同一人物
翌日は朝から灰色の雲が空を覆っており、今にも雨が降りそうな天気だった。湿気が漂っているのか、空気が重たく張り付く感触がしてあまりいい気分ではない。
アイリス達は魔具や剣を服の下に隠すように装備しつつ、ラザリーと思われる任務対象の人物についての情報を二手に分かれて集めることにした。
「――あぁ、教会で働いている子? ラジーって言うんだ」
「ラジー……」
アイリスは馬の世話をしていた男性に声をかけていた。隣には初任務のエリックが緊張した面持ちで木の棒のように真っすぐと立っている。
「美人な子だよねぇ。一ヵ月前くらいにこの村に来たんだけれど、凄く気立てが良いんだ。子どもの面倒も見てくれるし」
男性が言っている人物が本当にラザリーと同一人物か分からなくなってしまいそうな情報に、自分が以前ラザリーに対して描いていた印象と重ねてみる。
やはり、一致しない。
「あの……。そのラジーという方が、不思議なことをしていると聞いたんですけど」
アイリスは思い切って本題を尋ねてみることにした。
「もしかして、君達もラジーにお願いしに来たのかい?」
「え? え、えぇ」
とりあえず、ここは話を合わせておいた方がいいだろうと思い、アイリスとエリックは同時に頷いておくことにした。
男性は特に不審がることなく、頷き返してくれた。
「俺もちょっと前にラジーにお願いしてみたんだよね。母親に会わせて欲しいって。最初はもちろん、半信半疑だったよ。そんな不思議なことが世の中あるものかってね。でも、実際に体験した村の奴らが、ラジーが死んだ人間と話しをさせてくれるって言っていたから気になっちゃって。物は試しと思って、頼んでみたんだ」
クロイドが昨夜、話してくれた宿屋の主人から聞いた話と同じである。アイリスは一歩前へと進み、男性の顔を窺うようにもう一度尋ねてみる。
「……それがどういう状況だったのか、詳しく教えてもらってもいいですか?」
「ん? そうだな……。何でも、死んだ人間と言葉を交わすのは神聖な儀式だからってことで、それを行う時はラジーと二人っきりになるんだ。あとは……ラジーがこのくらいの人形みたいなものを持っていたなぁ」
男性は両手で人形といったものの大きさを示す。どうやら40センチくらいの大きさらしい。
「ラジーがその人形を持ったまま、何かを呟くんだ。そうしたら、数年前に亡くなった俺の母親の声が人形から聞こえてね。……言葉は少ししか交わせなかったけれど、やっぱり嬉しかったなぁ。喧嘩した後に死んじゃったから、謝ることも出来なかったし」
「…………」
男性は薄っすらと目元に涙を浮かべているように見えた。亡くなったはずの母親と言葉を交わすことが出来たのが、余程嬉しかったのだろう。
……誰だって、死んだ人には会いたいと思うもの。
自分も死んだ家族と会いたくて、禁断の魔法を調べていた時期があった。
今となっては愚かなことだと思えるが、当時の自分は家族に会いたい一心で必死に反魂の魔法について調べていた。
「……ラジーという人は、今も頼めば死んだ人と会わせてくれるんですか?」
思い出していたことを全て胸の奥へと飲み込んでから、アイリスは男性に質問を続ける。
「うん、やっているよ。一昨日だったかな。隣の家の奴が、死んだ婆さんと話しが出来たって喜んでいたから。……俺もまた、会わせてもらおうかなぁ」
男性は穏やかな表情でそう呟いたが、今から自分達が行おうとしていることは、トゥリパン村の村人達から喜びを奪ってしまう行為だ。
それに気付いたのかエリックが男性から視線を逸らし、申し訳なさそうな表情をしていた。
「……お話して下さって、ありがとうございました。そのラジーという人を訪ねてみたいと思います」
アイリスとエリックは男性に頭を下げてから、怪しまれないようにその場からゆっくりとした足並みで立ち去った。
周りに聞き耳を立てている人間がいないか確認しつつ、アイリスはエリックの方を振り返る。
「……さっきの男性の話を聞いて、どう思う?」
「へっ!? あ……。私は……ラジーという方がラザリー・アゲイルかどうかは分かりませんが、行っていることは降霊魔法だと思います。人形はいわば人の形代です。身代わりにもなれば、相手を呪う道具にもなります。魔法を使う際の道具としては適しているものですし、人形の中に魂を降ろす方法があるんです」
エリックもアイリスに合わせて小声で彼女の意見を話してくれた。
「ただ……。人形自体に魂を降ろす場合にはそれなりに準備が必要です」
何かを思い出そうとエリックは顎に手を添えながら思案している。
「何も準備なしに人形に魂を降ろせるというのなら、その人形自体が魔具となっているのかもしれません」
エリックの考えの言う通りならば、ハワード課長が入手した情報はそれなりに正しいものだったらしい。
一昨日、ミレットから今回の任務に関する新しい情報を得ていたが、その中にラザリーと思われる人物がどのような魔具を持っているのかまでは分からなかった。
もし、ラジーと呼ばれている人物が持っている人形が魔具だとするのならば、それが今回の任務での回収対象となるだろう。
「――アイリス、エリック」
振り返るとクロイドがこちらに向けて、小走りで走ってきていた。彼も情報収集が終わったらしい。
「そっちはどうだった?」
「昨夜、宿屋の主人が話していたことと同じようなことばかりが聞けたな」
「こっちも同じよ。あとは対象の名前がラジーというだけね」
どうやらクロイドもこちらと同じような情報ばかりを得られたらしい。すると何か大事なことを思い出したのかクロイドがぱっと顔を上げた。
「そういえば、そのラジーという奴だが今は教会にいないらしい」
「え……」
「どうやら昨日から用事で一人、どこかへ出掛けているとのことだ。今日の夕方前には帰って来るからと村人の子どもに言い残したっきりらしい」
「行き違いになっちゃいましたね……」
エリックが少し落ち込んだように肩を落としながら呟く。
「……私達がここに来ていると気付いている上での逃亡、なんてないわよね?」
「それはないと思うが……。隣町の教会を支部にしている団員が斥候でこの村を訪れたらしいから、その動きには気づいている可能性はあるかもしれない」
クロイドに同意する意味を持ってアイリスも軽く頷いた。
自分達が昨夜、宿泊していた宿屋はこのトゥリパン村の入口付近にあるため、村で一番端に建っている教会から最も遠い場所に位置している。
魔力を感じとるにはそれなりに近くなければ、感じ取ることは出来ないだろう。
「……とりあえず、夕方まで待ってみるしかないわね」
ラザリーと思われる人物が本当に村から逃げたのなら、追えばいいだけだ。
だが、何となく残した言葉の通りに戻って来る気がしていた。
アイリスは顔を上へと向ける。灰色の雲がまた一層と深い色になっている気がした。




