鋏の名
「……さっき私があなたに言った言葉、ちゃんと覚えているかしら?」
アイリスは一歩、前へと進んでから短剣の刃先を男の喉元へと突き立てる。
「あなたがやっている行為はただの傷害。……美しいものを集めている気でいるけれど、人を傷付けて得たものが美しいわけがないと言っているのよ!」
短剣の柄を握り替えてアイリスは髪切りジャックの足元に大きく音を立てるようにそのまま突き刺した。
「……あなたには二つの選択肢があるわ。このまま大人しく魔法で眠らされるかそれとも私の拳で無理矢理眠らされるかのどちらかよ。さぁ、選びなさい」
短剣の刃よりも鋭い視線に髪切りジャックの表情がやっと怯えたように見えた。
「早く選ばないとこの拳が唸るわよ」
畳み掛けるように脅しをかけると動けない男は首を横に振った。
アイリスの気迫におされたのかもはや他に打つ手はないと言った表情をしている。
「ぜ……前者で……」
髪切りジャックの震えながらの答えにアイリスは彼の後方にいるクロイドへと視線を送る。クロイドは大きく頷いて髪切りジャックに向けて右手をかざした。
「――揺れる、揺れる、ゆりかごよ。その身体、その心、全てを閉ざし……。今、ひとたびの安らかな時間をかの者に与えたまえ」
クロイドがかけた眠りの魔法によって眠らされた髪切りジャックはすぐに膝を曲げて前のめりに倒れる。
「おっと……」
アイリスは男の身体を腕一本で支えつつ、受け止めた。
このまま氷上に倒れ込むと氷によって固められた足元が変な方向へと倒れたことで骨が折れてしまう可能性があるからである。
「……すぅ……」
髪切りジャックからは寝息だけが静かに聞えてくる。足元に広がっていた黒い影も主が眠ったことで消えてしまったようだ。
「ありがとう、クロイド。お疲れ様」
男の背後にいたクロイドに声をかけると彼は疲れ切った表情から不機嫌なものへと変わっていた。
「……そいつは俺が運ぶ」
「え?」
しかし彼の体調面を考えるととてもそんなことは任せられない気がする。
「……別に男性一人くらいなら運べるわよ?」
いざとなればクロイドだって持ち抱えることが出来る気がするがそれは彼の自尊心を傷つけてしまいそうなので言わないでおこう。
「……アイリスが他の男を抱えて運ぶのは何か嫌だ」
「…………」
それは嫉妬と名付けるには呼びにくいもので、何と答えればいいのか分からないのについ嬉しく思ってしまったアイリスは苦笑した。
まだ完全に回復したわけではないだろうに彼の表情から見て、意地でも髪切りジャックを教団まで運ぶ気でいるようだ。
「とりあえず、今の服装を変えてこないと美少女が男を運んでいる姿を他に見られかねないわよ」
「……っ。分かっている」
クロイドはアイリスが弾き飛ばした髪切りジャックの鋏を氷上から抜き取る。抜き取った瞬間と同時に魔法の効果が消えたのか地面を覆いつくしていた氷は一瞬で消え去った。
「これで魔具の回収は無事に完了したわけだけれど……」
アイリスが男の足元に突き立てていた短剣もクロイドが拾ってくれたため、片手で鞘へと納めることが出来た。
「……あの街灯の修理費は魔具調査課の予算から落とすのよね」
溜息を吐きつつアイリスは破壊してしまった街灯の上部を見上げる。
公共や他人の私物を任務中に壊してしまった場合、その費用を請求されるのは所属している課である。今まで何度も物を壊しては修理費が所属している課に毎年配分されている予算から引き落とされてきている。
今日は久しぶりに公共物を破壊してしまったのでブレアから何と言われるか想像するだけでも身震いしてしまう。
ここ最近は出来るだけものを壊さないように注意していたが、今回は故意に破壊してしまったので修理は課からちゃんと出るか不安である。
「……街灯だと修理費っていくらくらいかかるのかしら」
始末書を書かなければならないのは決定事項だろう。
「……まぁ、半分は俺も怒られるから」
慰めるようなクロイドの同情的な視線にアイリスはわざとらしく肩を竦めるしかなかった。
いつもの服装に着替えを済ませたクロイドによって眠ったままの髪切りジャックは魔的審査課へと運ばれることとなった。
出来るだけ無理はさせたくなかったのだが彼が頑なに譲らなかったので、アイリスは持参していた荷物だけを運ぶことにした。
髪切りジャックのその後は魔的審査課によって決定されるだろうが、彼に髪を無理矢理切られた女子達にとっては彼がただ罰せられるだけでは気が済まないだろう。
教団の規則によって原則としては拷問といった身体に影響するものを行なってはならないと決まっているが女子達の場合、どうにか理由を付けて恨みがましく何発か殴ってしまいそうだ。
……殴られるだけで済むか分からないが。
回収した魔具は魔法課によるとかなり昔に有名だった裁縫師が使っていた「青鈍の双刃」という裁縫用の鋏であることが判明した。
何でも寸分違わずに布を裁つことが出来る鋏らしくその切れ味は人の身さえ裁つほどに良いと噂に尾ひれが付くほどで、刃に使用されている材料が魔具の材料であることから魔具認定されたのだという。
しかし、前の持ち主の遺品整理が行われた時に不手際があったらしくこの「青鈍の双刃」は長年、行方知れずとなってしまったらしい。
今回、まさか噂の「髪切りジャック」がこの鋏を持っているとは思っていなかったのか魔法課の人は少々慌てた様子で魔具を預かってくれた。
これであとは報告書を書いてブレアに提出して、さらに破壊してしまった街灯の修理費についての相談をするだけである。
修理する人の手配や時間もかかるので一筋縄ではいかないと分かっているが、それでも修羅場中のブレアに切り出す覚悟はとっくに出来ていた。
「……よし、行くわよ」
アイリスは息を大きく吸い込んでから魔具調査課へと入った。
そこには生きた屍と化しているナシルとミカがいた。耳を澄ませると安定した寝息が聞こえてくる。
ナシルは眉間に深く皺を寄せたまま半分白目で口を開けて寝ていたのであまり見てはいけないだろうと思ってすぐに目を逸らすことにした。
魔具調査課に長年所属している上に妙齢の女性があのような姿になってしまうほどに追い込まれていると思うと正直、この後に詰まっている任務の数をちゃんとこなせるのか不安になってしまう。
一方で隣のソファではミカがうつ伏せになって耳を塞ぐように手で押さえながら眠っていた。何か彼の身にあったのだろうか。
ユアンとレイクは任務中なのかまだ帰ってきていないようだ。
「…………」
アイリスとクロイドは頷き合ってからそっと扉の内側へと入り、自席へと座ってから出来るだけ音を立てないように静かでいることに徹しつつ、報告書と街灯を破壊したことについての始末書を書くことにした。




