相反
わざとらしく深い溜息を吐きながら、ブレアは万年筆を指で弾いた。空中で勢いよく回転した万年筆は再びブレアの右手へと納まる。
「そちらの失態を我々が尻拭いする必要は無いだろう。話がそれだけなら帰ってくれ」
左手でブレアは追い払う仕草をしたが、それが癇に障ったのかアドルファスの表情は恨みがましいものへと変化する。
「……分かった。それならば、魔的審査課と魔具調査課の合同任務ならばどうだ」
「は?」
「我が課は忙しいからな。その中で部下を一人貸してやる。ラザリーはこちらで押さえるが、魔具の回収は貴様共が行う。それなら文句はないだろう」
「……それなら、そっちの課で単独でやればいいじゃないか。魔具調査課は人数少ない分、忙しいんだ。一々、しなくてもいい合同任務を組んでやらせる必要はない」
「ブレアよ。私はな、ラザリーが関わっている以上、彼女のことを知っているアイリス・ローレンスがこの件に関わる方が良いと考えている」
突然、自分の名前が出たアイリスは訝しげな表情でアドルファスを見上げた。
「我が課はウィリアムズ家のセドのことなら存じているが、ラザリーと直接的に接触したのはこの娘だけだ。ラザリーがどういう人間かを一番知っているのはそちらではないのかね?」
「…………」
確かに、自分は直接ラザリーと会話をした上で、彼女がどういう人間だったのか覚えている。
今回、目撃されたのがラザリーだったとして、何のために彼女は田舎の教会で働いているのだろうか。
気にならないと言えば嘘になる。
憎むべきもののように自分のことを見ていたラザリーの瞳はよく覚えていた。貼り付けられたような笑みの裏に何かが隠れているようにも思えたのだ。
……あの人は私と似ているわ。
自分はローレンス家の末裔なのに魔力無しで、ラザリーは有名な魔法使いの家の血筋を受け継いでいるにも関わらず、魔法を使うことが許されていない身だ。
似ている部分なんて何一つないのに、似ているように思えるのは、お互いに相反した者同士だからだろう。だからこそ、気になるのだ。
「……ブレアさん。私に行かせてください」
気付いた時には、いつのまにか答えていた。隣に座っているクロイドが驚いたように息を吸い込んだ音が聞こえた。
「私もラザリーのことが気になります。魔具を持っているというなら、尚更です」
「アイリス……」
自分から申し出ると思っていなかったのか、ブレアは途端に戸惑いの表情を見せ始める。
「私の目で、彼女が本当の意味で何をしたいのか見極めたいのです」
有名な魔法使いの家の血筋でありながら、魔法を使うことが許されていないラザリーがどういう気持ちで日々を過ごしていたのかは自分には理解できない。
そして、魔力無しの自分が教団に属しているのだからラザリーの矜持を傷付けていないとは言い切れないのだ。
彼女の矜持を傷付けてしまったことが、先日の件を起こした原因となっているのならば、少しは自分に責任があるのではないだろうか。
アイリスは拳を握りしめて、真っすぐとブレアを見た。
「……お前はそれでいいのか。ラザリーは危険だ。あいつはお前を確実に殺そうとしていたんだぞ」
確かめるようにブレアが訊ねてくる。
「ラザリーが私に思うところがあるように、私自身も彼女に対して思うことがあるのです。……もしかすると私の存在が彼女を逆上させてしまう可能性だってあるかもしれません。でも……」
心の決着はお互いに着いていないだろう。ラザリーは恐らく、今でも自分のことを恨み、妬んでいると思う。
それでも彼女に会わなければならない気がするのだ。
ラザリーの真意を知った上で、自分は魔具調査課の人間としてだけではなく、アイリス個人として彼女に話を聞きたかった。
「それでも、行かせてください」
ラザリーがただ魔具を持っているだけなら、それを回収すればいい。だが、魔具を使って他人に迷惑がかかるようなことをするつもりなら、それを止めればいいだけだ。
「……はぁ。明らかに面倒そうだから断ろうと思ったのに……」
ぽろりとブレアの本音が零れる。
「こいつの望み通りに動くのはかなり癪だが、アイリスの望みなら受け入れるしかないな」
ふっと息をもらしたブレアの表情は先程と比べて柔らかいものとなっていた。
「クロイドはどうだ? アイリスは行く気満々のようだが」
「もちろん行きますよ。……相棒ですから」
隣を振り返ると仕方ないと言わんばかりの表情でクロイドが溜息を吐いていた。しかし、その表情は険しいものではない。
「……アドルファス。寛容な心を持った私の部下に感謝することだな。……合同任務の件、受け入れる」
幾分柔らかくなっていた表情はアドルファスに向けられる時だけ、苦いものを食べたような表情へと変わる。
「任務遂行の日程は明日からだ。魔的審査課で出す人間はそちらで決めてくれ。任務内容の確認と作戦会議のためにあとで魔具調査課に来るように伝えておくことも忘れるなよ」
「……あ、あぁ」
とんとん拍子に決まっていったため、アドルファスはまだ状況についていけていないようだ。額の汗は引いているようだが、表情が強張っていた。
「話は以上だ。帰ってくれ」
何度目か分からない、追い払う仕草をするブレアを一瞥してから、アドルファスは苦々しい表情のままで課長室から出て行った。
その時の足音は最初、ここへ訪ねて来た時と比べると大人しいものとなっている。
アドルファスが完全に扉を閉め切ってから、ブレアは今日一番の深い溜息を吐いた。
「……そういうわけで、『暁』に新たな命令を出す」
ブレアは眼鏡を指で上へと少し上げて、声を張った。
「ラザリー・アゲイルと思わしき人間が持っている魔具の回収を命ずる。可能ならば、魔的審査課の人間と協力して、ラザリーを確保すること。……以上だ」
「はい」
「……あとは魔的審査課の奴と話し合うように。泊まり込みの準備もミレットの方に整えるよう伝えておこう」
「ありがとうございます。……あの、ブレアさん」
「何だ」
「すみません、私の我儘を聞いて下さって」
アイリスが申し訳なさそうにそう言うとブレアは小さく噴き出した。
「いや、いいんだ。私がアドルファスの言いなりになるのが嫌なだけだったから。……ラザリーがどういう人物か見極めたいと言うなら、今回の件はお前に任せるよ、アイリス。クロイドもアイリスへの助力、頼んだぞ」
「はい」
アイリスとクロイドは立ち上がり、ブレアに向けて同時に頭を下げた。
今から任務内容の確認と準備をしなければならない。後で魔具調査課に訪ねてくると思われる魔的審査課の人間とも打ち合わせは念入りにしておいた方がいいだろう。
「…………」
課長室の扉を閉める瞬間に見えたのは何か言いたげな表情をしているブレアだった。
「……あとで、セドの奴に連絡を入れておくか」
ブレアの小さな呟きを聞いている者は誰もおらず、惜しむような声だけが静かに消えていった。




