寝たふり
山のようにあった肉と野菜はすっかり食べきってしまったため、宴はお開きとなった。今は片付けの最中で、皿を洗う者と片付けをする者で分かれて作業していた。
しかし、宴の余韻を楽しむように先程から長椅子の上でブレアは空瓶を両手に抱えつつ横になっている。
一定の寝息を奏でているブレアの前にキロルが腰を下ろした。
「……やはり、寝たか」
苦笑しながらキロルがブレアの上に自分の着ていた上着をそっと掛ける。
「あの飲み方ならすぐに寝るだろうと思っていたが……」
「……キロルさんも同じ量を飲んでいたのに全然顔色が変わりませんね」
大きな台の上の片付けをしつつアイリスが訊ねると彼は小さくはにかんだ。
「まぁ、自分で言うのは恥ずかしいがこう見えて酒には強いんだ」
自分で言わなくても見ていれば分かる。酒豪であるブレア以上のお酒の量が彼の身体の中に入ったのだから驚くばかりだ。
「……昔のブレアなら人前で寝ようなんてことはしなかっただろうな」
「え?」
台を台拭きで拭き終えたアイリスはキロルの方へと振り返った。彼はとても穏やかな表情でその瞳にブレアの姿を映しているようだった。
「安心しきっているんだろうな、君達に。……良い事だ」
まるでブレアの昔を知るような口ぶりにアイリスは思わず何かを訊ねようとした、その時だった。
「――キロルさーん。余ったお酒ってどこに保管すればいいのー?」
家の中からのんびりとしたミカの声が響き、キロルはそちらへとすぐに振り返ってしまう。
「あぁ、そうだった。分かりにくいと思うが、台所の床に扉があるんだ。そこに……」
次第に遠ざかっていくキロルの背中をアイリスは視線だけで追いつつ、聞き損ねたことに対して溜息を吐く。
……ブレアさんの昔を知っている人、か。
正直に言えば、ブレアと出会う前の彼女の事は自分もよく知らないでいた。あまり過去を詮索されたくないという人もいるので、ブレアもそれに当てはまるかもしれないからだ。
剣が強く、面倒見がいい姉御肌。
しかし、時折彼女の昔からの知り合いだと思われる他の課の人間から何か言われた際には気に食わなさそうに表情をよく歪めている。もちろん、不機嫌だからといって部下である自分達に当たり散らすなんてことはしない。
ただ――何を考えているのかがよく分からないので声がかけられないのだ。
……キロルさんならブレアさんの昔のことを知っているのかしら。
自分の剣の師匠でもあり、保護者である。しかし、知られたくないと思っているのであれば、無理に聞こうとは思っていなかった。
「――ブレアさん、結局寝たのか」
クロイドの声が聞こえて、アイリスはブレアから視線を外した。
「声をかけても中々起きなくって……。今の時期なら夜は涼しいだけだから風邪は引かないと思うけれど、もう少し経っても起きないなら部屋に運ばなきゃ……」
アイリスが組み立て式の台を片付けようとしているとクロイドも手伝ってくれるらしく、もう一台の台を片付けてくれていた。
「……ブレアさん、無理しているのかしら」
ふと、もらした呟きにクロイドが動かしていた手を止める。
「ブレアさんってね、史上最年少で魔具調査課の課長になったの」
2年程前のことだった。
元々魔物討伐課に属していたブレアがどういう経緯で魔具調査課の課長に任じられたのかは知らないが、それでもその時の周囲のざわめきは大きかったと聞いている。
ブレアの歳で若くして課長という任に就くことはかなり珍しく、他でも例があまりないことから課長という地位に憧れる者からの妬みや恨みを買うこともあったらしい。
「そうだったのか……。でも、どこか貫禄があるよな」
クロイドの言葉にアイリスは小さく頷く。
「だからこそ……無理していないのかなって思って。仕事だって忙しいのに、私達のことをいつも気にかけてくれるでしょう? ……ブルゴレッド家のことだってずっと迷惑をかけていたし」
気負う日々ではなかったのではないだろうかと思ってしまう自分がいた。
魔犬によって家族を失ってからはブレアがずっと親代わりだった。苦労したことや頼り過ぎた面だって多くあったはずなのに、ブレアはそれを表には出さずにずっと自分を見守ってくれていた。
「……俺は、ブレアさんはそういう人なんだって思っている」
「……どういうこと?」
片付け終えた台を家の壁に立て掛けてクロイドはこちらを振り返った。
「この人はそうやって抱え込んで、自分の手で守りたい人なんだ。……手放してはいけないと思っているからこそ、色々と抱え込むのかもしれない」
「…………」
アイリスは口を大きく開けて寝ているブレアに視線を向ける。
「俺とアイリスのことだって、そうだ。誰かの手に負えるようなことじゃないと分かっているのに……ブレアさんはきっと俺達のことを見捨てたりなんて出来ないから、手元に置いているんだ」
思わず、唇を噛み締めていた。ブレアは決して優しい言葉だけを投げかけてくる人間ではない。
だが、言葉にしない優しさで包み込んでくる人なのだ。
魔犬を討つという目標を持っている自分達を馬鹿にせずに、ただ静かに見守ってくれている。諦めない自分達を諦めないでいてくれる。
それだけでどれほど心強いことなのか自分達はまだブレアに伝えられていない。
「……ブレアさん、この休暇でたくさん楽しんで休んでくれるといいわね」
「そうだな」
そして、何事もなかったように元気に自分達に任務を言い渡す姿を想像してアイリスは穏やかに目を細めた。
「それじゃあ、ゆっくりと休めるように残りの片付けもさっさと終わらせるか」
「えぇ。……あ、この台は馬小屋の隣の小屋にしまっておいて欲しいってキロルさんに言われたの」
「一台ずつ運べるか?」
「平気よ、このくらい……」
苦笑しつつアイリスとクロイドはそれぞれ台を抱えて小屋の方へと歩いて行った。
「……起きているんだろう、ブレア」
一声、かけられたブレアはぱちりと目を開く。しかし、身体を動かすことはせずに声がした方に視線だけを動かした。1メートル後方にキロルがいて、小さく溜息を吐きつつこちらを見ている。
「いや、クロイドが来る前までは寝ていたさ。……あいつの魔力は独特だからな」
「……寝たふりして部下の話を盗み聞きかい? 趣味が悪いねぇ」
「キロルさんには言われたくないな。あなただって彼らがさっき話していたことを聞いていただろうに」
「聞こえてしまったのだから仕方がないさ」
「全く、あなたも人が悪い……」
ブレアはふっと笑って、そのまま空を見上げた。すっかり夜色へと染まった空には無数の星が瞬いている。
「……それで? ブレアは無理をしているのかい? 可愛い部下達から心配されているようだが」
確かめるというよりも、試しているように聞こえる言葉にブレアは短く息を吐いた。
「――していないさ」
偽りではない言葉だ。
「ただ私は物好きなだけで、心配される要素など何一つない。……まぁ、身を案じられることは悪い気分じゃないけどな」
「……変わったなぁ」
驚いたようにキロルがそう言ったので、ブレアは横になったままで肩をわざとすくめてみせる。
「私が変わったと思うのなら、それは多分……あいつらのおかげなんだろうな」
目を閉じても、視界に映っていた星空が浮かんでくる。
「守らなきゃいけない。そう思っていたのに……守っていたら、手放せなくなったんだ」
「……二人とも話に聞いていた通り、素直で真面目そうだしねぇ。可愛い弟子が出来て、それが手放しにくいと思えるようになるとは……私としても感慨深いよ」
「……感慨深くなるような歳じゃないでしょう、キロルさん」
「だって、そうだろう? 昔の君は――剣よりも尖っていた」
その言葉に表情をわざとらしく歪めるとキロルは顔に似合わない表情のままで軽く舌をちらりと見せる。
「昔の話はよしてくれ」
「……そうだな。今更だからな」
だが、とキロルは家の中へと入って行く前に付け加える。
「兄弟子である私としては今の君を見ていると嬉しい限りだよ、ブレア」
「…………」
それだけを言い残してキロルは家の中へと戻っていく。まだ片付けは全部済んでいないのか、家の中からは誰かの声が行き交っている。
「……剣よりも尖っていた、か」
昔の自分を小さく笑って、ブレアはもう一度目を閉じる。
聞こえてくるのはこちらに向かってくる足音が二つ。先程、片付けをしていたアイリスとクロイドのものだとすぐに分かってしまうのは聞きなれているからだろう。
まるでずっと前からそうだったかのように揃えられた足音を耳にしたブレアは気付かれないように静かな笑みを浮かべつつ、寝たふりを続行した。




