飲み比べ
「はぁ? 姉ちゃんが俺達と飲み比べするって?」
大柄の男はロサリアの言った言葉をやっと理解出来たのか何を言っているんだと言わんばかりの表情でそう言った。
「私があなた達に負けたら、何でもする。でも、あなた達が私に負けたら今後は一切私達に関わらないと約束する。あと、ついでに飲み代は負けた方が持つ」
アイリスはナシルの方にちらりと視線を向けると彼女は少し苦い表情のままでロサリアを見ていた。
「どうする? 尻尾巻いて逃げるなら今のうちだよ」
かなり余裕があるのかロサリアの表情は一切変わることなく、男達に言葉を畳み掛けていく。
しかし、ロサリアの挑発的な口調に腹が立ったのか男達は顏を顰めた。
「なめやがって……」
「俺達に酒飲みで勝てると思っているのか? 笑えるぜ……」
「いいぜ、やってやるよ。だがあとで泣いて詫びてもその約束は取り消さねぇからなぁ?」
「むしろ、この姉ちゃんを泣かせてやりてぇぜ」
男達は汚い声でわざとらしく笑い合う。耳を塞いでいいなら塞ぎたいが今はそんなことを気にしている場合ではない。
「……5対1では分が悪い。私も入ろう」
溜息を吐きながらナシルがロサリアの隣に立つ。
「飲み比べをするのは好きだが、それは一緒に飲んで楽しい人とする時だけだ。正直、こんな奴らとの勝負ごとに使いたくはないが……」
確かにナシルは以前、ブレアと飲み比べをしてはいたが、見ていてとても楽しそうに飲んでいたことを思い出した。
しかし、それでも人数的に劣勢なのは変わりない。アイリスとユアンはお互いに顔を見合わせたが二人ともお酒が飲める歳ではないので、助太刀は出来ないのだ。
「――ふむ、ただ酒が飲めるなら私も参加しようかな」
男達の背後から突如知っている声がその場に響き、アイリス達は一斉に視線をそちらへと向けた。
そこにはすでに頬を赤らめているブレアが腰に手を当てつつ立っていた。
「ブレアさん……」
「何だ、あんたは……」
男の一人は疑わしい視線でブレアを上から下までじっくりと見ている。
「そこにいる四人の上司だ。私の部下が何か面倒な上に面白そうなことに巻き込まれているみたいだからな。……もちろん、人数が増えても勝敗条件は変わらない」
ブレアがナシルの隣にすっと立つ。今まで飲み歩いていたようだが、この飲み比べに参加して本当に体調は大丈夫か心配になってきてしまう。
「5対3で同じ量を飲みまくって、最後に立っていられた人数が多い方が勝ちだ。そして約束はちゃんと守ってもらう。……いいな?」
不敵にブレアが口の端を上げて笑った。見て分かる程に酔っているというのに随分と余裕ありげな笑みを浮かべている。
「……いいだろう。相手してやるぜ」
大柄の男が表情を歪ませるように笑った。
「――おい、店主! この店で一番強い酒と人数分のグラス持ってこい!」
「はっ……はいっ!」
男が店主と思わしき男性に向かって荒っぽく注文する。アイリス達が座っていた席の隣に男五人は並んで座った。
他の客達も何か始まるようだと察したのか、こちらに視線を向けてくる者もいれば、近づいて様子を見に来る者でアイリス達の席の周りは溢れ始める。
店主と給仕によって運ばれてきた大量の酒を目にしたアイリスは少し引き気味の表情で先輩と上司に視線を送った。
だが、かなり余裕なのか表情に焦りは見られない。
「時間は無制限、この店の酒が尽きるまで、立っていた奴が勝ちだ。――おい、店主、あんたが酒を注いでくれ。もちろん、平等にな」
男は鋭い視線を店主の男へと送る。店主は大柄の男に怯えているのか首を何度も縦に振って、酒瓶をグラスへと傾けていく。
「おお、中々いい酒だな」
香りで分かるのかブレアがにやりと笑った。どうやらこの人は本当に飲み比べを楽しみにしているだけのようだ。
……ロサリア先輩がこの中では一番強いって聞いていたけれど、ブレアさんもナシル先輩もそれなりに強いし……。
先日、自分とクロイドの歓迎会をした際にはかなりの量のお酒を飲んでいた。そう簡単に潰れるとは思えないが、ブレアはすでに別の店でお酒を飲んできているようなので、酔いは少し回っているはずだ。
ナシル達と男達の前にお酒の注がれたグラスが全て揃った。
「それじゃあ、始めるぜ」
大柄の男の声で飲み比べはとうとう始まってしまう。
ブレアはグラスを持つと一気にぐびっと喉へと流していった。
「ぶっはぁー……。こいつは美味いな」
「……普通に飲む酒だったら凄く美味しく感じるのになぁ」
「確かに美味しいですね」
ブレアに続いてナシルとロサリアも平然としながらグラスを空にしていく。その光景を男達は少し驚いているようだった。
あちらが思っていたよりもこちらの女性陣の飲みっぷりが良かったからだろう。
「……おい、次だ!」
男が空になったグラスを頭上に掲げて、店主に次を注げと命令する。
「……はぁ。情緒がない飲み方って好きじゃないんだよねぇ」
ナシルが溜息を深く吐きつつ、注がれた酒に口を付ける。
「私はどちらかと言えば、食事を摂りつつお酒を楽しみたいです」
そう言いつつもロサリアはすぐにグラスを空にした。
「……見ていて、恐ろしいくらいの飲みっぷりだわ」
隣で一緒に見守っていたユアンが酒の匂いだけで酔ったのか口元を袖で押さえつつ悲壮な表情をしている。
「ユアン先輩、大丈夫ですか? 気分が悪いなら外で……」
「大丈夫。平気よ。……でも、匂いだけでも分かるわ。あのお酒がどのくらい度数が高いのか……」
アイリスも匂いだけ嗅げば、この飲み比べで使われているお酒の度数はブレアがいつも飲んでいるものよりも高いのは分かっていた。
鼻の奥に残るこの香りは一度、嗅いでしまえば忘れられそうにないほど強いものだった。
男と女で飲み比べの対決をしているのだから、周りが興味を示さないわけがない。他の客達はお酒の勢いでどちらが勝つのか予想し始めているようだ。
……こういう勢いで動くところは、いかにも酒場って感じよね。
窓の外へと視線を動かすと先程よりも陽が沈んでいるように見える。そろそろクロイド達も来るはずだが、この状況を見たら驚くに違いない。
その時、何杯目か分からないお酒を飲んだ男達の仲間の一人が崩れるように椅子から落ちていく。
その顔はかなり真っ赤で、どうやら完全に酔いつぶれてしまったらしい。
「くそ、このくらいで音を上げるんじゃねぇぞ……」
大柄の男は舌打ちをしつつ、自身のグラスを一気に空にした。
倒れた男はその場にいた客達によって少し離れた場所まで引っ張られていく。給仕の女性が水を持っていくのが見えたが、それはやがて他の客達が作った壁によって遮られてしまう。
「あらあら、大丈夫かしら……」
勝負している相手とはいえ、倒れたのだからユアンも心配するような表情で客達によって遮られた壁の向こう側を伸びあがるように見ていた。
ちらりと空になった酒瓶を見ると開始して10分も経っていないのにすでに4本が空いていた。
ブレアとナシルの表情はすでに赤いがそれでもまだ余裕があるらしく、飲み続けている。男達も大柄の男以外は顏を赤らめており、飲む速度は先程よりも遅い。
そして、ロサリアと大柄の男だけが表情を変えることなく黙々と飲み続けていた。
……確かに見ていてちょっと、怖いかも。
この二人の肝臓は一体どれほどの強さを持っているのか想像出来なかった。
「……アイリス」
名前を突然呼ばれて、はっとしたアイリスは声のした方へと振り返る。そこに困惑した顔のクロイドが客達の間を何とか割って入ってきていた。
「クロイド……」
「一体どういう状況なんだ、これは……」
確かにナシル達三人と男達が横に並んで酒を延々と飲んでいるのだから何も知らない人からすれば首を傾げるしかない状況だろう。
「あら、クロイド君。お買い物、お疲れ様。……レイク達もそろそろ来るのかしら」
「はい。もう、そこまで来ています。キロルさんは一度荷物を荷馬車に置いてくると言っていましたが……」
クロイドの視線が飲み比べをしている者達をゆっくりと見渡してそして、最後にアイリスのもとへと戻って来る。
その瞳は状況を説明しろと言わんばかりの複雑な表情をしていた。




