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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
悪魔の人形編
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混沌を望む者


「それなら、もう十分叶っているんじゃないかしら」


 教会の外で降り続ける雨はまだ止む気配がないままだ。静けさと雨音をどこか遠くに感じながらアイリスはラザリーを真っすぐに見つめる。


「この村の人達にとって、あなたは十分に特別な存在だわ。誰かに慕われるということは、そう簡単には上手くいかないことよ」


 出来るなら、トゥリパン村の村人達からラザリーを奪いたくなかった。ラザリーに対して同情しているというならば、自分も随分と甘くなったものだ。


「お願い、ラザリー。どうか、このまま……静かに生きることを選んで」


 彼女は力を手に入れたいと言っていた。もしかすると、こちらが知らぬ相手と取引してあの人形を手に入れたのだろう。



「……穏やかな日常は思ったよりもつまらないものよ」


 ぎゅっとラザリーは人形を抱きしめる。


「今まで抱いていた恨みも妬みも……。この村にいる時は、遠い昔に置いてきた感情のように思えてしまうもの」


 悔しそうにラザリーは表情を歪めた。悲痛にも見えるそれは、何と言う感情の表れなのだろうか。


「私はもっと力が欲しい。私を選ばなかった教団を見返すために」


 喘ぐように息をして、ラザリーは自嘲のような笑みを浮かべた。


「それなのに他人の感情に少し当てられただけで、自分が強く願っていたことが揺れるなんて、おかしいじゃない」


 響く言葉は歌のようにさえ聞こえる。彼女の美しい声が、詩を紡いでいるようだ。呟かれた言葉は一つ一つが強い感情で出来ていることを知っている。


 彼女が抱いていることはどれも本音に違いない。

 だが、抱いていた感情が揺らいでしまうものに、ラザリーは出会ってしまったのだ。


「……ラザリー」


 他人から与えられる優しさを知った彼女なら、分かるはずだ。


「私はあなたを許すわ」


「……」


 何を言っているんだと言わんばかりにラザリーの目は見開かれる。


「確かに、私はあなたの魔法は嫌いだし、あなたのことも好きにはなれないわ。以前、教団を巻き込んで私に対して行ったことも許されるものではないわ」


 一歩、アイリスは前へと進んだ。


「でも、私はあなたを許す。きっとあなたは……これからのあなたなら、人を傷付けることなく生きていけると信じているから」


「どうして……そんなことが言えるのよ」


「信じたいと思っているからよ。……今のあなたなら信じられる。魔法を使わなくても、自分の望むままに生きていけると確信しているもの」


「……」


 だらりと、ラザリーが人形を持っている腕を下ろした。


「……あなた、お人よしね。油断させるために私が演技をしていると思わないの?」


「もし、そうなら無理矢理にでも魔具を奪うだけよ。教団に行くか、行かないかはあなた次第だけれど」


 アイリスが何でもなさそうに答えると気が抜けたのか、ラザリーは深い溜息を吐いた。


「……前に言った言葉、訂正させてもらうわ。私、やっぱりあなたのこと、嫌いだわ」


「あら奇遇ね。私もよ」


 アイリスが不敵に笑って見せるとラザリーはどこか諦めたように微苦笑した。その笑みは作られたものではないように見える。


「……教団のことも、家のことも……何も片付いたわけではないけれど。……でも、つまらな過ぎる人生もいいかもしれないわね」


「……魔具を渡してくれるのかしら」


「人のものだから、持ち主が取り返しに来るかもしれないわよ」


 今度はラザリーの方が不敵に笑っていた。どうやら、こちらの要求を受けてくれるらしい。


「その時は、その時よ」


「……そう。でも、十分に気を付けることね。向こうはあなた達のことを知っているんだから」


「えっ?」


 ラザリーの言葉に疑問を問いかけようとした瞬間、彼女は人形を投げ渡してくる。空中に浮いた人形へと手を伸ばしかけた時だ。





「――勝手なことは困るぜ、ラザリー」


 声色は少女のような幼さを含んでいる荒っぽい言葉がその場に響いたと同時に、ラザリーによって宙へと投げられた人形は浮いたまま動きを止める。


「っ!?」


 アイリス達はばっと周囲を見渡した。

 クロイドは何か気配を感じ取っているのか、顔を歪ませて宙を睨んでいる。アイリスもクロイドの視線の方へと身体を向けた。


「……ハオス」


 ラザリーがぽつりと名前を呼ぶと、視線を向けていた空間に亀裂のようなものが入り、緑色に淡く光る魔法陣が出現する。

 瞬時に空間全体が冷たいもので覆われたように感じたアイリスは身体を震わせた。


 何が起きているのか理解出来ていないらしく、エリックは口を押えながら宙に浮かんでいる魔法陣を凝視している。


「……」


 アイリスはこの感覚に見覚えがあった。それは以前、悪魔メフォストフィレスと対峙した時と似ている感覚だったのだ。


 ……何か、来る……!


 じりじりと緑色の火花を散らしながら、魔法陣から形が成されていくようにその人物の身体が現れ始めてくる。


 長い黒髪をうなじ辺りにまとめており、それが羽のように二つに分かれていた。

 着ている服は襟元が大きく開かれた鈍色のローブらしきものを纏っており、その下には何も履いていないのか細長く白い素足が見え隠れしている。


 その姿は13歳くらいの少女のようにも見え、瞳は右目が黒で左目が金色だった。


「……」


 だが、アイリスはもう一つ気になる点を見つけていた。


 宙に突如現れた少女の額には何かの赤い紋章が入っていたのだ。距離が離れているため、その紋章が何を描いているかまではよく見えなかった。


「……どうして、あなたがここにいるの」


 ラザリーが不愉快そうにそう告げる。彼女の知り合いなのは間違いなさそうだが、恐らく「人間」ではない気がしていた。


「暇だったから、お前の様子を見に来たんだよ。まぁ、そろそろ溜まっている頃合いだと思ってな」


 ハオスと呼ばれた少女らしきものは右手の人差し指を自分に向けて少し動かした。

 その瞬間、宙に浮いていた人形がすっと自らの意志で動くように少女の腕の中に納まった。


「あっ……!」


 アイリスが思わず顔を顰めて、そう叫ぶと宙に浮いている少女はやっとラザリー達以外の人間に気付いたという表情をした。


「おっ! お前、アイリス・ローレンスだろう? セリフィアから貰った情報で見たぜ」


 少女は面白いものを見つけた子どものように、にやりと笑った。

 だが、アイリスはそれよりも気になる言葉に心臓が貫かれるような感覚に襲われる。


 少女が自分の名前を知っていたからではない。アイリスが知っている名前を少女が知っていたからだ。


「何故、セリフィアを知っているの……」


 セリフィア・ローレンス。それはブリティオン王国のローレンス家の当主の妹だ。


 先日、イグノラント王国へ来た際に彼女は兄である当主エレディテル・ローレンスの花嫁候補を見つけに訪れていた。


 彼女とは色々あったものの、最終的には友人としての仲を築くこととなった。

 手紙を送ると言っていたセリフィアからはまだ一通も届いてはおらず、ずっと音沙汰無しのままだ。


「何でだって? やっぱり、イグノラントのローレンス家はぬるい奴ばかりだなぁ~」


 白い歯をわざと見せるように少女は笑い声を上げた。


「俺とあいつはエレディテルの駒だからな。ま、俺はあんな失敗作と違って優秀だけど」


 エレディテルという名前。そして、失敗作という言葉。

 間違いない。どちらもセリフィアの口から語られていた言葉だ。


 このハオスという少女は自らをエレディテル・ローレンスの駒だと言った。それは何をするための駒なのだろうか。


 ……セリフィアもそんな事を言っていたわね。


 ブリティオンのローレンス家が何を企んでいるのかは、はっきりと分かってはいない。それでも、こちらにとって、気分が悪いことを行なっていることは知っている。


「でも、本当に魔力がないんだな、アイリスって。こいつの方が美味しそうな匂いがするぜ~」


 ハオスは視線をアイリスからクロイドへと移す。クロイドは浴びせられる不躾な視線を遮断させるように睨み返していた。


「あぁ、情報だとこいつがクロイドって奴か。呪われているんだっけ? なぁ、どんな呪いなんだ? 俺に見せてくれよ~。俺、呪いって好きなんだよね。特に人が醜い姿になって、死ぬ呪いとか!」


 茶化すようなハオスの言葉に、クロイドよりも先に怒りが生まれたのはアイリスの方だった。


「それ以上、クロイドを馬鹿にするなら、あなたの喉を掻き切るわよ」


 アイリスは背中に背負うように帯剣していた「純白の飛剣」を布で包んだものを左手に構え直す。


「お~! いいねぇ、その強気な瞳! そういう瞳をする奴を今まで見て来たけれど、全員が俺の前で死んでいったぜ」


「……」


 挑発してくる言葉に易々と乗らないように注意しつつ、アイリスはいつでも剣が抜けるように左手で鞘を持ち、右手をそっと添えるように柄へと触れた。



「……アイリス・ローレンス。そいつとまともに話が出来ると思わないことね」


 黙っていたラザリーが口を開き、鬱陶しそうな瞳で宙に浮くハオスを見つめている。


「おいおい、そりゃあ言い方が酷いぜ、ラザリー? お前の望みを叶えるために、こうやって人形も貸していたというのによ」


「私が人形を借りたのはエレディテル・ローレンスであって、あなたではないわ。ただの召使いさん」


「――あぁ?」


 ラザリーの言葉にハオスは眉を大きく寄せて、歪んだ表情を見せる。

 召使い、と呼ばれたことが気に障ったらしい。


「調子に乗っているなぁ、ラザリー?」


「あら、どうしてあなたのご機嫌をとらなきゃいけないの? 私はあなたと契約さえしていないというのに」


 ラザリーは呆れ顔をしつつ、ハオスを鼻で笑った。


「気を付けなさい、アイリス・ローレンス。彼は悪魔よ。生き急ぎたくないのなら、易々と望みを口にしないことをお勧めするわ」


「悪魔ですって……?」


 アイリスはもう一度、宙に浮いている少女を見上げる。どこにでもいるような少女の姿にアイリスは自分の耳に入れたはずの言葉を疑いそうになる。


「――ハオス。悪魔『混沌を望む者(ハオスペランサ)』よ」


 ハオスの表情に浮かんでいるのは愛嬌などではなく、どこか狡猾さが含められたような笑みだった。



   



 

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