酒瓶
「ははっ……。それで結局はロサリアが全員分の魚を獲ってきたと」
全ての準備が整え終わったのか先程までは何もなかったリッツ邸の前には煉瓦が数段積まれた作業場らしきものが出来ていた。
よく見ると四方に煉瓦を積んでいるのではなく、一か所だけ煉瓦が積まれていない箇所があり、そこは一つの空間になっていた。
どうやら囲うように作られたこの簡易暖炉らしきものの中に薪を置いて、薪を燃やすことで積まれた煉瓦の上に敷いてある鉄板を温めるのだと思われる。
キロルは薪を燃やしてその火の大きさの調整をしているようだ。
「まぁ、これで全員分の魚は揃いましたよ。今は台所をお借りしてセルディとクロイドが魚の内蔵を取ってくれています」
ナシルは溜息を吐きつつ、追加分の薪を煉瓦のすぐ傍へと置いた。
アイリスは二人の会話を何となく聞きつつ、台の上に人数分の皿やフォークを用意していた。
「他の下ごしらえはこっちで終わらせているからね。あとは魚と――」
「はぁ……疲れた……。せっかくの休みなのにこんなに働かされるとは思っていなかったよ」
ブレアが家の中から大きな皿を持って出て来た。
「とりあえず、野菜は切り終えたよ」
準備されている大きな台の上に切られた野菜の盛られた皿を置いて、ブレアは肩をゆっくりと回した。
「ありがとう、ブレア。……切るのだけは上手いんだけどねぇ」
キロルが綺麗に盛られている野菜を見ながら、ぼそりと呟くとブレアは顔を顰めて見せた。
「どうせ寮住みだから料理する必要なんてないんだ。上手くなくてもいいだろう」
やはり、自分と同じようにブレアは剣一筋だった人なので料理は昔から変わらず苦手だったようだ。アイリスはそんな自分の剣の師匠が口を尖らせる表情を見て小さく苦笑した。
「それに切ることに関しては魔物討伐課の奴に負ける気がしないからな」
にやりと黒い笑みを見せるブレアにキロルは肩をすくめてみせる。
「あまり喧嘩ばかりすると疲れてしまうよ。……よし、このくらいでいいかな」
そう言って立ち上がったキロルの額には汗が薄っすらと浮かんでいるように見えた。かなり近くで火を扱っていたので熱かったに違いない。
それでも決して魔法は使わずにマッチや古い新聞紙だけを使っていたのは彼なりのこだわりなのだろう。
「キロルさーん、お酒と他の飲み物もそっちに運んでいいですかー?」
遠くからユアンの声が聞こえてキロルはそちらへと振り返る。
「あぁ、頼むよ」
「あ、私も手伝ってきますね」
自分のやることを終えたアイリスはユアンのした声の方へと少し早足で駆けていく。
井戸の前にはユアンだけではなく、レイクとミカもいた。つまり、そのくらいの人数でなければ運びきれない量があるらしい。
「あら、アイリスちゃんも手伝ってくれるの? ありがとう~」
ちらりとユアンの足元を見やると横幅の大きな木桶に水が張ってあり、その中に飲み物が冷やされていたのだが、この木桶一つだけではなくなんと3つもあったのだ。
冷やされている酒瓶の数を数えようとしたが諦めてしまうほどの量があったため、アイリスは数えることを断念した。
「こんなに大量のお酒を……飲むのかあの人達は……」
「あ、言っておくけど、一番の酒豪はキロルさんだよ。あの人、ロサリア以上の酒豪だから。酔わない上に二日酔いもしないし、さらに延々とお酒の味を楽しめるらしいよ」
顔を青ざめながら大量の酒瓶を見つめるレイクに対してミカはさらりと被せるように呟いた。
「何で魔具調査課はお酒が好きな人が多いのかなぁ……。俺はコーヒーとかの方が好きなんだけど」
「ミカ先輩、お酒嫌いなんですか?」
「んー。あんまり得意じゃないかなぁ。一口ですぐ酔っちゃうんだよねぇ。……んぐっ……。あー、やっぱり持てないや」
木桶のふちを掴もうとしたのだがやはり重いらしくミカはすぐに運ぶことを諦めていた。
「この量を一気に運ぶのは無理だよ。少しずつ向こうに運ぶか……」
「そうですね。それならまず、水を張った木桶だけ運んで……」
アイリスとユアンは一つの木桶から酒瓶を次々と別の木桶へと移して、中身を空っぽにする。
「水も換えるぞー」
井戸からくみ上げた水をレイクが空っぽの木桶に足していった。
「わっ……。ちょっと、レイク! 気を付けなさいよ! 水が飛んだじゃない!」
「そりゃあ、悪かったな」
レイクによって注がれた水を指先で触るとひんやりとしていた。これなら飲み物も十分に冷えるだろう。
「よし、じゃあ次にこの木桶を運ぶわよ。……アイリスちゃん、一緒に運んでくれる?」
「はい」
「おい、どうしてそこは俺じゃないんだ」
「だって、レイクと運んだら身長差が出来るから運びにくいんだもの~」
「俺とアイリスの身長、そんなに変わらないだろうがっ!」
「はいはい。……それじゃあ宜しくね、アイリスちゃん。あ、ミカ先輩は両手で持てる分の酒瓶を運んできてくださいね~」
「はいよー」
「おい、ユアン! 無視するな!」
ユアンはレイクの言葉を無視してそのまま一緒に水の入った木桶を抱え上げる。
「あら、意外と重いわね。大丈夫?」
「はい、このくらいなら……」
水を零さないように気を付けながらアイリスはユアンの歩く速さに合わせつつ、キロル達の元へと木桶を運んで行った。
すると丁度そこに魚の下ごしらえを終えたクロイドとセルディがやって来る。
「……随分と大きな木桶だね」
下ごしらえが済まされた魚が載った皿を台の上に置いて、セルディは大きな木桶に目を見張る。
「この中に酒瓶を冷やしておくんですよ。今、レイク達が酒瓶だけ運んできています。……はい、降ろすから気を付けてね……」
ユアンの合図とともにアイリスは重たい木桶をその場にゆっくりと降ろした。
「ふぅ……」
無事に木桶を運ぶことが出来たことに対して思わず安堵の溜息が出てしまう。
「手伝うよ」
クロイドがいつの間にか隣に来ていた。
「そっちはもう終わったの?」
「あぁ」
あの量の酒瓶を全てこちらに運ばなければならないとなると、やはり人手は欲しいのでアイリスはクロイドの厚意に甘えることにした。
井戸の近くへ戻るとミカは青白い顔をしながら酒瓶を二本両手に持って運んでいる。どうやらその二本が彼の限界らしく、足取りもふらふらとしておぼつかない。
「あ……アイリス、クロイド。良い所に……。助けて……」
震える声でミカがこちらにゆっくりと身体を向けてくる。
「無理……。手が震える……。酒瓶落としそう……」
アイリスとクロイドが顔を見合わせてすぐにミカから酒瓶を受け取ろうとした時だ。
「――駄目だ。ミカ、ちゃんとこっちまで自分で運んで来い」
アイリス達の背後から鋭いナシルの声が聞こえて、ミカは何とも悔しそうに表情を歪める。
「何でだよぅ。本当に腕が限界なんだって……」
「酒瓶二本くらい運べるようになるんだな。筋肉を鍛えるちょうどいい機会じゃないか」
「俺の筋肉は俺のものだから、ナシルには関係ないだろー……」
何とも情けない顔でミカはこちらに訴えてくるがナシルの方を振り向くと首を横に振られてしまう。
「……二人とも、放っておいていいから。それよりも別の酒瓶を運んできてくれ」
「えぇー……。ナシル、酷い……」
「はい、つべこべ言わない! さっさと運ぶ! あと5メートルくらいだぞ」
どうやら手伝うことは許されないようだ。アイリスとクロイドは同情的な瞳をミカに向けたまま一礼し、心苦しくもその場を立ち去ることにした。
背後からはミカの呻き声が聞こえたがそれは次第に遠ざかっていく。
「……何でナシル先輩はミカ先輩を鍛えようとしているんだ?」
早足で隣を歩いていたクロイドがアイリスだけに聞こえる声量で訊ねて来た。
「ユアン先輩からこっそりと聞いたんだけれどね。前、先輩達って魔法課の地下室で管理されている魔具の目録を作っていたでしょう?」
「あぁ、そういえばそうだったな」
「あの時、ミカ先輩が重い魔具を持とうとしたらそのまま後ろにひっくり返っちゃったんですって」
「…………」
何となく想像が出来たのかクロイドの表情が難しいものへと変わった。
「魔具は無事だったけれど、ミカ先輩は頭を軽く打って気絶したらしいの。その後は特に異常はなかったらしいけれど、それからは口癖のように鍛えておけばこんなことにならなかったのにって、ナシル先輩が言っていたらしいわ」
「……つまり、ナシル先輩がミカ先輩のことを心配して無理矢理に鍛えさせているということか」
「まぁ、そういうことね」
ナシルなりの気遣いなのだろう。
ただ、ミカからすればどうして自分だけ扱いが粗いのかと思われているようだが。
「――あら、クロイド君も来てくれたの。助かるわ~」
すれ違ったのはユアンだ。彼女の両腕には4本の酒瓶が抱かれるように持たれている。
その少し後ろをレイクが何とか5本持って歩いてきていた。しかし、レイクの表情は決して余裕のものではなく、無理しているようにさえ見える。
ユアンよりも多く運んで良い所を見せたいのかもしれないが、効率で考えるならばユアンの方が運ぶのが早いだろう。
「……この量を……」
クロイドが木桶に山のように盛られている酒瓶を見て、顔を引き攣らせた。
「えぇ、飲むらしいわ」
いつか自分もお酒を飲める歳になればブレアと飲む機会があるだろうが、この酒瓶の量を見たら何だか飲む気力がなくなってしまいそうだ。
それでもお酒が好きなブレア達にとっては尽きる事ないお酒は嬉しいものらしく、準備している場所の方からブレアの喜ぶ声が微かに聞えた。
「……運ぶか」
クロイドもブレアの声が聞こえたのだろう。引き攣っていた顔は苦笑へと変わっていた。
「でも、いつか一緒に飲めるといいな」
「え? ブレアさんと?」
「まぁ、それもあるが……」
クロイドは冷やしてある酒瓶を四本、両腕で抱え持つ。
「アイリスといつか一緒にお酒を飲めたら楽しいだろうなと思って」
こちらを振り返ったクロイドは穏やかに目を細めていた。
「……それなら2年後まで楽しみにしておくわ」
大人として扱われる年齢になるまであと2年ある。
2年後、自分達はどのように変わっているだろうか。もしくは今と変わらずにこうやって一緒に隣にいることが出来ているならそれでいいと思う。
ただ、やるべきことは変らないだけだ。
「あと2年か……」
それは長い2年になるのか、短い2年になるのかは自分達次第だろう。
クロイドのどこか感慨深げな呟きにアイリスは小さな笑みを浮かべた。




