レイス
ラザリーの足元で蠢く影にエリックは怯えているのか、引き攣ったような息をした。初任務で対峙するには刺激が強すぎるのだろ。
這い出てくる影ははっきりとした形を持たないまま、ゆらゆらと揺れ動いている。そして、口々に何かを喚いているようだ。
……あれは一体何なの。
現状だと人型でもなく、魔物型でもない。得体のしれない影はまだ、召喚の途中なのか形状を保たないまま、それは湧き出続けている。
匂いはしないが、表現するなら泥水が溜まったような見た目であるため、眺めていて良い気分にはなれるわけがない。
「さて、どうしてあげましょうか」
ラザリーの言葉が言い終わらないうちに影は彼女の足元から完全に這い出て来た。そしてラザリーを取り巻くように囲いつつ、筒状へと変化していく。
蠢いているもの達が影魔法ではないのは分かっている。
だが、その正体が分からないため、アイリスはどう対処するべきか判断しかねていた。
「ただの霊じゃないわよ? あなた達を楽しくもてなすために少し特殊な霊を呼んでみたの」
筒状に蠢いていた影はやがて物体としての形を作っていった。その姿を見たアイリスは、悔しげに舌打ちした。
「……人だったの」
形作られた影は三体あり、それらは人の姿のようにも見える。ラザリーを取り囲むようにその三体の霊体は立っていた。
三体の霊の向こう側にあるステンドグラスが透けて見え、美しかったガラス達は灰色で彩られた模様のように見える。
魔物の霊体なら、躊躇なく剣を振るうことが出来るが、人の霊体ならば話は別だ。
正直に言えば、剣で人の身体を貫くことは得意ではない。それは霊体でも同じなのだ。
「……ただの霊体なら、方法はある」
隣のクロイドが人型の霊体に対して戸惑うアイリスの様子に気付いたのか、こっそりと呟いてくる。
そういえば、クロイドは選ばれし者達の件以降、対霊の魔法を取得したと言っていた。もしもの場合に備えてくれていたのだろう。
「だが、あの霊体は……」
クロイドも自分と同じように浮いている三体の霊に対して疑問を抱いているようだ。
霊達は人の姿をしているが、彼らはどこか古めかしいローブのようなものを着ていた。まるで魔法使いが儀式をする際に着ているような服装だ。
霊達の表情は無だった。見ていて気分が悪くなりそうな白い顔と青い唇、それなのに何故か瞳だけが色を失くしていないように見えた。それは憤怒でもあり、悲壮にも見える。
ラザリーは彼らを特殊な霊と言っていたが、どう特殊なのか。そう思案している時だった。
「……レイスです」
強張った声でエリックが答える。
「魔法使いが……自らの魂を操ることに失敗した成れの果てだとも言われています。他の霊体とは違って、彼らは死霊となっても魔法を使うことが出来るそうです」
震える言葉はゆっくりと紡がれる。怯えているにも関わらず、その濡れた瞳は真っすぐと三体の霊に注がれ続けていた。
「ただ魔法に失敗しただけで、人があのようなおぞましい姿になるわけがありません。あれは……」
エリックは口を押えた。何かを吐き出しそうになるのを押しとどめてから、顔を上げる。
「あれは、魔法使いが……他の魔法使いに無理矢理に魂と身体を分離させられたものだと思います……」
「何ですって?」
アイリスが思わず声を荒げると、ラザリーはその通りだと言わんばかりに赤い唇で半月を描いた。
「詳しいのね、ハワード家のおちびちゃん。その通り、彼らはレイスよ。……この魔具の人形を貸してくれた人が彼らを私に与えてくれたの」
かつては生きていた人間をまるで物のように扱う性格は以前のままのようだ。
三体のレイスに視線をもう一度向けてみる。彼らは虚ろな表情のまま、口々に言葉を吐いていた。
しかし、その言葉らしいものが何と言っているのかは分からない。
「でも、彼らがどういう経緯でレイスになったかは秘密だけれどね」
ラザリーの言葉はエリックが先程、指摘したことをその通りだと告げているように聞こえた。つまり、このレイス達は他の魔法使いによってこのような姿にされたと言っていいだろう。
アイリスは表情に嫌悪感を出して、ラザリーに剣先を向ける。
「ラザリー、あなたには罪悪感というものがないの?」
「罪悪感? どうしてそんなものが必要なのかしら。私はただ、道具として使えるものを使っているだけよ。自分のためなら、何だってやる。……あなた達だって、そうでしょう?」
「――死人の魂を弄ぶような悪趣味は持っていないけれどな」
反論するようにクロイドが声を張った。
「死霊を機能させなくするには、操っている死霊使いに魔法を解いてもらうか、本人を気絶でもさせればいい。ラザリー、お前はどちらを選ぶんだ」
挑発的なクロイドの発言に対して、ラザリーは眉を深く寄せた。
「正直、あなたには興味ないの、クロイド・ソルモンド。呪われた男だか、何だか知らないけれど、裏口入団するような奴に色々言われるのは気に食わないのよ」
「……」
確かにクロイドは表だった入団試験を受けたわけではなかった。
魔犬の呪いを受けた者として保護と監視という名目で入団したのだが、その情報が広く拡散されてはいないはずだ。
……誰か私達のことを詳しく知っている奴と知り合いなのかしら。
アイリスはじっとラザリーを睨むも、彼女の様子はどこ吹く風のようで余裕すら窺える。
「このレイス達、元はそれなりに名のある魔法使いだったらしいわ。彼らを上手く操れたら……私の株も上がるかもしれないわね」
浮かべられる微笑はまるで、彼女以外は全て下位の存在だと言っているように見えた。
……何も変わってはいないのね。
数か月で人の心の持ち方が変わるわけではないと知っている。それでも、ほんの少しだけ自分はラザリーに対して淡い期待を寄せていたのは明らかだ。
彼女が先程、子ども達に向けて見せていた笑顔を見た時、こんな風に笑う人だっただろうかと思ったからだ。
あれは本当に偽りの笑顔だったのだろうか。彼女が村人達から慕われるために演じ続けた姿だったのか。
それを直接本人に訊ねることは出来なかった。
「それでは、始めましょうか? このレイス達が先に消されるか、それともあなた達の方が先に尽きるか……。……私はゆっくりと楽しませてもらうわ」
ラザリーは右手を前方へと真っすぐ伸ばし、そして静かな声で告げた。
「――行きなさい」
背筋が凍るような冷たい言葉が紡がれ、それに従うようにレイス達はすっと動き始める。




