表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/782

習得

 

 細身の男が記憶を操作するための呪文を唱えようと深呼吸した時だ。


「――うがぁっ!」


 この部屋の扉の向こう側に居た大男が鈍い声を上げて飛び込んできたのだ。


 いや、正確に言えば吹き飛ばされたといった表現が正しいだろう。大男と一緒に吹き飛ばされたのか、扉だったものは原型が分からないくらいにその場に砕けていた。


 アイリスに余裕の笑みを見せていた男達は突然の大きな音に驚いたのか、部屋の中へと吹き飛んできた大男の方へと勢いよく振り返った。


「な、何だっ⁉」


「おい、グランツ! 大丈夫か⁉」


 吹き飛ばされて来た大男は気絶しているらしく、男達の問いかけに反応を示す事はなかった。


「……?」


 アイリスさえも何が起きたのか現状を把握することが出来ていなかった。しかし、身体を動かすことは出来ないので、扉の向こう側へと視線だけを向ける。


「――神聖なる慈雨(ホーリネスト・レヴェ)


 扉の入口の向こう側に佇む影が右手をこちらへとかざし、そしてアイリスに向けて一言だけ放つ。


 低い声だ。

 だが、その言葉ははっきりとしており、アイリスはそれが意味のある言葉だと瞬時に理解していた。


 低い声が発せられた方向から、水の塊が突如として出現し、水鉄砲のようにアイリスに襲い掛かる。


 ……これは。


 突然の放水によって、全身が濡れてもアイリスは嫌な顔をせずにただ、それを受け止めていた。これは恵みの水だと理解していたからだ。

 

 冷たい水なのに、温かい気持ちになるのは、きっとこの魔法を放った者の心遣いが身体に染み込んでいくからだろう。

 そして、身体に少しずつ自由が戻った事を実感するように、アイリスは両手を握っては開く。


「……よく知っていたわね」


 アイリスは濡れた髪を少しだけ手で水を切ってから、立ち上がる。視線を扉の方に向ければ、少し安堵したような表情のクロイドが立っていた。

 先程の大男もクロイドが魔法を使って気絶させたのだろう。


 ……全く、いつの間に使えるようになっていたのよ。


 こんな状況なのについ笑みがこぼれてしまったアイリスに、クロイドは肩を竦めて答える。


「君から借りていた本に載っていたからな。……助けるのが遅くなってすまない。会話は聞こえていたんだが、思いのほか魔法の発動の仕方に手間取ってな」


 今、自分に降り注がれた水は紛れもない魔法で生み出した聖水だ。


 恐らく空気中の水分を魔法で聖なる物へと変える魔法を行い、聖水を編み出したのだ。

 また、清められた聖水を石になっている者にかけると石化の魔法が解けるものがある。その魔法がどうやら動き封じの魔法にも効いたらしい。


 一度に二種類の魔法を組み入れた混合魔法はそれなりに難しい魔法のはずだが、クロイドは涼しげな顔をしているだけだ。やはり彼には魔法を自由に扱える素質があるのだ。


 クロイドのおかげで完全に自由を取り戻したアイリスはゆっくりと立ち上がり、動揺している二人の男を冷めた瞳ですっと見据えた。


「な……⁉ どうして動けるんだっ⁉」


 驚きの瞳がアイリスに向けられていたが、アイリスは男達の言葉に答えず、クロイドの方へと視線を向ける。

 

「助かったわ。……あとは私に任せて頂戴」


 静かな流れだった。

 空気が冷めたように張り詰めていく。


 アイリスは戦う前のこの瞬間に、心地良ささえ感じていた。


「……こいつ等なんて、私の剣の錆びにするには勿体無いわ」


 アイリスは疾風の靴(ラファル・ブーツ)の踵を三回鳴らして左足で床を思いっきりに蹴った。ふわりとアイリスの身体は空中へと舞い上がる。

 その一瞬を強盗団の男達二人は何が起きたのかと問うような瞳で見つめつつ、石のように固まっていた。


 だがその直後、猪が塀にぶつかったような鈍い音と共に、男の一人が床へと盛大に倒れた。空中へと飛んだアイリスの右膝を顔面へと食らったことで、彼はそのまま先程の大男同様に気絶したのである。


「……私とあなた達が同じ? ふざけたことを言うのね」


 瞳を鋭く光らせ、獲物の急所を狙う獣のようにゆっくりと近づいてくるアイリスに対して、細身の男は初めて恐怖というものを感じたと言わんばかりに、一歩ずつ後ろへと下がってはその身を震わせていた。


「私はあなた達とは違う。私は私よ。魔力無し(ウィザウト)だろうが、何だろうが私は絶対に自分の居場所を見失ったりしないわ」


 アイリスの言葉に、細身の男は後ろへ下がる足を止めて、どこか自嘲的な笑みを浮かべ始める。


「……君には居場所があるというのかい?」


「あるわ。……自分が間違った事をしたら、それを違うと言ってくれる人が居る。自分を正しい道へと戻してくれる人が居る。それが私とあなた達の違いよ!」


 はっきりとした声色でアイリスが宣言するようにそう告げると、細身の男の表情がそれまでとは別物になった気がした。

 しかし、アイリスは男の表情にお構いなく、一発で決めるために右足に力を込める。


「……羨ましいね」


 アイリスが細身の男に回し蹴りをした瞬間、男は何も対抗しないまま、素直にアイリスの蹴りを受け止めたように見えた。

 鈍い音とともに細身の男は少しだけ寂しそうな顔でその場に倒れたが、アイリスはそれを軽く一瞥しただけで、すぐに視線をクロイドの方へと戻した。


「……死んではいないんだよな」


 全てが終わったことを確認するように、クロイドが倒れている男3人を見下ろしながら呟く。


「当たり前よ。私がそんな失敗をすると思う? この人達を捕まえて法を下すのは魔的審査課の役目よ。私たちはあくまで魔具回収だけ」


 そう言ってアイリスは倒れている男達が身に付けていた魔具を遠慮する事無く次々と剥ぎ取っては回収していく。


「これだけの魔具を集めるなんて相当な数の犯罪に手を染めているでしょうね」


「……そうだな」


 アイリスが呆れたようにそう告げると、隣に立っていたクロイドは少し思い詰めたような表情で言葉を返してきた。


「……どうしたの? まさか、自分もこうなるかもしれないと思っているの?」


「一歩、間違えればな」


「大丈夫よ」


 転がっていた愛用の剣を拾い上げて、手持ちの布で軽く刃を拭いてからアイリスは鞘に収めた。


「あなたが道を踏み外しそうになったら、私が強制的に正しい道に戻してあげるわよ」


 にこりと年相応の表情で笑うアイリスにクロイドは一瞬、目を瞬かせた後、苦笑しつつ溜息を吐いた。


「……そいつは頼もしいな」


 そうは言いつつもクロイドは良心と優しさを備えた人間であるので、目の前に倒れている男達のようになることはないだろうとアイリスは密かに思っていた。


「さて回収も済んだし、後は魔的審査課に連絡してこの人達を引き取ってもらいましょう。とりあえず魔法課にも回収した魔具を届けに行かないとね。……あ、その前に」


 くるりと身体の向きを変えてアイリスはクロイドを真っすぐに見つめた。クロイドは笑顔のままのアイリスに対して、どうしたんだと言うように首を傾げている。


「魔法、使えるようになったのね」


「……借りた本の通りにしたまでだ」


「普通の人は本を読んでから、覚えたばかりの魔法をすぐに実戦の最中には使えないと思うわ。あなたには才能があるのよ。魔法使いとしての才能がね」


 まるで自分の事のようにアイリスが嬉しそうに笑ったのに対して、クロイドは何故か気まずいものを見たような表情をしていた。

 もしかすると、クロイドのこの表情は照れているのかもしれないと思ったが、アイリスはあえて指摘するようなことはしなかった。


「……まだ全部を読み終わっていないけどな」


「ゆっくり読んでいいから。あ、魔法を使う時の媒体は何にしたの?」


 アイリスは何気なく聞いてみる。

 魔法というものは自身の内なる力である魔力を媒体となる魔具に注ぐことによって、具現化されるものだ。


 魔具の種類は豊富で、杖や指輪、剣だったりと様々なものがあるため、その中から自分の魔力に合うものを見つけることが、一人前の魔法使いとしての一歩とされていた。


 しかし、任務前のクロイドは媒体になりそうな魔具などは持っていなかったはずだが。


 アイリスの言いたいことが分かっているのか、クロイドは気まずそうに一度目を逸らしてから、何かを決心したように、アイリスの目の前へと両手をすっと出してきたのだ。


「え?」


「……」


 何をするつもりなのかとアイリスが様子を窺っていると、クロイドの顔が少しだけ歪んだ。

 その瞬間、クロイドの細い両手は一瞬で黒いものへと化し、長い爪のように指先が鋭く尖ったのである。その手はまるで、黒曜石を纏っているようなものへと変わっていた。


「……魔法を使いたいとそう念じたらこうなったんだ。……やはり気持ち悪いだろうか」


「え? どうして?」


 暗い顔のまま、低い声で呟くクロイドとは違い、アイリスはけろりとした表情で首を傾げる。


「どうして、って……。犬に変身したり、手だけ魔物みたいに変化する奴は普通、気持ち悪いと思うだろう……」


「そうかしら? 私はそうは思わないけれど……。むしろ自らの身体を媒体にして魔法が使えるなんて、稀なことだし凄いと思うけれど? あ、でも魔法を発動させる時に、身体にそれなりの負担がかかることがあるかもしれないわね。一度、詳しく調べてもらった方がいいのかしら……?」


 クロイドの呪いを大した事は無いと思っているようなアイリスの口ぶりに対して、拍子抜けしたのか彼は強張っていた肩を下ろした。その表情もどこか安堵しているように見える。


 まだ、クロイドの呪いのことを詳しく話してもらっているわけではないが、アイリスは彼の呪いのことを怖いとか、気持ち悪いなどと感じたことはなかった。


 むしろ、彼が抱えるものを少しでも分けて貰えた方が、クロイドの気が楽になるのではと思っている。もちろん、彼から話してくれるまで、自ら訊ねる気はないが。


「それよりも魔法が使えるようになったのだから、魔法使用の資格を取らないといけないわね」


「資格?」


「ええ。魔法を使用することにも許可が必要で、その資格を得るためには試験を受けなければならないの。魔法の知識と実技、そして心的判断の三つが試験内容なんだけれど、最近は厳しくなっているらしいわ。確か次の試験日は来週の日曜だからそれまでに勉強しないとね」


「……全く、アイリスらしいよ」


 どれから勉強しようかと計画を立て始めるアイリスを見て、緊張の糸が解けたようにクロイドの表情は一瞬だけ変わった。


 それは世間一般に言う微笑みのように見えたのだ。


 ……想像していたよりも、あなたは優しく笑うのね。


 アイリスがクロイドの顔を凝視していることに気付いたのか、彼は気まずげに視線を横へと逸らした。どうやらクロイドはあまり笑うところを見られたくはないらしい。


「……とりあえず一度、報告をしに本部へ戻ろう」


「そうね」


 クロイドに返事をしつつ、アイリスは部屋から出る前にもう一度だけ、気絶して横たわっている男達を細めた瞳で見つめた。


「……あなた達も全てを償えば戻れるのよ」


 それだけ呟くとゆっくりと、だが足取りはしっかりとしたもので部屋の外に向けて歩き出す。


 立ち止まる事は自分が許さない。

 たった一つのその願いのためには。

   

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ