罪悪感
まだ、時間は夕方前だというのに空を覆う雲は厚みを増し、とうとう小雨を降らせ始める。
湿気を鬱陶しく感じたアイリスはいつもの流し結びから、髪を一つにまとめて結い直した。
背中に布で包んだ「純白の飛剣」を背負い直してから、短剣二本がしっかりと装備されているかも確認する。
「――行きましょう」
情報収集を終えた後は宿屋で作戦を立て直しながら時間が過ぎるのを待っていた。アイリス達三人は少々強張った面持ちで、宿屋を出る。
時間通りならば、ラザリーと思われる人物が教会に戻ってきているはずだ。いないならば、また出直せば良いし、探し直せばいい。
今回の任務で、最優先されるべきは魔具の回収だ。
ラザリーがこちらの要求に素直に応じるかどうかは分からないが魔具を引き渡すように説得し、それが失敗した場合のみ、強行手段に出ることを決めていた。
そしてラザリーの捕縛についてだが、これが上手くいくとは考えていない。正直に言えば、やり辛い任務内容である。
ラザリーの人権を無視してしまうこの任務内容に納得がいかないのは確かだ。
魔的審査課のエリックもそう思っているのか、緊張していた面持ちから、詫びているような表情へと変わっている。
……こちらの条件を飲まなかったラザリーから、魔具だけを回収して、本人を逃がすことが出来たらどんなにいいかしら。
かなり気鬱になっているのが表情に出てしまっていたのかクロイドがこちらを心配そうに見ている。
アイリスは何でもないと言わんばかりに首を横に振って、真っすぐと前を見た。
傘がなかったので、少々濡れることになるのは仕方がない。
それでも、この小雨が心の底に抱いている、ラザリーに対する心苦しい気持ちを流れ落としてはくれなかった。
見極めると言っておきながら、自分はどうしてこれほど悩んでいるのだろう。
魔具を回収することは大事な任務だ。
だが、ラザリーを捕らえて教団へと無理矢理に引き連れていくのは、彼女のことを考えた行動ではないと自覚している。
ラザリーを新しい魔法を生み出す上での研究材料としか考えていない魔的審査課のことを快く思っていないせいもあるだろう。
……私はラザリーに同情していると言うの?
彼女のことを可哀想だとは思っていない。それでも、心のどこかでラザリーに対して申し訳なさが募っていくのは確かだ。
罪悪感ばかりが大きくなっていくのは、トゥリパン村の村人達が慕っているからだろう。
「……あの教会だな」
クロイドの呟きにアイリスはぱっと顔を上げる。
前方には白壁が薄汚れ、蔦が壁を伝うように覆い始めている古びた教会が建っていた。穏やかな坂の上に教会は建っており、周りには教会以外何もなく殺風景だった。
だが、大切に管理されているのか、窓は綺麗に拭かれており、教会の扉前は塵一つ落ちていない。
雨足が強くなってきたため、アイリス達は教会の入口の屋根の下へと駆け足で入り込んだ。
「……いるな」
クロイドが扉の向こう側にある気配に向けて感覚を研ぎ澄ませているのか、眉を深く寄せた。
「間違いない。ラザリーの匂いと……魔力を感じる」
そういえば彼は数度、ラザリーと会っているのでその時に嗅いだ匂いを覚えているのだろう。
エリックも扉の向こう側に魔力を感じているのか、彼女の魔具である腕輪が手首にしっかりと装備されているか何度も確認していた。
深呼吸して、二人に準備は出来たか確認するように目配せする。クロイドとエリックは同時に頷き返した。
「行くわよ」
アイリスは教会の入口である扉の金属製の取っ手に触れて、金属音を鳴らすように数度叩いた。
教会の中から声が聞こえた気がしたが、雨の音によってかき消されてしまう。
取っ手を強く握りしめ、アイリスはゆっくりと扉を開いていく。
湿った空気が中から向かい風のように吹き通っていった。薄暗い教会の中はよく雨音が響いていた。アイリスは視線を前方へと向ける。
今の空気には似合わないほどに鮮やかな色で構成されたステンドグラスが最初に目に入って来る。
その鮮やかさに目を奪われないようにアイリスは素早く目を逸らし、ステンドグラスを背にした壇上へと視線を向けた。
「――あら」
懐かしい人物に偶然あったかのような呟きがその場に響き、アイリス達は反応する。
壇上にはいくつかの影があった。
数人分の小さな影の中に自分達と同じくらいの背丈の影が一つ。
アイリスはゆっくりと教会の中へと足を踏み入れていく。それに続くようにクロイド達も中へと入り、扉はゆっくりと閉められた。
壇上には蝋燭が置かれており、その灯りによってやっと呟きの主の顔を確認することが出来た。
……ラザリー・アゲイル。
一番高い背丈の影は、紛れもなく以前見た彼女だった。
ラザリーはシスター服のような黒と白で統一されたものを着ていた。妖艶な笑みをこちらに向けつつ、彼女は黒髪を耳にかける仕草をする。
「……さぁ、あなた達はもうおうちに帰る時間よ」
ラザリーは少し視線を下へと逸らして誰かに向けて、優しい声色で言葉をかける。
「えー? もう?」
「ラジーお姉ちゃん、さっき帰って来たばかりじゃん」
「まだ、お話聞きたいー」
ラザリーの周りを取り囲んでいたのはどうやら子どもばかりのようだ。
10歳に満たないくらいの子ども達は口々に駄々をこねている。何かラザリーに面白い話でもしてもらっていたのかもしれない。
……どうして、これほど気鬱になるのかしら。
後ろめたく思うのは、ラザリーに向ける子ども達の表情が偽りのないもののように自分の瞳に映ってしまったからだ。
「大丈夫よ。……また、いつでもお話してあげるわ」
ラザリーは子ども達の頭に手を置いてゆっくりと撫でつつ、穏やかに微笑む。
その微笑みは仕組まれたものなのか、それとも彼女本来が持っている笑顔なのかどちらだろう。
……見極めるべきは、何か。
自分は何を観点に置いて、彼女を見極めればいいのだろう。戸惑うのは何故だ。
善とは、悪とは何だ。ラザリーはどちらに当てはまるのか。
そして、善悪に当てはめることを自分が決めてしまっていいのだろうか。
ラザリーを囲んでいた子どもの一人がまだ家へと帰りたくないのか、ラザリーの元から動こうとしない。
「……レイチェル。そろそろ帰らないと、雨が強くなってしまうわ」
「…………」
ラザリーが諭すように優しく呟き、レイチェルと呼ばれた少女の前へと視線を合わせるように腰を下ろす。
「雨が強くなるとね、可愛い子どもを攫ってしまうのよ。ここには可愛い子ばかりだから、皆が雨に連れて行かれてしまうかも」
悪戯っぽくラザリーがそう言うと子ども達から恐ろしいものを見たような声がすぐに上がった。
「えぇっ……」
「早く帰ろうよぉー」
他の子ども達に急かされて、レイチェルはラザリーの方に名残惜しそうな視線を向ける。
ラザリーはもう一度優しく笑ってから、レイチェルの頭を撫でた。それが嬉しかったのか、はにかむようにレイチェルは笑い、素直に家へと帰ることを決めたようだ。
「皆、気を付けて帰ってね? 傘を持ってきている人はいる? 走って帰ったら危ないわよ」
「はーい」
「またねぇ、ラジーお姉ちゃん」
ラザリーに返事をしつつ、子ども達は早足でアイリス達の横を通り過ぎ去っていく。外は雨が降っているというのに、子ども達は平気な様子で雨の中へと駆け足で入って行った。
扉が再び、閉められて教会の中にはアイリス達三人とラザリーだけが残される。
「……さて、お話を聞きましょうか?」
まるで、最初からこうなることを予想していたようにラザリーは先程とは違った不気味に思える表情で微笑んでいた。




