を受け止めた瞬間、錆びた鉄の匂いが鼻の奥へと残るように濃いものとして突き刺してきた。


 ラザリーはアイリスの腕の中で浅く息をしつつ、表情を歪めている。


「クロイド! エリック!」


 アイリスの叱責に近い声にエリックは肩を震わせつつも、こちらに向けて走り出す。

 クロイドはどうするべきなのかすでに判断しているらしく、ラザリーに向けて止血の魔法の呪文を唱え始めた。


「それと結界も。レイチェルも守って!」


 アイリスはラザリーの背中の傷にそれ以上の負荷がかからないように彼女をうつ伏せにして寝かせた。

 エリックは自分が着ていた外套を脱いで、ラザリーの頭の下へ枕のように形を整えて素早く置く。


 クロイドも着ている薄い上着を脱いで、ラザリーの背中から出血を押さえるためにそっと押し付けた。

 

 しかし、クロイドが添えた白い服は一瞬で赤く染まっていく。その生々しい色にアイリスは泣きそうな顔でクロイドを仰ぎ見た。


「止血は……っ」


「やっている。だが……」


 クロイドも分かっているのだ。

 魔法で止血できる量の出血ではないと。


 他に出来る事は何があった。止血、止痛、防腐、接合――。


 頭の中で勉強したはずの応急処置の方法が本のページを捲るように勢いよく流れていく。

 それなのに、苦しそうに顔を歪めているラザリーを絶対的に助けられる方法が見当たらないのだ。


「……とめどなく流れるもの、堰に阻まれよ。……とめどなく流れるもの、堰に阻まれよ。……身に及ぶ痛みは風と共に消えよ。……身に及ぶ痛みは風と共に消えよ」


 エリックが涙を零しながら浅く息をするラザリーに向けて、長い詠唱を延々と繰り返す。それでもラザリーの表情が和らぐことはない。




「――本当に馬鹿だなぁ」


 頭上から聞こえた、他人事のような呟きがやけに頭にこびりついて、冷静さを蘇らせていく。

 アイリスは強張った表情のまま、ゆっくりと頭上に浮かんだままのハオスを見上げた。


 そこには愉快そうに腹を抱えつつ、ラザリーが苦しむ光景を楽しそうに笑っているハオスがいたのだ。

人がもがき苦しむ姿を彼は満面の笑みを浮かべて見ていた。


 その表情を見た瞬間、アイリスの中でぶわりと熱い感情が燃え上がって来る。


 自らの手についた赤い血はラザリーのものだ。温かい体温と血液は冷たいものへと変わっていく。

 留まることなく、流れていく。


「……」


 抑えていたはずの感情の蓋が開いた。


    

   

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