リッツ邸
駅周辺は住宅だけでなく、様々な店もあるようだったがキロルの荷馬車は賑やかな場所から段々と家が一軒も見当たらない木々に囲まれた道へと入って行った。
道は整備されているようだが転がった石に荷馬車の車輪が当たる度に、自分達の身体が軽く宙に浮いては元に戻る。
それによって気分が悪くなったのか、ミカは荷馬車の外へと身体を半分投げ出し、深い息を吐いていた。その小さな背中をセルディは困ったように苦笑しながら撫でている。
その一方で女子達はこの地の名産や名物についての話に盛り上がっており、レイクは腕を組んで軽く居眠りをしていた。
アイリスとクロイドは流れゆく景色を荷馬車からゆっくりと眺める。物珍しいというわけではないのに木々が並ぶ景色を飽きもせずにずっと見ていた。
「そういえば、森に来るのは初めてだな」
「あら、そうなの? まぁ、私も初めてだけれど。昔住んでいた場所に森はなかったもの」
鼻を掠める自然特有の爽やかで優しい匂いにアイリスはふっと息をもらす。
「でも、初めてなのにどこか懐かしい感じがするな」
ふわりと風が二人の間を通り抜けて、クロイドの黒い前髪を軽く揺らしていく。
風とともに荷馬車の前方に座っているブレアと荷馬車を運転しているキロルの話し声がこちらまで流れて来た。
「ははっ……。相変わらず、あいつらとは仲が悪いようだな」
「あの男どもは私のことを未だに子どもだと思っているんだろう。……まぁ、そのうち寝首を掻いてやるさ」
ブレアの愚痴にキロルは軽く笑い、そして溜息を吐いたようだ。
「……だが、そうか。セドも去り、マーレまで……」
どこか寂しげに聞こえるキロルの声にアイリスははっとする。彼はセド・ウィリアムズとマーレ・トレランシアのことを知っているらしい。
クロイドの方に視線を戻すと彼もキロルの言葉が聞こえたのか少し戸惑ったような表情していたがやがて穏やかな笑みを浮かべて頷く。
大丈夫だと言っているように見えるその表情にアイリスは何も言えず、放り出されていた彼の手に自分のものをそっと重ねた。手の温度が温かいことにアイリスは何故か安堵してしまう。
「……せっかくだから、たくさん楽しまないとな」
「……えぇ」
再び風が吹いた時、クロイドの表情は穏やかなものから明るいものへと変わっていた。
「何、これ……」
ミカが荷馬車から降りて開口一番にそう言ったがそれは恐らくその場にいる全員が心の中で思っていたことを代弁してくれたのだと思う。
到着したキロルの自宅は広すぎるものだったからだ。
「こっちが自宅の母屋。暖炉付きの二階建てだよ。それで右手に見える小屋が馬小屋で、その隣にあるのが畑。真正面に見えるあの柵の向こう側は緩やかな斜面になっていて、その下には小さな湖が広がっているんだ。そして母屋の奥に見える板塀の向こうに温泉を楽しめる場所を作っている」
皆の荷物を下ろすのを手伝いながら、キロルは何でもなさそうにそう言った。
キロルの二階建ての自宅を目視でどれくらいの広さなのか考えたが恐らく自分が教団で使っている部屋が20部屋あっても足りないくらいの広さである。
右側に見える馬小屋も荷馬車を置いておくための屋根がついた小屋であるためそれなりの広さだし、その隣にある畑だって一人で食べるには育てている野菜が多すぎるようにも見える。
「いやいや……。キロルさん、これ自宅っていう次元じゃないから! もはや施設だよ! 貴族の別荘じゃん!」
全力で手を横に振りながらナシルは恐ろしいもの見たと言わんばかりの顔をしている。
「いやぁ~。ここまで整えるのに苦労したよ。ほとんど魔法を使わずの手作りでやったからね。あ、もちろん専門業者にも手伝ってもらったけれど、大体は私一人で作ったんだ」
その言葉にぽかりと口を開けてしまう一同を見てブレアが腹を抱えて笑っている。
こちらが思っていたよりもキロルはかなりこだわりを持ってこの場所を色々と整えたらしい。
「それじゃあ、家の中へ案内するよ」
キロルは荷馬車を馬小屋の中まで運んでから自宅へと入るように手招きしてくる。
アイリス達はそれぞれの荷物を抱えながら固唾を飲み込み、キロルのあとを付いて行く。
玄関の扉は素朴な木目調のもので、両扉を開くと新しい家特有の新鮮な木の香りがふわりと鼻先をかすめていく。
「おぉ……」
思わずそう呟いたのはレイクのようだ。
「ようこそ、リッツ邸へ」
少し畏まったようにキロルはそう言って更に中へ入るように勧めてくる。
玄関は二階までの筒抜けになっており、すぐ近くに二階へ続く木製の階段があった。灯りは点いていないというのに、窓から射しこむ光で十分すぎる程に家の中が明るく感じる。
「一階が主に生活する間取りになっていて、二階は寝室と客室なんだ。部屋ごとにベッドは置いてあるから好きな部屋を選ぶといいよ」
「とりあえず、それぞれ荷物を置かせてもらうか」
キロルとブレアの言葉に一同は軽く頷く。
「それではお邪魔します……」
遠慮がちにそう言って、アイリス達は階段を上っていった。
よく見渡しても埃一つ落ちていない。余程、入念に掃除されているらしい。
階段を上り切った先には長い廊下と多くの部屋の扉が並んでいた。
「この部屋は私の寝室だから、それ以外だったら好きな部屋を使うといいよ」
「……一室を一人で借りるのが何だか勿体ない気がしますね」
セルディが一室の扉を少しだけ開けて中を覗きみる。
「しかも、教団の部屋のベッドより質が良さそう」
ロサリアがセルディの言った言葉に付け加えてくる。
「うわっ! 凄い、ベランダまで付いているぞ……」
「あ、湖が見えるわ。景色が綺麗でいいわね~」
さっそく部屋を決めたのか、双方の部屋からレイクとユアンの声が聞こえる。
「ほら、君達も好きな部屋を選ぶといい」
キロルに促されたアイリスとクロイドは隣同士の部屋を選び、同時に扉を開ける。再び強く薫ったのは新築の木材の匂いと柔らかな花の香りだった。
ベッドは自分一人で使うには勿体ない程に広く、そして新品同様である。ベッドの近くにある小さな棚にはランプと可愛らしい花が飾られた花瓶が置かれていた。
「…………」
アイリスは荷物を一度、端の方に置いてからレイクの言っていたベランダに向かって歩く。
風によって薄く白いカーテンが揺れて、その先に見えた景色にアイリスは思わず息をのみこんだ。
ベランダに出て、左手に見える景色は小さな湖とそれを囲む森しか見えず、まるで絵画のようにさえ思える。湖は太陽の光を受けてきらきらと反射していた。
深い緑色の森には何があるのだろうかと想像が勝手に膨らんでいく。まるでおとぎ話の世界のような光景だ。
「アイリス」
すぐ傍で声が聞こえたアイリスは優しい声の方へと振り返る。右隣の部屋のベランダからクロイドが顔を出してきた。
ベランダは続いていないが、手を伸ばせば届くほどの距離が何だか嬉しくなりアイリスは苦笑した。
「凄く、良い場所ね」
日当たりも良いし風も気持ちいい。見渡しても自然しか目に入らない穏やかで静かな場所だ。
「キロルさんがこの場所を気に入っている理由が分かる気がするな」
「そうね」
弱い風がアイリスの髪をなびかせていく。
「――おーい、荷物置いたら一旦、一階に集合なー!」
ブレアの声が一階から響き渡り、アイリスとクロイドは顔を見合わせて小さく噴き出す。
「行くか」
「えぇ」
アイリスとクロイドは同時にベランダから部屋の中へと戻り、ブレアが待つ一階へと下りた。




