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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
安らぎの暇編
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温泉


 夕食後はさっそく温泉に入ろうということになり、アイリス達はキロルから借りた水浴び用の大きな布と身体を拭く用のタオル、そして自分の着替えを持ちつつリッツ邸の裏にある温泉へとやって来た。


 キロルによって作られた温泉はこちらが思っていたよりもかなり広く、一部屋分の広さの温泉が二種類あるらしい。

 何でも温泉を作る上でキロルは東方の国の温泉に関する文献を調べて、模倣したというのだから彼のこだわりに対するその熱意には口がぽっかりと開くばかりだ。


 そして何故二種類かと言うと、一つはキロルが薬草を調合した混ぜたものを入れており、もう一つは東方の国を真似て桃の生葉を煮だした煮汁を温泉の中に混ぜているらしい。


 何でも桃の生葉には解熱作用が含まれているらしく、少し暑い今の時期だからこそ桃の生葉を選んだキロルの気遣いが窺えた。


 キロルいわく、温泉が二種類あるので日替わりで入っていると何とも贅沢なことを言っていたが、かなり掃除や管理が大変だと思えるのに彼からはそんなことを微塵も感じられなかった。


 以前までは仕切りのようなものがなかったので今回、大急ぎで二つの温泉を隔てる木製の仕切りを立てた理由は聞くまでもなく、男女分かれて気兼ねなく入れるようにするためだろう。




 温泉を囲むように長く続く木製の壁に扉が設置されており、扉を開けばあとは温泉に入るだけだ。

 長い髪を一つに結い上げ、温泉に浸かる状態を済ませたアイリスはふっと息を吐く。


 ……緊張するわね。


 水浴び用の布を巻いているとは言え、普段は人前で服を脱ぐどころか、一緒に湯を浴びることはない。


 教団のシャワー室でさえ個室になっているので、誰かと一緒に湯を浴びるということは初めてなのだ。 つまり、正直に言って何だか恥ずかしいということで――。


「よっしゃ、お先ー!」


 そう言って、アイリスの横をさっと通っていったのはナシルである。彼女は何も気にすることなく、水浴び用の大きな布を身体に巻いて、豪快に扉を開ける。


 その瞬間扉の向こう側からふわりと湯気がこちら側へと入ってきてその場を白い空気で染めていく。


「おぉ、これが温泉ってやつかー」


 ナシルは満足げにその場をゆっくりと見渡している。湯気が濃いのでこちらからではよく見えなかった。


「ナシル先輩、走ると危ないです。ここ、大きい石で温泉全体を囲っているらしいので、滑って転んだら大変だってキロルさんも言っていました」


 すっとロサリアがナシルに続くように扉の向こう側へと行ってしまう。


「…………」


 扉の向こう側には自分の知らないものがある。それを知るには少しだけ勇気が必要なのだ。

 きゅっと胸の辺りに握った手を添えつつ、深呼吸してみる。


「どうしたの、アイリスちゃん」


 最後に着替え終わったユアンが髪を一つにまとめつつ、こちらを窺ってきた。


「あっ……。えっと……」


 躊躇しているなんて知られたら少し恥ずかしい気もする。アイリスが返答に迷っているとユアンはにこりと笑った。


「大丈夫よ~。私達だって温泉は初めてだもの。キロルさんが言うには一度、温泉に入ったらはまってしまうらしいわ。その心地よさは天まで届くような感覚なんですって~」


 ユアンに背中を押されながらアイリスは一歩、扉の向こう側へと入った。


「わっ、あの……ユアン先輩……」


「はい、到着~」


 ぶわりと先程よりも濃い湯気が身体全体を包み込んでいく。普通のシャワーとは違うその湯気の濃さにアイリスは思わず息を飲み込んだ。


 大きめの石で囲まれている温泉の湯気は止まることなく白く温かいものを出し続けている。

 湯気は空へと迷うことなくゆったりと上っていった。


「ぶっはー……。これは最高だなぁー」


「……なるほど、これが温泉」


 さっそく湯の中に入っているナシルとロサリアは大きい石を背にしながら、深い息を吐きつつ目を薄く瞑っている。

 先輩達の迷いなく進むところは自分も見習いたい限りだ。


「はい、アイリスちゃん。お湯をかけてあげる」


「えっ……。わ……」


 ユアンが木桶で掬ったお湯をアイリスの身体にかけていく。

 その温かさが水の塊となって襲ってくる感覚が不思議でたまらなかった。


「何でも、東方の国では一度お湯を身体にかけてから温泉に入るらしいわ」


「そうなんですか……」


「ほら、一緒に入りましょう。大丈夫よ~。ゆっくりとね」


 お湯をかけてもらったアイリスは温泉の中へとゆっくりと足先を浸けていく。


「……温かい」


「そりゃあ、温泉だからなぁ」


 のんびりと息を吐くようにナシルが答えた。


「…………」


 ゆっくりと足先からお湯の中へと浸けていき、そしてとうとう肩まで浸かってしまった。

 一斉に温かさが自分の身体を隙間なく埋めていく。


「ふぁ……。これは……うん、まさに天に昇る心地だわ……」


 隣のユアンが満足げに表情を緩めている。


「……何だか不思議です」


 初めての感覚にアイリスは戸惑っていた。

 身体の隅々までゆっくりと温まっていく感覚は普段なら味わう機会なんてないため、何と表現すればいいのか分からなかった。


 ただ、一言で言うならば溜息が出る程に気持ち良い。


「……そういえば、ナシル先輩。今日はあまりお酒を飲まれていませんね」


 ふっと思い出したようにユアンが訊ねるとナシルはにやりと笑った。さすがに湯気で曇るため、眼鏡はかけていないようだ。


「ふっふっふ。実は事前にキロルさんから温泉を楽しむならお酒を飲み過ぎない方が良いって言われたのだよ。……何でも血行がよくなって酔いの回りが早くなるらしいからなぁ」


 どうやらナシルは先にキロルから温泉とお酒の相性について色々と聞いていたらしい。

 そして、今回は温泉に入りたいという欲望の方が勝ったというべきか。


「温泉、凄く良い。教団にも作って欲しい……」


 ぼそりと呟かれるロサリアの言葉に一同は首を縦に振る。


 一度入ったら、はまってしまうという言葉を理解してしまったあとではもう、何を言われても温泉は素晴らしいとしか言いようがない。


 今は温かい時期だが、寒い季節に温泉に入れば今以上に気持ち良いものになるだろう。


「でも、まさか温泉まで作ってしまうとは……。キロルさんは何かと運が良い上に手先が器用だからなぁ」


「前、魔具調査課にいた時のキロルさんも今と同じような感じだったんですか?」


 何となくアイリスが聞いてみるとナシルとロサリアは同時に頷いた。


「まぁ、言わずもがなあの人の凝り性は教団では有名だったよ」


「魔具調査課は変人揃いって噂もあの人を含めて、という意味だったよ」


「おい、待て、ロサリア。まさかその変人に私も含んでいないだろうな」


「…………」


 ナシルの問いかけにロサリアは無視して、すいっと更に温泉の奥へと身体を進めていく。

 アイリスとユアンは苦笑しつつ、話の続きを進めた。


「……凝り性で有名って、何かしていたんですか?」


「ん? あぁ、そうなんだよ。あの人はあらゆる分野で才能が発揮できる人だったからさ。魔法課よりも新しい魔法の創作は上手いし、魔具だって簡単に作れてしまう。おまけに戦闘能力だって高いし、治癒魔法だって得意だ」


 ナシルは星が浮かぶ空を見上げながら懐かしそうに呟いた。


「いわゆる万能型ってやつだな。でもキロルさんはその上をさらに行っていた。どんな物事も追求しまくって、他の課が得意とするものを越えてしまう。……だからこそ、変人扱いされたり、妬まれたりしていたんだろうが、吐かれる言葉さえもどこ吹く風で自分のやりたいことに没頭しまくっていた」


「それは何というか……」


「良い意味で器用な人だったんですね……」


「まぁ、キロルさんのおかげで私とミカも魔具が作れるようになったし、ヴィルだって目利きとしての才能が磨かれていったようなもんだから、私達はあの人に感謝しかないんだけどねぇ」


 ふっと見るとナシルとユアンの頬は赤く染まっていた。温泉によって身体が温まっている証拠だ。

 もしかすると自分も同じように頬が紅潮しているのかもしれない。




「――うおっ、すげぇ!」


 突如、木製の仕切りの向こう側から聞こえたのはレイクの声だった。


「あぁ、レイク。気を付けないと滑るよ……」


 セルディの声も聞こえてくる。男性陣が仕切り向こうにある温泉へと入ってきたようだ。


 別に見えているわけではないのに何となく緊張してしまう。

 はしゃぐ声は誰のものか曇ってよく聞こえなくなったが、恐らくクロイドもその中に混じっているのだろう。


「やれやれ。初めてのことにはしゃぐのは誰でも同じようだな」


「レイクもまだまだ子どもですからねぇ」


 同意するようにナシルの言葉にユアンも頷いている。


 呟きさえも湯気と一緒に消えてしまうような気がして、アイリスは耳を澄ませながら肩よりも深く身体を湯へと浸け直した。


   

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