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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
安らぎの暇編
261/782

特別


 朝食の片付けが終わったあとはそれぞれが自由に過ごし始めた。


 レイクとミカとブレアは二度寝をしているし、ユアンはキロルとナシルから魔具の作り方を教えてもらっているようだ。

 セルディは昼食の下ごしらえと三時のおやつの準備をゆっくりと始めており、ロサリアは昼食で使う魚を獲りに行っていた。


 本当の意味での休暇が始まったのだが、旅行先で何をすればいいのか分からないアイリスはどのように午前中を過ごそうかと一人悩んでいた。


 好きな事をしていていいと言われても、どうすればいいのだろうか。


 ……時間の過ごし方を考えなければならないなんて、贅沢な悩みだわ。


 柵に手を添えつつ、緩やかな斜面の下に広がっている小さな湖を見ながらアイリスは一人苦笑していた。


 一人で剣の鍛錬でもすればいいのだがせっかくの休みなので、この数日は別の事をやってみたいと思うし、何もしないまま過ごすというのも休みの過ごし方の一つかもしれない。


 迷っているうちに昼食の時間になってしまいそうだと思っていると後ろから足音が聞こえたため、すぐに後ろを振り返った。


「物思いにふけっているのかと思ったが違うようだな」


 こちらへ歩いてきたクロイドが軽く表情を緩ませてアイリスの隣へと立った。


「何をしようか迷っていたのよ。……どうせなら普段やらないことを楽しみたいじゃない?」


「昼からはユアン先輩達と買い物に行くのだろう?」


「そうなの。だから、お昼までの時間の過ごし方を考えていたのだけれど……。中々思いつかないものね」


 我ながら何と贅沢なことを言っているのだろうと思っているが、隣のクロイドは同意するように頷いてくれた。


「川へ誘おうかと思ったが今はロサリア先輩が魚を獲りに行っているからな。邪魔は出来ないし」


「そうね。それはまた明日にしましょう」


 昨日、言っていた水遊びのことはしっかりと覚えているらしい。

 水遊びが楽しみなんて子どものようだと思われるかもしれないが、これでもかなり楽しみにしているのは彼には秘密である。


「……散歩しないか」


「え? ……散歩?」


「あぁ。この湖の周りを一周するだけだ。小さな湖だからそれほど時間はかからないと思うし」


 確かに昨日、キロルが湖をよく散歩していると言っていたがクロイドもその話を聞いていたのだろうか。


 アイリスはもう一度、視線を湖へと移す。斜面の下に広がる湖は朝日によってきらきらと水面を輝かせていた。


「いいわね。行きましょうか」


 クロイドの方へと向き直ってにこりと笑うと彼はこちらに微笑を返した。





 

 普段でさえ散歩などしたことはなかった。


 最初、ロディアートに来た際もブレアと一緒に街を歩いて色々と教えてもらってからは、必要なものを買いに街へ出かけるくらいで散歩などしたことはない。


 魔物討伐課だった時には街の見回りで歩くことはあっても意識して散歩というものをしたことはなかった。


 昨日、キロルに教えてもらった湖へ続く細道を下り切って、ゆっくりと湖の水際を二人で歩く。


 太陽の光を反射させる水面は思わず目を瞑ってしまいそうな程に眩く、流れる風が静かに水面を揺らしていった。

 

 お互いの歩みの速さがゆっくりになってしまう理由は聞かなくても分かっていた。静かに、穏やかに過ぎていく。

 さっき、自分で時間の過ごし方を悩むことは贅沢だと言っていたが、こうやって自分がずっと傍にいたい人と一緒にいられることも贅沢で幸せなことの一つなのだと思う。


「そういえば……」


 何かを思い出したのかぽつりとクロイドが言葉を口にした。


「ずっと昔に読んだ本に書いてあったんだ。……海は湖よりも広くて果てしなく続いている。その果てしなさの終わりを見つけるために人は航海に出るんだ、って」


 自分もどこかで読んだことのあるような本の一文にアイリスは思いを重ねた。

 空よりも深い青色だと言われている海は想像の中でさえ見た事はない。


「海……。私も見たことないわ」


 このイグノラント王国は他の国々と同じように海に隣接しているのだが、首都であるロディアートは内陸にあるため海が見える場所からはかなり程遠いのだ。


「キロルさんはこの湖は小さな湖だって言っていたけれど、俺からすればかなり広いものだし、これよりも広い海って一体どんなもの何だろうな」


 まるで子どもが疑問に思ったことをつい口にしたような言い方にアイリスは小さく苦笑した。


「いつか、任務で海の近くまで行けるといいわね」


 出張が多い課なので、もしかすると他の先輩達は海を見たことあるかもしれない。それに自分達にも遠くへ出張する機会だってあり得るので、見る機会がないわけではない。


「そうだな。それに任務じゃなくても、お互いの休みを合わせて行けばいいし」


 空いていた右手にそっとクロイドの左手が重ねられて、アイリスは思わず首だけ彼の方へと動かした。

 クロイドは少し目を細めながらアイリスの手を更に強く握りしめてくる。


 誰も周りにいないと分かっているのに、どこか気恥ずかしくなってしまったアイリスはすぐに目を逸らした。それでも歩む速度は変らないままだ。


「……俺は君とこれからも色んなものを見て、感じて生きていきたいと思っている。どんな些細なものでも良いんだ。……俺にとっては全部が特別だから」


 どこか悟ったような彼の言葉に寂しさを覚えたアイリスは握りしめられた手に力を入れた。


「……今この瞬間もあなたにとっては特別だと思えることなの?」


 アイリスの問いかけにクロイドは頷いた。


「…………」


 クロイドにかけられている魔犬の呪いはあと数年で完成してしまうものだ。


 だからこそ、時間がないと分かっている。その上で彼が自分と過ごす日々を特別だと思って過ごしてくれるのは嬉しいことでもあり、どこか寂しい気持ちも沸かせていた。


 二人の約束を諦めているわけではない。それでも彼は全てを特別にしなければ、迫りくる時間に対して惜しむことなく日々を過ごしているように思えたのだ。


 魔犬を倒すという目標を見据えたまま時間だけは過ぎていく。

 目途さえも立っていないのにこんなことを彼に告げるのはとても無責任だと思うが言わずにはいられなかった。


「それなら、私はあなたが特別だって思っていることを普通で当り前のことなんだって思わせられるように頑張るわ」


「特別を当たり前に?」


「もちろん、私にとってもあなたと過ごす時間は特別なものよ? ……でも、特別なものでいっぱい溢れたら、零れ落ちていくものだってあるもの」


 アイリスは一度、湖面へと視線を移した。そこには先程とは変わらず、水面がきらきらと光っているだけだ。この光景さえもクロイドにとっては特別なものになってしまうのだろう。


「だから、こうやって一緒に過ごしていることを凄く当り前な贅沢品だと思わせたいの」


「……中々、難しいな」


 自分でも言っていることが矛盾していると思う。特別ではない当り前なことが、特別だと言っているようなものだから混乱しても仕方ないだろう。


 だが、そう言わなければ彼はきっと自分と過ごした何気ない日々、交わした言葉を全て特別にして持って行ってしまう気がするのだ。


 特別にしてしまったら、彼はそれまでの日々に満足して戻ってこないような気さえした。

 だから、当たり前にしたかった。


 クロイドの隣に自分が居て笑い合って歩くことも当たり前。言い合って喧嘩することも当り前。背中合わせで戦うことも、背中を寄り添うことも当り前。


 全てを当たり前にすればクロイドは迫りくる時間の先に特別だと思えることを見出してくれるのではと勝手に思ってしまったのだ。


「……アイリスは優しいな」


 自分の中に隠している感情を知っているのか、それとも気付いていない上でそう言っているのかは分からない。

 それでも彼は愛おしいものを見るような優しい瞳でアイリスを見ていた。


「俺は全てを特別にしないと……駄目だと思っていた。今、生きていることも君の隣に立っていることも全て……」


 柔らかな風が二人の間を通り過ぎていく。


「でも、君が当たり前だと思っていいと言ってくれるなら、そうするよ。この先にこれ以上の特別なことがあるのだと思いながら生きていく。……それなら良いだろう?」


「……うん」


 繋がられた手に再び力が込められる。どうやら自分の想いは彼にちゃんと伝わっているようだ。


 ……特別を当たり前に。当り前だと思っていることこそが特別。


 まるでどこかの誰かが唱えた哲学のようだとアイリスは自分で思った言葉に溜息を吐く。自分の言葉が彼を無理に縛っていないか不安もあった。


 自分の言葉は決して優しさの塊ではない。これはきっとクロイドを自分の傍から手放したくないという欲が入っているのだ。


 だから言葉で彼を縛ってしまう。どうか、自分の視界から消えてしまわないようにと願いながら。


 自分のことしか考えていない奴だと思われても良い。クロイドが自分の隣に居てくれるなら、何と思われようと構わない。


 ……本当に優しいのはあなたなのに。


 繋がれていた手は次第に指が絡まっていく。

 掌から感じる熱に反応しないわけがない。


 自分がクロイドに向ける感情は他の誰かに向けたものと同じではない特別なものだ。


 復讐しか見据えていなかったこんな自分のことを初めて好きだと言ってくれたクロイドが一番優しいのに彼はそれに気付いていない。


「……そろそろ戻るか」


 いつのまにか湖を一周し切ることに気付いたアイリスは顔を上げた。


「……そうね」


 繋がっていた手は誰かに見られないようにそっと離れていく。


「…………」


 離れていく瞬間、アイリスはクロイドを呼び止めた。


「――クロイド」


 彼がゆっくりとこちらへ振り向く。


「……また、一緒に散歩してくれる?」


 それは決して特別なものではないかもしれない。

 だが、当たり前と呼ぶにはまだ程遠い。


「あぁ、もちろんだ」


 いつもと同じ笑顔で彼は穏やかに答えてくれる。


「……やっぱり、あなたは優しいわ」


「え? 何だって?」


「ううん、何でもない。……紅茶を淹れるから一緒に一休みしない? キロルさんにここの産地のお茶を教えてもらったの」


 アイリスの誘いにクロイドはふっと表情を緩めて頷いてくれた。

 それでもお互いの歩く速さに合わせた歩幅は変らないまま、ゆっくりと歩を進めていた。


   

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