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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
安らぎの暇編
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再挑戦


 昨晩、マーレが遺した手帳を読んだクロイドは元気がないかもしれないと思っていた。

 しかし、自分よりも早く起きて、厨房で朝食の下ごしらえを始めている彼に暗い影などは見えなかった。


 入口で様子を窺っていたアイリスの気配を感じたのか彼がこちらへと振り返る。


「おはよう、アイリス」


「……おはよう」


 彼の顔をそっと窺ったが、やはりいつもと変わらない様子に見える。こちらの思い過ごしだろうかと思いつつ、アイリスは袖を腕まくりしてから手を洗った。


 だが、クロイドの隣に立ってからやっと気付いた。


 ……あ。


 彼の目元が赤かったのだ。


 クロイドが昨日、自室で泣いていたことは知っている。もちろん、自分はわざわざ泣いたのかなんて聞くつもりはない。


「今日はトマトのスープ、ほうれん草と卵を炒めたものを作る。パンは昨日、先輩達が買ってきたものがあるからそれを……。……アイリス?」


 朝食の献立を説明していたクロイドが言葉を止めてからこちらを大きく振り返る。自分が反応しなかったので、不審に思ったのだろう。


「あ、ごめんなさい。何でもないわ」


 クロイドの視線がこちらに向いていることに気付き、すぐさま何でもないと取り繕って見せる。


「それで私は何をすればいいのかしら」


「……それじゃあ、君にはこのほうれん草を茹でてもらう」


「茹でるの!?」


 突然の一段階上の技術にアイリスはつい大きな声で反応してしまう。


「それほど難しくはないから。……あぁ、でも茹で方には気を付けてくれ。先に茎の方からお湯に浸すんだ」


「わ、分かったわ……」


 アイリスは束になったほうれん草を手に取り、沸騰している鍋の前へと立った。


「火傷しないように気を付けてくれ」


「えぇ……」


 魔法で作られた火と対峙するのは怖くないのに、どうして鍋の下で揺れている火は怖く思えてしまうのだろうか。


「……もう、入れてもいいんだぞ?」


 クロイドが自身の作業を止めてからこちらへと振り向く。


「ちょ、ちょっと待って……。今、丁度いい頃合いを見計らっているから……」


 見極めるのは大事なことだ。深呼吸してから、アイリスはほうれん草を茎から浸けるように鍋の中へと入れた。

 お湯の熱気を感じながらもゆっくりとほうれん草を手放していく。


「はぁ……」


 一つの大仕事をやり終えたと言わんばかりに溜息を吐くとクロイドから苦笑されてしまった。


「ほうれん草はあまり長く茹でない方がいいんだ」


「えぇっ……」


 アイリスはつい情けない声を上げてしまう。


 苦笑したままのクロイドが料理で使う金属製のトングを使って、茹でたほうれん草をあらかじめ用意していた冷水を入れたボウルの中へと移動させた。


「冷めてからほうれん草の水気を切ってくれ」


「水気を切る……」


 まさに未知の技術だ。

 自分の服が濡れた際に、裾を絞るような感じでいいのだろうか。


 アイリスに的確な指示を出しつつもクロイドは他の作業を止めることなく進めている。


 ……大丈夫なのかしら。


 彼から暗い空気が出ているわけではないが、やはり心配なものは心配だ。しかし、今は料理の方に集中した方がいいだろう。


「……それと水気を切ったほうれん草を親指の長さくらいに切っていってくれ。その後は卵と一緒に炒めるだけだ」


「炒める……」


 復唱しつつもアイリスは言われた通りにほうれん草を両手に持って、雑巾を絞るように水気を切っていく。ちらりとクロイドがこちらを見つつも何も言わないので、恐らく及第点はもらえているのだろう。


 アイリスは水気を切ったほうれん草をまな板の上へと置いてから、今度は包丁を手に持った。


「よし……。やるわよ……」


 この前、教わった通りの包丁の持ち方で、アイリスはそっとほうれん草を同じ幅でゆっくりと切っていく。ほうれん草は人参よりも柔らかいので切りやすかった。


「この前よりも上達したな」


 トマトのスープはもう最終段階に入っているのかクロイドはこちらの様子を監視しつつ、香辛料などを入れながら味を調えているようだ。


 ほうれん草は無事に同じ幅で切り終えたアイリスは深く息を吐いてからクロイドに向き直った。


「それで? このあとはどうすればいいの?」


「こっちで油をひいたフライパンがあるだろう? そこにほうれん草を入れて、炒めるんだ」


 手渡されたのは木べらだった。これでほうれん草を上手いこと炒めろという事だろう。


「熱が均等に伝わるように、固まった部分を分離させていくんだ」


 アイリスは渡された木べらを短剣を持つように構える。火によってフライパンはすでに温まっているようだ。


 片手で切ったほうれん草をフライパンの中へとそっと入れると油が跳ね返って来るような音に思わず、固まってしまう。


「油が飛んでくることもあるから気をつけてくれ」


「……えぇ」


 言われた通りに木べらを使って、固まっているほうれん草を分離させていく。


「そうだ、そんな感じで暫く炒めてくれ。あとは……卵、割ってみるか?」


「卵を……割るっ!?」


 思わず声が裏返ってしまい、動かしていた木べらの手を止めてしまう。


「簡単なやり方だとフライパンの角で、2回くらい軽く叩くように当てるとひびが入りやすいぞ。一度、お手本を見せるから……」


 クロイドは苦笑しながら、木製の籠に入っている卵を一つ手に取った。そして、フライパンの角で軽く2回程叩くように当ててから両手で卵の殻を持って、中身を押し出すように割って見せる。


「……これ、上級者向けの技術じゃないの」


 フライパンの上に綺麗に落ちた卵を見つめつつ、アイリスは顔を顰める。


「……ちなみにこれが上級者向けだ」


 クロイドはもう一つ卵を手に取り、今度は調理台の平面で二回当ててから、片手だけで卵の中身を押し出して見せる。


 片手で出来るかと聞かれればもちろん、無理だ。つまり、彼が最初に教えてくれたやり方が一番初心者向けらしい。


 アイリスは木べらを一度、置いてから卵を一つ手に取り、フライパンの角へと当てる。

 力加減が良く分からないので、クロイドが割っていた時よりもかなり深くひびが入ったようだ。


「…………」


 震える両手で持ちつつ、クロイドが見せてくれたやり方と同じように中身を押し出した。

 フライパンの上に無事に卵を落としたことを確認して、安堵の息を吐く。


「魔物と戦闘する時よりも緊張したわ……」


 卵の殻を片付けてから、アイリスは再び木べらを手にする。

 そしてクロイドが最初から小皿に用意してくれていた調味料をまとめてフライパンの中へと入れた。


「初めてにしては上手い方だ。俺が初めて卵を割った際は、一瞬で無駄にしたぞ」


 褒めているのか慰めているのかは分からないが、言葉だけはありがたく受け取っておこう。


 木べらで卵とほうれん草を絡めるように炒めると、料理らしい匂いが鼻を掠めた。

 初めて一から作る料理にしては中々上出来ではないだろうかと自分を褒めてやりたいくらいだ。


 このまま一気に上達すれば、いつかクロイドに手料理を食べさせることが出来るかもしれない。


「……それ程、料理を上達させたいと思っているなんて知らなかったな」


 トマトのスープはすでに仕上がったのか、クロイドはスプーンで味を確かめていた。

 アイリスは木べらを動かしつつ、唇を軽く尖らせた。


「……だって、好きな人には自分の作った料理を美味しいって言われたいもの」


 ぴたりとクロイドの動きが止まったように思えて、アイリスは自分の発言がどういう内容だったのかを思い出して赤面する。


「ち、違っ……。あの、ほら! 魔具調査課の皆には美味しいものを食べてもらいたいじゃない? そういう意味だから!」


 取り繕うようにそう言っても、もう遅い気がしていた。


「あ……」


 固まっていたクロイドがフライパンの方を指さしたため、そちらを振り返るとほうれん草に絡めた卵が少し焦げ始めていた。


「わっ……」


 急いで火を止めてみたが、やはり遅かったようだ。


「あー……。最後の最後で油断したわ……」


 卵は気を付けていなければ、焦げやすいらしい。鼻を掠めていくのは調味料と少し苦味が走った匂いだった。


 がっくりと肩を落としているとクロイドが持っていたスプーンでフライパンの中身を掬って、口元へと運んだ。

 突然のことに驚いてしまったが彼は何か思案するように口元に手を当てる。


「味は悪くないぞ」


「……お世辞はいらないわよ」


 アイリスが膨れっ面になりつつ、溜息を吐いているとクロイドが皿を一枚用意して、それにフライパンの中身を移した。


「え、まさか……」


 それを先輩達に食べさせる気ではないかと疑っていると彼は小さく首を振った。


「これは俺一人で食べるから」


 ぶっきら棒にそう言いつつ、クロイドは彼がいつも座っている席の前へとその皿を置いた。


「……焦げたものを食べると身体に悪いわよ」


 自分に気を遣ってくれているのか彼は少し焦げた料理を全部食べる気でいるつもりだ。

 だが、無理して食べれば体調を崩しかねない。




「……初めて作った料理を独り占めにしたいだけだ」


「え?」


 早口な上に小さな声だったのでよく聞き取れなかったアイリスは首を傾げた。

 しかし、こちらを振り返ったクロイドは何故か満足そうな顔をしている。


「練習すれば上手くなる。もう一度やってみればいい。ただし、俺は味見しか手伝わないけどな」


「……味見のし過ぎで具合悪くなるわよ」


 彼の胃袋に負担をかけないためには、次は失敗しないように作るしかないだろう。


 ……いつか、美味しいって言わせてみせるんだから。


 恐らくクロイドのことなので気長に自分の料理に付き合ってくれそうだとアイリスは苦笑しつつ、再挑戦するためにもう一度ほうれん草の束を手に取った。


  

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