人形
雨音が教会内に強く、静かに響いていく。湿気が充満しており、季節としては暑い時期であるはずなのに、少々寒い気がして鳥肌が立ちそうだ。
薄暗い中、唯一の灯りは蝋燭の炎だけで、ラザリーの妖艶な笑みを照らしていた。
「お久しぶりね。3か月ぶりくらいかしら?」
ラザリーは特に驚いたような表情をすることなくそう言った。
確かにラザリーが失踪してから会うことなどなかったので、そのくらいの月日が経っているだろう。それ程、長い時間が経ったわけではないのに、ラザリーと以前対峙した時が随分と昔のように感じられる。
「……そうね。あなたも思ったより元気そうで何よりだわ」
返事をしつつもアイリスはいつでもスカートの下に隠している「清浄なる牙」が取り出せるように手だけは空けておいた。
「ふふっ。まぁ、嫌味かしら? ……そろそろ、あなた達が来る頃だと思っていたのよ。最近、私のことを嗅ぎまわる犬がいる気配がしてね。この村は小さな村だから、情報が伝達するのが早いのよ」
斥候でこの村へと来ていた、隣町の支部の人間のことを言っているのだろう。
確かにトゥリパン村はあまり大きくはない村なので、ラザリーの言う通り、見知らぬ誰かがいればすぐに情報が拡散してしまいそうだ。
だが、教団の人間が来ると分かっていて、どうして彼女は逃亡しなかったのだろうかという疑問がふと生まれた。
「私達がここへ来ている理由が分かっているなら、大人しく魔具を渡してくれるのかしら」
挑発するつもりはないが、ものは試しで聞いてみる。
「……これのこと?」
ラザリーはわざとらしく、壇上にある教壇の下から一体の人形を取り出す。
古い布が取り巻かれるように着せられた人形は、ボタン二つが目として縫い付けられ、口は糸で何重に縫い上げられている奇妙なものだった。
布の塊のような人形を見たエリックの視線が険しいものへと変わる。何か気付いたことがあるのだろうか。
「魔力を感じるが……。あの人形の内側から何か別のものも感じるな」
隣のクロイドも人形を凝視しつつ、アイリスだけに聞こえる声で小さく耳打ちしてくる。
自分は魔力を感じないため、目の前に取り出された人形からは見た目の情報しか得ることは出来ない。それでも、何か嫌な気配だけはしていた。
子どもに見せたら泣き出しそうな見た目の人形だからかもしれないが、それ以外にも不気味に思える理由がある気がした。
「――これ、凄く便利なのよ」
人形を大事なもののようにラザリーは抱きしめた。
「魔法を知らない人に魔法を見せるには具現化されているものの方が頭で理解しやすいでしょう? その分、この人形を使えば霊を易々と降ろして、生きている人間と交信させることが出来るのよ」
自慢げにそう話すラザリーはうっとりとした瞳で人形を見ていた。
「……村の人達に関係する人を降霊させて何をする気なの」
アイリスはラザリーの言葉をわざと切るようにそう言い放った。
それを癪に障ったかは分からないが、ラザリーは特に表情を変えることなく、肩を竦めて見せた。
「私はね、ただ見せつけてやりたいだけよ。……私の力がどれ程のものなのかを」
人形を教壇の上へと置いてから、ラザリーは右手で髪を肩の後ろへと振り払う。
「この人形は人から借りたものなの。……その人が私の力を見定めるために、この人形を貸してくれたのよ。だから、その人の了承無しで渡すことなんて出来ないわね」
ラザリーは右手で人形の頭をすっと撫でていく。
人形を借りた、という事は彼女の後ろに誰かいることを意味している。セド・ウィリアムズかと思ったが、彼は教団を抜けたあとは旅をしていると聞いている。
それならば、かつて彼女の同志だった選ばれし者の誰かがだろうか。
「人形を貸してくれた人はね、私の力が必要なんですって。でも、大きなことをするつもりだから、私がその大仕事に見合う力量を持っているか今、見極めているらしいわ」
ふっと微笑まれる笑みの奥に何が隠されているのだろうか。アイリスはじっとラザリーの表情だけを見つめる。
数か月前とそれ程変わっていないラザリーの微笑みの理由は相変わらず分かりにくいままだ。
「……村人達に対して降霊を行なっているということは、村人達を利用しているということか」
低めの声色でクロイドが声を張って訊ねる。
「あら、村人達にはむしろ感謝してほしいくらいだわ。……死んだ人間と再び言葉を交わせるなんて、滅多にないことでしょう? 私は彼らの願いを受け入れているだけよ」
声を上げて、ラザリーは高らかに笑った。
自分は正しいことを行なっていると言わんばかりに。
「まぁ、最初は不審がられたけれどね。私の行っている降霊は魔法ではなく、奇跡が生んだ御業だと思っているらしいわ。私がシスター服を着ているからでしょうね。神の使いとでも思っているのかしら」
魔法を知らない者からすれば、そう捉えられても仕方がないだろう。
だが、一般人に魔法を見せることが禁止されているのは彼女も知っているはずだ。
それをわざと行っているのはどういう真意を持ってやっているのか、彼女の表情からは読み取れなかった。
「……一ヵ月前に、あんたはこの村に流れ着いたと聞いている。食住を与えてくれた村人達に恩を感じたりしないのか」
村人達から得た情報なのだろう。続けられるクロイドの言葉にラザリーは初めて顔を顰めた。
「――ないわ。言ったでしょう。私は力を見せつけるためにここで降霊を行なっているだけよ。……恩情も感謝も私にとってはさらなる高見へ登るための足掛かりでしかないもの」
そう言葉を続けるラザリーの表情は無へと変わっていた。先程、子ども達へと向けられていた穏やかで優しい笑顔とは全くの別物だ。
「あなた達はこの魔具を回収しに来たのでしょうけれど、出来るかしら?」
「……どういう意味よ」
「村人達はすっかり私の力に心酔しているわ。この魔具を奪うということは、村人達から喜びと心の支えを奪うということよ」
「っ……」
ラザリーは他人から向けられている情をわざと振りかざしているのだ。
こちらが何に躊躇するのか、すっかり分かっているらしい。前から思っていたことだが、嫌な性格は変わっていないようだ。
「それを知っていて、この魔具を回収出来るのかしら」
いつもの調子に戻ったようにラザリーは軽い口調で笑っている。
「……それが私達の任務だもの」
躊躇してはならないと分かっている。だから、言葉にしなければ、自分は彼女に負けてしまいそうだった。
ラザリーは自分の欲のために魔具を使い、村人達を利用している。傍から聞けば、悪だと思われるのはラザリーの方だろう。
……躊躇っては駄目。
頭では分かっているのに、彼女に対するこの違和感は一体何だろうか。心の中でとぐろを巻いた分厚い雲が漂っているような気分が先程からずっと続いたままだ。




