水遊び
キロルに指定された野菜の収穫を終えたアイリス達はあとのことはキロルが任せて欲しいと言ったため、釣りをしている男性陣の様子を見に行くことにした。
「んー。やっぱりロディアートと違って、空気が綺麗に感じるなぁ」
ナシルが背伸びをしつつ、深く息を吸って吐き出した。
アイリス達は馬車が通れないくらいに狭い道幅の道をゆっくりと歩きつつ周りを見渡す。木々が折り重なり、太陽の光を遮る風景はどこか懐かしさを覚えてしまう。
「ここまで森が深い場所に来ることなんてないですからね……」
ユアンもナシルに同意するように軽く息を吸い込んでいた。
「ん……。あ、水が流れる音がする」
そう言ってロサリアが顔を上げた方向には木々の間から何か煌めくものが見えた気がした。水面が太陽の光によって反射したのかもしれない。
「さぁて、男共の釣りの成果を拝見しようじゃないか」
低くナシルが笑いつつ、水の流れが聞こえる方向へと進んだ時だった。
「――おりゃあ!!」
「ふふん、甘いね! 『水の盾』!」
レイクとミカと思われる大きな声が川辺から聞こえて、アイリス達四人はお互いに顔を見合わせる。
「……釣りをしているんだよな?」
「確かそのはずですけど」
微妙な表情で首を傾げつつもナシルは道を進んでいく。
その時、それは起きた。
「あっ……」
木々の間の道から開けた川辺へと出た時、クロイドの焦るような声が何故か聞こえたのだ。
その聞こえた声と同時に先頭を歩いていたナシルの顔が一瞬にして水浸しとなった。
その場にいる全員が、何が起きたか分からないと言わんばかりで石のように固まる。
「あ、まずい」
最初にそう呟いたのはミカだった。その表情は色がさっと白くなったように見えた。
「…………」
アイリスは顔を水浸しとなったナシルにどう声をかけたらいいか分からず、水が飛んできた方を見やる。
釣りをしているはずの男性四人は何故か川の中に足を浸けて腕まくりしており、二手に分かれて何かしているようだ。
はっきりと分かるのは釣り竿を持っていないので釣りをしているというわけではないようで――。
「お~ま~え~た~ち~……」
ナシルが地を這うような低い声を上げながら重く踏み鳴らすようにしながら前へと進んでいく。
隣のユアンを見ると何とも同情的な瞳で男四人の方に視線を向けており、ロサリアの方はというと呆れたように溜息を吐いていた。
「げっ……」
「……あの、ナシル先輩。いまのは事故で……」
「事故もわざともあるかぁぁ!!」
セルディが弁解する前にナシルは男四人の前に立ち、自分がかけている眼鏡に指を触れる。
「『記憶の瞳』。記録――水柱の魔法、発動!!」
男四人を囲むように巨大な魔法陣が足元に現れ、それは瞬時に具現化する。
その場に流れている水が魔法陣へと吸い込まれるように集結していき、それはやがて水面から一本の巨大な水柱となって空に向かって勢いよく立ち上っていく。
「うがっ……」
巨大な水柱を直接身に受けた四人は一瞬にして水浸しとなり、その場に尻餅をつくように座り込んだ。
「あーらら。ナシル先輩を怒らせちゃった……」
ぼそりとユアンが引き気味の顔で呟いた。
「ハンカチ……持っていたかな」
ナシルの憤怒の表情を気にしていないのかロサリアは自分の服にハンカチをしまっていたか探しているようだ。
アイリスもナシルの表情を窺いつつ川辺へと歩いて行く。
「並んで正座しろ!」
「ひっ……」
びしょ濡れとなったレイクが引き攣った声を上げつつ、すぐさまナシルの前へと正座した。
クロイドとセルディもお互いに表情を確かめつつ、これ以上ナシルの怒りを買わないようにすぐにその言葉に従った。
しかし、ミカの方はそれほど悪びれていないようで渋々と言った感じで座っている。
「お前らは何のためにここに来たんだ!」
「……釣りです」
ナシルの強い言葉にセルディがすぐさま答える。
「それじゃあ、今は何をしていたんだ! どうして水が飛んでくるんだ!? というか、私に謝れ!!」
ナシルの本音は最後の言葉らしく、捲くし立てるように一気に喋ったあと、深く息を吐いて怒りを治めているように肩で息をしていた。
「……水遊びをしていました」
「……ほう?」
「水の掛け合いをしておりまして……。そのナシル先輩にはミカ先輩が投げた水の玉が流れ弾として当たってしまいまして……」
「ほ~う?」
腰に手を添えつつ、また一歩ナシルが前へと進む。
「それで……誰が水遊びをしようなんて言い出したのかね?」
後ろ姿からでも分かる程、ナシルの声には怒気が含まれている。
全身ではないとは言え、自分の意思に関係なく濡れてしまったことに腹を立てているのだろうか。それともちゃんと釣りをしていなかったことに怒っているのかどちらだろう。
「ミカ先輩」
「レイク」
レイクとミカは同時にお互いを指さして、顔を歪ませる。
「ちょっと、レイクが最初にクロイドに向けて水をかけていたんだろう? 人のせいにするなよな」
「いやいや、先輩が最初に俺に魔法を使って水かけたんじゃないですか。本気になったのもそれからだし」
「でも、最初はレイクじゃん」
言い合いを始める二人に対して、クロイドとセルディはどうしようもないと言った表情で溜息を吐いていた。
恐らくこの二人はレイクとミカに巻き込まれて遊んでいたようだ。
「どっちでもいいわ!! ……それでそんなに遊んでいたのなら、ちゃんと人数分の魚は釣れたんだろうな?」
再び低い声でナシルは唸るように喋りながら男性陣に黒い笑みを向ける。
しかし、男性四人は同時に首を横に振った。
「全く」
「ここ、魚いないんじゃないの?」
「……一匹も成果を得られませんでした」
「…………」
四人の答えにナシルだけではなく、普段表情を表に出しにくいロサリアでさえ眉を潜めて呆れたように深い溜息を吐いていた。
「つまり……一匹も釣れなくて暇だったから遊んでいた、と?」
「だって、待っているだけとか暇じゃん。絶対的に釣れる保証とかないのにさー」
「ミ~カ~……?」
気付いた時にはナシルがミカのこめかみに拳を当てて、ねじ込むように押し付けていた。
「痛いっ……! ちょ、痛いって!!」
「あと、お前のせいで私が濡れたんだからな~? どうしてくれるんだ? 魔具が紙媒体だったらお前は死んでいたぞー? 眼鏡だったから良かったものの……」
「無事なら別にいいじゃん。……痛いっ。本当にそれは止めてって! えぐれるから! 脳みそえぐれて飛び出そうだから!」
腕力だけは強いのかナシルの拳は相当痛いらしく、ミカの目元が滴っている水ではなく涙のようなものが浮かんでいた。
「全く……。それで結局、一匹も釣れずじまいか」
ぱっとナシルはミカから手を離し、呆れた溜息を吐きながら四人を見渡す。
「仰る通りです」
顔が上げられないのかレイクが真っ先に応える。
ちらりとアイリスがクロイドの方を見ると何とも言えないような気まずそうな表情で視線をそらされてしまった。
「だが、キロルさんに頼まれた以上、手ぶらで帰るわけにもいかん」
「でも、もう魚も逃げちゃったと思うよ。ナシルがあんなに大きな魔法使うから……」
ぎろりとナシルが横目でミカを睨むと彼はしまったと言わんばかりに自分の口を押えた。
「……まぁ、正攻法じゃないが魚を獲るだけならやり方は他にもある」
「へ?」
くるりとナシルは背後にいたロサリアの方へと振り返った。
「ロサリア、頼んだ」
「了解です」
ロサリアは無表情のままでこくりと頷くと腕まくりをしてから靴を脱ぎ始める。
「とりあえず、あとのことはロサリアに任せておけばいい。ユアン、こいつらの服と私の服も乾かしてくれないか」
「はーい」
正座をしていた四人は立つことを許されて、川辺から少し離れた場所へと移動させられる。
「あの、ロサリアに任せておけばいいってどういうことですか」
セルディが濡れた髪をかきあげつつ、服の裾を絞った。
「そのままの意味だ。あぁ、獲った魚はちゃんと回収してやれよ」
「え?」
アイリスはクロイドに自分の持っていたハンカチを渡しつつ、川の中へ素足で入って行くロサリアの方を見た。
ロサリアは微動せずにじっと水面の下を睨むように見ている。
「ロサリア先輩、一体どうする気なのかしら……。はい、クロイド」
「すまない。……何というかそこにいるのに気配は完全に消しているよな」
その場にいる全員が川の中へと入っているロサリアに視線を集中させていた時だ。
ロサリアの瞳がかっと開き、右手が水面を揺らす前に水の中へと滑り込ませた手を掬い上げるようにしながら何かを水面の下から放り投げて来た。
宙を舞うようにこちらに向けて飛んできたのは一匹の活きの良い魚だった。しかも掌よりも大きい、大きさである。
「えっ、今の何……」
ぼそりと呟いたのは誰だったか。
そう考える瞬間にロサリアは再び同じような動きで魚を宙へと放り投げる。
二匹目の魚が川岸へと音を立てつつ放り投げられたことでアイリス達はやっと現状を理解した。
「……熊だ」
今度の呟きはどうやらレイクらしい。
確かにロサリアの今の動きは水中の魚を掻っ攫うが如く獲る熊と同じようなものだが、それにしてはかなり気配が薄められており、魚を獲ることだけに集中しているようだ。
その姿はまさに野生の狩人と呼ぶべきか。
……これほどまでに気配を消せるなんて……やっぱり凄い人なんだわ。
目の前にいるのに意識しなければいないように感じてしまう。あとでどのような鍛錬を積んで身に着けたのかロサリアに聞いてみたかった。
「はい、魚を回収!」
ナシルの声にロサリアに見惚れていたセルディははっと我に返って、岸辺に投げられた魚を拾ってすぐに水を汲んだバケツの中へと入れていく。
「ロサリア先輩のあの技って何なんですか……。俺達が二時間も粘った意味って……。はくゅんっ!」
レイクが小さくくしゃみをしたため、ユアンがすぐに髪に挿していた杖を取り出す。
「はぁ~。せっかくのお休みに風邪なんか引いたらどうするのよ。――『温かな突風』」
ユアンが杖をふいっと呪文とともに動かすと、その場に温かくて柔らかい風が瞬時に吹き抜けていく。
あまりにも一瞬だったのでよく見えていなかったが、濡れた服の水分を風とともに奪っていく魔法のようだ。
「あ……」
「お、乾いているな。いやぁ、さすがユアン」
ナシルは自分の服の乾き具合を確かめつつ満足そうに頷く。
「ユアン先輩、ありがとうございます」
クロイドの服も完全に乾いたのか驚いたように自分の服の具合を確かめながらお礼を言った。
「いえいえ。クロイド君もごめんねぇ。どうせうちのレイクが吹っ掛けて来たから、付き合ってくれたんでしょう?」
「いえ、あの……」
「本当に嫌な時は断っていいのよ~」
「おい、ユアン。何で俺が全体的に悪いみたいな感じになっているんだよ」
「だって、そうでしょう? レイクは人を巻き込むのが得意だもの」
「その言い方、俺がまるで迷惑を巻き散らしているような奴に聞こえるんだけど!」
今度はユアンとレイクによる言い合いが始まったようだ。
「はぁー……。俺、休憩するから全部終わったら起こして……」
「寝るな、ミカ! お前ってやつは……遊んだらすぐ寝る子どもか! 後輩ばかりにやらせてないで道具の片付けでもしてこい!」
こちらはこちらでまだナシルの説教は終わっていないようだ。
その光景にアイリスとクロイドは顔を見合わせる。笑うようなことはないはずなのに同時に笑みがこぼれてしまうので不思議なものだ。
「あなたが水遊びするなんて、想像出来なかったわ」
「俺もまさか水遊びするなんて自分でも思っていなかったよ。まぁ、楽しかったな」
「あら。それなら今度一緒にやる?」
「え?」
アイリスが背中の後ろに両手を組んでからにこりと笑った。
「何てね。冗談よ」
クロイドがあまりに間が抜けたような顔をして目を見開いているので、アイリスはその反応が面白くてつい笑ってしまった。
「……冗談か」
「本気の方が良かったかしら? それでも構わないわよ。ただし、魔法はなしね」
「……楽しみにしておく」
どうやら本当に自分と水遊びをする気でいるらしい。
彼がこういうことをしたいと思う性格ではないと分かっているので珍しいとさえ思ってしまうが、それでも楽しみだと思うのは自分も同じだった。
「……ナシル。俺もあんな感じの相棒として扱ってほしい」
「それは無理だな、ミカ。あの二人は特に特別なんだ。というか、そもそもお前が調子に乗らなければいいだけの話だ。そうすれば私もこの手を痛めなくて済む」
「俺だって、調子に乗りたい年頃なの。遊びたい年頃なの」
「お前、二十歳過ぎているくせにまだ調子に乗る気なのか?」
再びナシルとミカの言い合いが聞こえたアイリス達は隠すようにしながら小さく噴き出していた。
川辺では爽やかな風とともにそれぞれの声が暫くの間、行き交っていた。




