交渉
「あのっ……!」
それまで黙っていたエリックがラザリーに向かって声を上げる。両手を拳にして、握りしめながら彼女は震えた声を発した。
「ら、ラザリー・アゲイルさんにお話があります」
「あら、何かしら、おちびちゃん。初めて見る顔ね」
煽るような言い方だったが、エリックは気にしていない、というよりもそれどころではないと言った表情で身体を震わせたまま、一歩前へと出た。
「わ、私……。魔的審査課のエリクトール・ハワードと申します」
その名前を聞いた時、わずかにだがラザリーの眉が動いたのが見えた。エリックのことを知っているのだろうか。
しかし、エリックはラザリーの顔を見た事がないと言っていた。
もしかすると、ハワード家が魔法使いとして有名な家であるため、名前を知っていたのかもしれない。
「こ、今回、私がここ来た理由は……あなたにとある提案があって……」
任務でラザリーを捕縛しろと命令されているが、エリックはそう伝えたくなかったらしく、遠回しな言い方で説明を始める。
「魔的審査課で使用する魔法の発展のために、あなたの魔法によるご協力を願いたいのです」
「……どういう意味かしら」
すっとラザリーの目が細められて、睨まれたと思ったのかエリックは身体を大きく震わせた。
「ら、ラザリーさんの魔法の性質を魔的審査課で研究したいのです。声で人を操れるのならば、魔的審査課で扱っている魔法と相性がいいので、新しい魔法を作る際の研究に協力してほしいのです」
震えながらもエリックは必死に説明を続けた。
「……私に教団へ入れと言っているのかしら?」
「い、いえ……。そういうわけではなく……。研究の際のみ、ラザリーさんの魔法使用の許可が下りるだけで、正式な魔法使いとして教団が認めるわけではないです……」
エリックの説明する声がだんだんと小さいものへなっていく。
彼女もラザリーに向けてはっきりと、研究材料になって欲しいと言いたくないのだろう。汚れ役を押し付けられたようなものだ。
「ふっ……。つまりは、教団のために私を材料の一つとして利用したいということでしょう?」
ラザリーが口の端を上げて、赤い弧を描く。だが、アイリスにはラザリーの瞳が濡れているように見えたのだ。
「教団の方が私を拒絶したくせに、今更お声がかかるなんて、都合の良過ぎる話だわ。……馬鹿にするのも大概にして欲しいわね」
怒気の込められた声ではっきりとラザリーが言い放つ。その言葉にエリックは怯えたように身を縮ませた。
「――ねぇ、アイリス・ローレンス」
「……何かしら」
ラザリーは自分の方へと身体の向きを変えてくる。
「最後に対峙した時、私があなたに言った言葉を覚えているかしら。……私、あなたの事を殺してしまいたいくらいに好きだと言ったことを」
再び、ラザリーは人形を片腕に抱えて、小さな笑みを見せる。アイリスもラザリーが自分に向けて言い放った言葉をはっきりと覚えていた。
向けられた憎悪、羨望――。
全てが瞳に集結し、真っすぐと自分だけを見つめてきたあの表情を忘れてはいない。
「……魔法使いとして名門の家出身なのに、魔力無しだなんて本当に可哀想な子だと思ったわ。だからあの時、エイレーンの魂を降ろして上手い事、利用してあげようと思っていたのに、抗ってしまうんだもの」
ラザリーの言葉が癪に障ったのか、クロイドが一歩前へと出ようと足を進めたため、アイリスは左手でそれを制した。
「……そして、私も同じ。名門ウィリアムズ家の血を受け継いでいるのに、魔法使いと自らを語ることは許されない。見知らぬ他人が決めた魔法使いとしての基準に当てはまることはない。今までもこれからも……」
「…………」
ラザリーの言っている意味は分かっている。自分とラザリーは誰かが決めた枠組みに入られない者同士だと言いたいのだろう。
「でもね、もうそんな事、私にはどうでもいいの」
子どもが大切なものを握りしめるように、ラザリーは両腕で人形を抱きしめる。その瞳はアイリス達の向こう側を見ているようだった。
「魔法使いも偉大な魔女も、もうどうでも良くなったの。……だって、私がそれ以上の存在になればいいだけだもの。そうすればこの空の心も満たされると気付いたのよ」
熱弁するように彼女は声を張ってそう言い切った。
隣のエリックが一歩、後ろへと下がりつつ、何が起こっていると言わんばかりに目元に涙を溜めている。
「私は認められて、力を手に入れるの。教団に属している生ぬるい魔法使い達を凌駕する程の力を。……私を見下し、手放しにした教団を嘲笑うためにね!」
高らかにラザリーは笑いだす。空気が震えているのは気のせいではないはずだ。
……交渉は無駄だわ。
魔力を感じたのだろう。クロイドが魔具である黒き魔手の着け心地を確認するように、手袋に触れている。
エリックも嫌な予感がしたのか、自らの手首にはめてある腕輪をしっかりと握っているようだ。
「さぁ、お話はこれでおしまい。あとはどうなるか分かっているでしょう?」
「……力づくしかないと言う事ね」
アイリスの言葉にラザリーは口元を綺麗に歪ませる。
「でも、少し前までの私と同じだと思わないことね」
ラザリーは爪先で床を三回叩くように鳴らした。瞬間、冷たい空気が張り詰めた気配がして、アイリスはすぐさまスカートの下から「清浄なる牙」を鞘から抜く。
「この魔具と私が欲しいというのなら、私を床に平伏せてみせなさい、アイリス・ローレンス」
蝋燭の火が不自然に消えた時、目に映ったのはラザリーの足元から這いずり上がるように出現した無数の影だった。




