荷馬車
トレモント地方のトゥリパン村に一番近い二つ手前の町にある駅で降りたアイリス達が荷物を抱えたまま、トゥリパン村へと行く予定の荷馬車を探していた。
田舎の方では自動車よりも荷馬車の方が活躍している。それはまだ道が整備されていない場所もあるからだ。
首都のロディアートに近い程、自動車の普及率が高く、道が整備されている場所も多い。
だが、田舎だと自動車の需要がそれほどないため、移動手段は商いを営むために商品を載せた荷馬車に同乗させてもらうしかないのである。
エリックはあまり遠出をしたことがないのか、周りをきょろきょろと興味深そうに見渡している。
「アイリス」
クロイドに名前を呼ばれたアイリスは身体ごと振り返った。
「トゥリパン村を通る荷馬車が見つかった。途中まで乗せてくれるらしい」
クロイドの後方には柔和な顔をした中年の男性が帽子を軽く脱いで会釈してくる。アイリスも笑みを浮かべて頭を下げた。
「良かったわ。ありがとう、クロイド。……エリック、行くわよ?」
「あ、はひぃっ……」
裏返った声で返事をしたエリックは慌てるようにこちらへと駆けてくる。
彼女の背中に背負われている膨らんだ荷物が大きく揺れているが一体何を持ってきているのだろうか。
アイリスも「純白の飛剣」を布で丁寧に巻いて、外から剣だと見えないように施してから背中に背負っていた。
今の時代、表向きは剣を持って歩くことは禁止されている。特別な許可を得た者や、王宮で仕える者などしか帯剣していないため、見せびらかすように歩くことは出来ないのだ。
もしかすると警官に呼び止められる可能性もあるので、念には念を持って隠しながら運んでいるのである。
ちなみにスカートの下には「戒めの聖剣」と対霊体用の「清浄なる牙」も外から見えないように帯剣していた。
アイリス達は同乗させてくれる荷馬車の持ち主に挨拶をしてから、荷馬車へと上り、後ろの方に座らせてもらうことにした。
「――それじゃあ、行くぞー」
荷馬車の持ち主がのんびりと声をかけてくる。それと同時に馬によって引っ張られる荷馬車がゆっくりと進み始めた。
「わっ……。わわっ……」
道が整備されていないので、荷馬車の車輪が大きい石に乗り上がるたびに慣れていないエリックが小さく腰を浮かしては沈ませていた。
「舌を噛まないように気を付けてね」
「は、はい……」
汽車に乗っている間に他愛無い話をして緊張をほぐしておいたおかげなのか、昨日初めて会った時よりもエリックの表情は柔らかかった。
エリックが荷馬車の乗り心地に慣れて来た頃、クロイドが何かを思い出したようにふっと顔を上げた。
前方で荷馬車を運転している中年の男性がこちらに聞き耳を立てていないことを確認しつつ、エリックの方へと向き直る。
「なぁ、エリック。少し聞いてもいいか?」
「何でしょうか?」
「昨日、魔的審査課はラザリーが扱う魔法を取り込みたいと言っていただろう。そのことについてもう少し詳しく聞きたいんだ」
エリックは頷いてから大きい荷物の中から昨日と同じ手帳を取り出した。手帳のページを何枚か捲り、彼女は目的の項目を見つけたのかそこで手を止めた。
「……ラザリーは心的判断によって入団試験を落ちていると聞いたが……。彼女の魔法を取り込むということは、ラザリーの入団を認めるということなのか?」
クロイドが言ったことは、以前聞いた話だ。
ラザリーは嘆きの夜明け団の入団試験を受けた際に心的判断によって落とされている。それは例え魔力を持っていたとしても魔法使用と魔具使用の許可がされていないことを意味している。
「いえ、違うんです。私もあの後、叔父さん……じゃなくって、ハワード課長に聞いてみたのですが……」
エリックは荷馬車の持ち主の方をちらりと見つつ、声を抑え気味に答えた。
「正式な魔法使いとして、魔法の許可を出すわけではないようです。……悪い言い方をすれば、魔的審査課が新しく考えている魔法の研究材料にするつもりだと思います」
その言葉にアイリスが顔を顰めると、悪くはないはずのエリックが申し訳なさそうに肩を竦めた。
「特例として、魔的審査課の人間が付き添う場合にのみ、魔法使用の許可を出すんです。それでラザリー・アゲイルの魔法の性質を調べて、どういう魔法に効果があるのかなどを細かく記録しながら、新しい魔法を組み立てていくんです」
実際にその作業をやったことがあるのか、エリックは何かを思い出すようにしながら言葉を続ける。
「だから……。恐らくですが、魔的審査課の望む新しい対人魔法が完成した時が研究の終わりです。そうなればもう、ラザリーは……」
「用済みにされるということね」
まるで消耗品のような扱いではないかとアイリスはエリックに気付かれないように拳を強く握りしめた。
ラザリーとは何度か言葉を交わしたが、彼女は自分自身の存在と魔法を自在に扱うことを誇り高く思っているように感じた。
そのため、例え特例として魔法の使用を許可されても自身が入れなかった教団の研究材料とされると知れば、ラザリーの矜持が深く傷ついてしまうのではないかと思うのだ。
ラザリーは常に強気の姿勢だったが、アイリスから見てみればそれは虚勢を張って、強くあろうとしているように見えていた。
「用済みって……。もし、ラザリーが教団の研究に協力したとして、その後はどうなるんだ?」
クロイドの質問にエリックは横に首を振った。
「その後のことは私には何とも……。ラザリー自身はどちらかと言えば、魔法の存在を認知しているこちら側の人間なので記憶を消されるなんて事はないと思いますが……」
自分が持つ魔法の性質を教団に提供しつつ、自身は魔法を使うことを許されない身を要求されるならば、何と都合が良過ぎる話かとラザリーなら嘲笑うかもしれない。
この件は彼女対して、利が一つもないからだ。
……彼女のことを思うならば、捕らえない方が幸せなのかしら。
だが規則上、魔法使用の許可が下りていない彼女を見逃すことは出来ないのも本音である。
貫くべきは作られた正義か、それともラザリーに対する情けか。
きっとラザリー本人に会わなければ分からない。だが、直接会ったことで揺らいでしまうこともあるだろう。
……魔具を回収する。
それが自分に与えられた任務でやるべきことだ。ラザリーのことを善か悪かを見極めるためにここまで来たというのに、アイリスの心は静かに波打ち始めていた。




